2010年12月21日火曜日

頑張りすぎない自動車が次世代自動車かも?


恥ずかしながら、先日、ハーフマラソンの完走を人生で初めて達成しました。

私は、非常に体力に自信がない上に、現在では、自家製チャンピオンベルトを3枚巻いています(お腹がでています)。ですので、ゴールタイムは、2時間40分・・。打ち切り寸前のゴールでした。

自分の中で、マラソンのポリシーとは、絶対に歩かない。ということです。つまり、ジョギングしているスタイルをやめて、歩くという行為を一度もしないということをポリシーにしていました。

ですので、歩いたほうが早いのかと思う程度のかなりの遅さで、ジョギングスタイルを続けることが大事だと思っていました。

しかし、先日、ジョギングの先生より、早く走って、少し歩いて、早く走って、少し歩く・・というのも、マラソンの心拍を上げるのに大事だ。と言われました。

このことは、自分の中では、全く発想していなかった考え方でした。なぜなら、走っているとき、歩いちゃうのって、罪悪感ありますよね?しかし、このような練習をしなかったから、あまり、心拍が上がらなかったのだと理解して、今週からこの方法を試して練習しています。

これと同じようなことが、自動車でも起こっている?ようです。

先日、アキバイノベーションカレッジという、イノベーション関連のセミナに参加させていただきました。

堀洋一先生という、東大の電気自動車のえらい方のおはなし。大変、ウィットのある話し方で、エンジニアにはあまり無いような?知性を感じました。

500Km走るようなリチウムイオン電池による電気自動車の開発は、発電したらすぐに使用すべき、電気の本来的な性質を活かしていないため、限界があるの ではないか。そもそも、ガソリン車=「ガソリンという燃料を運ぶ」という発想から、電気自動車=「電池を積む」という発想であるが、そもそも、電気は、蓄 えるのではなく、すぐに使う用途のほうが、優れているのだから、電池を積まないで、車を軽くし、その代わりに、キャパシタと呼ばれる、ちょこちょこ充電す る車が、電気自動車として、現実的ではないか?

という提案をされていました。

現実に、大型の電池であるリチウムイオン電池による電気自動車の開発は、暗礁に乗り上げているようで、その大きな理由として、充電容量に限界がある点と、リチウムイオン電池の原料である白金の採取にめどを立ちにくいことなどに問題があるようです。

これに対して、キャパシタの電池は、バッテリーぐらいの大きさのキャパシタ(化学的な電池ではなく、物理的な電気容量装置のようなイメージ)しか入ってい ないようで、軽そうです。Suica(ICカード)が電池を持っていないで、改札の装置から電気をもらうイメージと似ています。

そうです。

遠くに行くのに、遠くへ行くまでの多くの荷物を抱えて、休まず、走ることを継続し続けることのみが、遠くに行く手段ではありません。

軽い荷物にして、少し休んで、ちょっと補給して、また、走って、また補給して・・というのが、本来、無理なく、遠くに行けることかもしれません。

僕らの人生も、一人でいっぱい荷物を詰め込んで、進み続けるよりも、軽い荷物にして進んでみて、たまに、周りの人に助けてもらって、前に進んで・・という方が、うまくいくかもしれません。

ひとまず、このキャパシタ方法で、ハーフマラソンの2時間30分を切ろうと思います。

2010年12月14日火曜日

知識経営責任者















CKOって、知っていますか?
CEO(最高経営責任者),CTO(最高技術責任者)等は、聞いたことがあると思いますが、CKOって??

知識経営責任者(Knowledgeの「K」)ということです。

そんなに、知識って、企業にとって大切なのでしょうか?

世の中の推移は、19世紀に、工業化社会、20世紀に、情報化社会と遷移しました。

それでは、21世紀は?

知識創造化社会であると、野中郁次郎氏は、説明します。

氏は、技術経営の分野で、かつて、世界が注目した日本型経営の成功モデルを、ナレッジマネジメント(狭義の知識経営)という切り口で説明した学者です。

我々は、工業化社会において、個性を没した働き方をしてきたのではないでしょうか?

モダンタイムスというチャップリンの映画もありましたが、一人ひとりの個性よりも、いわば、部品として人間が労働する、フォード型の生産システムが、革命的に産業を発達させました。

それから、100年後。
キャノンという会社では、従来型のフォード生産システムではなく、セル生産方式という方法で、大成功しました。この生産方式は、人をコスト要因とみなすフォード方式ではなく、人を知を生み出す存在として認識し、各生産者に生産方式の検討、工夫、改良をさせ、人を付加価値を高める主体的存在とした方式です。

ちょっと考えても、セル生産方式のほうが、自分で考えてよいので、生産者のモチベーションが高まり、物に対する創意工夫が盛り込まれる気がしますよね。

このように、21世紀では、企業は、知識創造型になっていく必要があるように思います。

それでは、話を戻して、CKOですが、これも野中氏が、企業が検討すべき役職として提案されています。
それでは、CKOは、誰がやるのでしょうか?
無難なのは、会社の社長さんですが・・・。

私は、CKOは、知的財産部の部長が、これを担うべきと考えます。

知的財産部が、ナレッジマネージメントを推進する旗振り役になれば、未だ認知されていない暗黙知となっている発明なども、掘り起こして、製品化や特許化が期待できるかもしれません。

(写真は、4年ぐらい前に訪れた「ルーブル美術館」です。パリ行きたいですね。行きたいです。行きたい。)

2010年11月18日木曜日

二次無能力




















極端な例かもしれませんが、アメリカで本当にあった話です。

白昼に銀行強盗を働いた泥棒が、レモン汁を顔につければ監視カメラに映らないと本気で思っていたらしく、これを信じて、銀行強盗をしました。すると、当然、すぐに警察に逮捕されてしまいました。逮捕されても、銀行強盗は、なぜ、自分がすぐに捕まってしまったかを理解できず、自分が監視カメラに写っていたという事実を、すぐに受け入れなかったそうです。
("Unskilled and Unaware of It:How Difficulties in Recognizing One's Own Incompetence Lea to Inflated Self-Aswsessments"という心理学の論文より)

このレモン汁の泥棒は、その「レモン汁を顔につければ監視カメラに映らない」を怪しむことをしなかったようです。このような、仮説に対して自己評価が欠如していることを、心理学では、二次無能力と呼ぶようです。

例えば、何かの技術や事柄に、熟練していない人が、「実はかなりのエキスパートである」と思い込んでしまう傾向がある場合もあてはまるかと。ダーウィンも発言しているのですが、「熟知よりも無知の方が自信の源になる」と語っているようです。

幸運なことに、最近、その道のプロフェッショナルな方にお会いする機会が増えました。

日本のGoogle創業者に相当するのではないかと考えられるプログラマ(私にはそう見えました。。)や、この厳しい時代に、米国の特許事務所へ渡米して米国のビジネスを学びに行く弁理士さん。

驚くのが、彼らは、恐ろしいほど、謙虚なんですよね。

プロフェッショナルな方とは、人に対してとても謙虚で、自分がエキスパートであると鼻にかけたり、決してしないように思います。

見習いたいものですね。

こういうプロフェッショナルな方に反して、残念ながら、いわゆる「無知の知」を持たない二次無能力になってしまっている人は、たくさんいる気がします。気をつけたいのでは、自分自身も、そのようになってしまっていることにより、無意識に、人の成長を阻害したり、傷つけていることがあるのではないか、ということです。

例えば、自分が、社会的に地位が高くなった場合に、自分が二次無能力になっていることに気がつかないことにより、社会に与える影響は大きいでしょう。それが、会社の経営者であった場合は、なおさらです。

これからは、プロフェッショナルを目指すとともに、「無知の知」を身につけられることが望ましいですね。

(写真は、近くの川辺で、ご機嫌のアトムです♪)

2010年11月9日火曜日

ビジネスのリスク




















いつもの神田の床屋さんにて・・・

「やっぱり、床屋さんは、職人技だから、仕事が将来も安定できますよね。」

と、床屋さんの全国大会で一位をとったにもかかわらず、そんなそぶりを全く感じさせない、謙虚な店長に私からの無責任な一言。

「いやいや、例えば、頭にすっぽり、機械をかぶせると、自動的に、髪を切ってくれる機械が発明されたら、僕の仕事は終わりですよ。」

なるほど、確かにそうですね。。

僕らは、特許に関わる仕事をしています。

しかし、法律改正により、特許では、出願書類を作成しなくても良いことになりました!と、決められた場合は、弁理士さんや特許事務所さんの仕事はなくなります。
また、特許により、独占権を確保するのはやめて、共有財産とすることになりました!という世の中になった場合は、知財部ですら、仕事がなくなるリスクがあります。

このようなリスクを抱えているのは、特許業界だけ・・・

ではないですよね。

今の世の中、国内の大企業に勤めていれば、グローバル企業に合併されるリスクはあるし、自分の上司がインドネシア人になるリスクだってあります(味の素の人事はそうらしい)。

全国一位の床屋さんだって、リスクがあるんだから、我々だって、リスクがあって、当たり前です。

それでは、全くリスクがない方法はないか?

僕が、床屋さんという職業がなくなったと聞いて、店長に、他の仕事を依頼する・・そんな人間関係があれば、ある意味、リスクはないのかもしれません。つまり、一つのビジネスの継続を目的とするのではなく、そのビジネスで出会った人のつながりから、他人に自分を信用されることこそが、職を失うことへのリスク回避になるかもしれません。

「でも、僕は、きっと、髪を切ってくれる機械ができても、店長に切ってもらいに来ると思います。」と彼に伝えました。

(写真は、今週の日曜日の足尾の紅葉です。猛暑だったにもかかわらず、モミジは燃えていました。)

2010年11月8日月曜日

課題は、発明の一部なのです














写真は、昔の中学一年生の教科書です。第一章は、「住宅」から始まります。

この教科書は、果たして、何の科目の教科書でしょうか?

実は、数学の教科書なのです。昭和24年文部省検査済で発行された教科書です。

この本の最初は、こう始まります。
「私たちが生活していくのに、どうしても必要なこととして、衣・食・住の三つをあげることができる。特に、わが国では、この三つのどれもが、国民全体にとって、重要な問題としてとりあげられている。・・」
どう考えても、社会の科目ですよね?

なぜこれが、数学の教科書なのでしょうか?

話の展開としては、社会における住居の役割の後に、住居の大きさについて、関心を引き寄せて、直方体等の形について説明したり、面積や容積を測ることに関心を持たせています。
ここで、住宅の説明も、おまけ程度で記載しているのではなく、見開き4ページを割いています。

いやいや、数学っていうのは、直方体などの形の名称や、面積の公式を覚えれば、よいから、このような記載は、効率を落とすよね・・というのが、ここ、20,30年の考え方かと思います。

本当に、このような、数学の授業は、非効率的でしょうか?

ところで、特許の明細書に記載する【発明の開示】という、発明の中核を記載する部分には、【課題】が含まれます。つまり、課題とは、発明の一部なのです。

ちょっと不思議ではないですか?

つまり、この技術には、こういう問題がある、ということに気がついたことは、既に、発明の一部を創作していること、になるのです。さらに、この課題は、発明の開示の最初に記載しまして、発明の内容の前に記載します。つまり、課題がないと、発明は何も始まらないということです。

課題というニーズがあって、初めて、発明が創作される。

上記の数学の教科書で、住宅から話が始まるのは、「なぜ、数学があなたに必要なのか?」を、教科書が教えているのではないでしょうか。
このことは、直方体の形を言えたり、面積を求められることよりも、大切なことだと思います。

物事のニーズや課題を大事にすることが、興味や関心を育て、知的で創造的な人間や発明を作り出すように思います。

2010年11月1日月曜日

特許制度がイノベーションを阻害?




















HOLLY WOODは、なぜ、西の端っこのカリフォルニア州で、映画を盛り上げることができたのか?

知ってました?

ちなみに、トーマス・エジソンの研究所は、アメリカでも北東の端っこ、ニュージャージー州にありました。

ヒントで、わかりましたかね?

20世紀初めの当時、現在では超大手の映画製作会社であるFOX社やパナマウント社は、エジソンの映写機や映画制作にかかる発明の特許が及ばないよう、東から離れ、西の端っこで、特許の制約の及ばないハリウッドにて、映画を盛り上げ、ハリウッドにて、映画にイノベーションが起こった・・というのが答えでした。

ここ近年、特許権者を強力に保護する、いわゆる“プロパテント”に対して、疑問を呈する本が、日本語でも出版され始めました。上記のハリウッドの話題は、写真の「<反>知的独占」(著者:ワシントン大学の経済学者:ミケーレボルドリンさん)に記載された、特許がイノベーションを阻害すると考えられる一例として、示されていました。

確かに、特許がない場所で、初めて、映画にイノベーションが起こったということです。しかし、そもそも、もしも特許がないとしたら、エジソンは、映写機を発明したのでしょうか?映写機がなければ、当然、映画のイノベーションも起こらないし・・。

「にわとり」が先か、「たまご」が先か・・のような・・。

この本では、特許や著作権など知的財産制度は、利用を不当に制限し、イノベーションの阻害であるため、ないほうが良い、という、やや極端ではありますが、挑戦的な提案をしています。

しかし、弁理士さんや知財関係者には、大変、ショックですが、このような予測は、必ずしも、無視できるものではないと考えられます。例えば、欧州特許庁は、2025年の「未来のシナリオ」の中の一つに、「特許制度は世界中でなくなっている」ということも、シナリオとして、予測しています。

また、著者が書いているように、今のソフトウェアのイノベータは、どうやったら、マイクロソフトが雇う弁護士から、特許侵害を訴えられるリスクを逃れて、新しい革新的なビジネスを始めることができるのか?という問題があるのも、現実だと考えます。これは、現在の米国、日本のソフトウェア産業が行き詰まっている要因の一つとも考えられるのではないでしょうか。

非常に難しい問題です。

産業の発達(イノベーション促進)のためには、特許制度はなくなった方がよいのですかね?

いやいや、やっぱり、失敗を繰り返して、ようやく成功した第一人者は、失敗のリスクを負わず、成功した部分だけ模倣する者に対して、ある程度の、優位性があるべきでは・・・。

この本では、確かに、イノベーションが促進できる理想的な世界が描けているように思えます。
この本の世の中のように、誰もが知財権という、「個人」の財産を主張せずに、「社会」の利用を優先させるような社会は、近い未来で到来することが望ましいと思います。

しかし、現実として、今、現在、特許制度がある状態なのです。つまり、数々の特許権という財産権が、この瞬間も生まれています。このような状態で、仮に、特許制度がなくなると、彼らの個人の財産権を無にすることになりますね。したがって、行政や国が、個人の財産に対して、そこまで介入するのは、時間をかけて調整しなければなりません。資本主義で、かつ、民主主義の世の中で、財産権である知財権を放棄することを国民が理解し、その考えを大多数が支持することは、現在では想像がつかないかと思います。
さらに、企業や個人の技術の探求による解決手段を守るには、特許制度以外の制度が思いつきません。確かに、特許の存続期間の短縮や、特許権者が差止請求をできなくするなど、特許権者の権利行使をある程度、制限することは、イノベーションが促進されることを前提に、あってよいと思われます。

しかし、最初のイノベータの経済的利益を、制度的にも無にすることは、資本主義社会が続く限り、考え難いのではないでしょうか。

特許制度とイノベーションの関係は、今後、大いに、議論されるべき事柄だと考えます。これからの時代に、どのような特許制度に変わっていくのかということも非常に興味がありますね。

(写真のPC画面に写っているのは、経済学者ではなく、法学者が特許制度の意義に対して問題を指摘している「Patent Failure」という本です。いやー知財関係者には、恐ろしそうな本ですが、興味深そうです。次の課題図書にしようと思います。)

2010年10月17日日曜日

知識創造型の知財部門















東京の六本木にある「政策研究大学院大学」へ行ってきました。

「知財マネジメント入門」などの著者で、文科省の総括主任研究官である、米山茂美先生の「知財機能・組織の変化」というセミナがあり、訪問。

企業の知財部の今後のあり方や、事業部、開発部、知財部の三位一体の知財について、現在、多くの企業が実現できないのは、なぜか?という問いに対して、具体的な提案をされていました。

共感できるところが非常に多く、日々の業務の中で、これからの知財部って、こういう仕事をすべきではないかなと、漠然と感じていたことを、先生が見事に、抽出されている気がしました。

ご指摘では、知財部は、現在の受動的な部署ではなく、知財部が、積極的に、事業競争で勝ち抜くためのシナリオを作ろう!というご提案でした。

実際、知財部は、残念ながら、事業部、開発部から、あまり相手にされていない、というのが、現状なのかと感じます。そのため、もっとも情報を集めなければならない部署であるにもかかわらず、事業部、開発部から、まったく、情報が集められないという状況が発生し、三位一体の知財ができないと感じていました。
これに対し、情報は発信するこころに、集まってくる原則から、知財が、事業部、開発部に有用な情報を発信することで、自然と情報が集まり、いい循環が生まれることを提案されていました。ここで、集まってきた情報に対して、事業戦略のシナリオを作成して、事業提案、もしくは、事業の休止を提案すべき、というご指摘。

先生のご指摘では、大企業の話が主でしたので、これを、中小企業にあてはめてみますと・・・。当然、中小企業においても、知財部が自らの情報発信から、新たな情報を獲得して、会社へのシナリオ提案という観点は、大いにあてはまるかと考えます。

加えて、中小企業では、事業戦略が社長の権原で多く決定されているという側面に、この知財部の役割が、影響を与えるように思います。

中小企業の事業戦略は、多くが社長の権原で決定されており、誰もそれをとめられないことが、頻繁にあるように思います。この場合に、社長自身も、事業戦略の決定において、社内の誰かに、その決定は、違うのかもしれない、と指摘をしてほしいと思われている場合も多いのかと思います。

つまり、ある事業について、なんらかの事情で社長が、本音ではやめたいと思っていても、従業員や部下との社内の人的な関係などで、その事業をやめる事が指摘できないとします。
この際に、知財部が客観的なデータに基づいて、その事業は辞めたほうが、会社のためになることを、経営陣に指摘することが考えられます。
このように、事業の推進、休止などを提案する仕事は、今までは、経営陣と呼ばれる人がやるべき仕事でした。例えば、取締役や執行役員などが、このようなことを行うと考えられていたと思います。
しかし、現実としては、中小企業では、彼らは、社内の人的関係において、事業の推進、休止を、社長に指摘できないことが多々あり、それが、企業の決定的な判断ミスを招くということも多くあるように感じます。

そこで、知財がある意味、社長を取り締まる役回りとして、コア技術や、競合他社の研究状況等のデータに基づいて、人的なつながりを排除した、事業提案、休止を提案していくことが、社内の健全化に、知財部が役立つことかと考えられます。

そこまでくれば、知財部自体が、会社のコアとなりますね。
こんな知財部にしていけると、知財の未来は、明るいのかな。

(政策研究大学院大学は、六本木の奥地にありますが、大変、新しく、きれいな学校でした。黒人の方もいらして、グローバルな雰囲気でした。)

2010年9月19日日曜日

サービスのイノベーションの保護は、特許なのか?














オフィスグリコの“仕組み”は、特許になっているんです。

オフィスグリコというのは、グリコのサービスでして、会社の喫茶室などに、ひっそりと、グリコのお菓子を入れたボックスを置いておき、お菓子を取る人は、1つにつき、100円を支払うというものです。

似たようなもので、農家でみかけるのが、野菜を持って行ってもいいけど、100円を箱に入れてね・・というモデルがありますよね。これは、野菜を購入する村人が、良心的であるという前提からスタートしているビジネスですね。でも、お金を入れずに、野菜を持っていく人も、いるはず。世知辛い今日になっているにもかかわらず、このモデルを、いまだに見かけるのは、なぜか?

おそらく、この方法で販売している農家は、この販売で生計を立てているわけではなく、むしろ、野菜をつくりすぎたから、無料でも良いから、分けたい・・という考えなのでしょう。むしろ、お金を入れてくれれば、それはそれで、ありがたいし、無料だと、気持ち悪くて、誰も持っていかないし・・という考え方なのでしょうね。

グリコは、営利を目的とした法人ですから、こんな農家のように、流暢なことはいっていられないですよね。つまり、お菓子を持っていく人は、ほとんどの人が、お金を支払っていただかなくてはいけません。

オフィスグリコは、置き場所に工夫があったということですよね。
オフィスという、通常、社会的な規律を守る場においては自制が働きますし、周りの社員の信頼を失うよりは、100円程度を支払ったほうがよいと考えるでしょう。しかも、喫茶室という場所は、お腹と相談すると、やや財布のひもが緩みやすい場ではないでしょうか。

このようにして、オフィスグリコは、サービスのイノベーションを起こして、成功した事例と言えます。

このようなサービスのイノベーションは、どのように保護されるのか?
オフィスや喫茶室の利点を考えて、オフィスにお菓子を置くというアイデアは、どう保護されるのか?

実は、このオフィスグリコのサービス、そのものは、特許になりません。

オフィスや喫茶室の特徴を分析した成果として、オフィスグリコのサービスそのものを権利化することは、できないのです。

しかし、世の中では、オフィスグリコは、特許を取得していると言われています

これは、オフィスグリコの“仕組み”が特許になっているのであって、オフィスグリコのサービスそのものは、特許になっていないのです。

特許の対象としては、サービスなどの“決め事”が、排除されます。

例えば、「マリオが、きのこを食べたら、スーパーマリオになって、クッパを倒しやすくなる」というのは、特許の対象ではありません。ただの、決め事だからです。

でも、「マリオが、きのこを食べたら、スーパーマリオになって、クッパを倒しやすくなる」ことを制御するゲーム機、は、特許の対象なのです。
つまり、決め事を制御する“仕組み”は、特許になるのです。

したがって、オフィスグリコにおいて、「どのように、オフィスにお菓子を配布して、足りなくなったお菓子をどう補充すれば、利益があがるか」は、特許の対象ではないのですが、「どのように、オフィスにお菓子を配布して、足りなくなったお菓子をどう補充すれば、利益があがるか」を制御するために、設けたデータのやりとりや、判断の制御アルゴリズム(いわゆる、サービスの仕組み)は、特許になるのです。

多くの経営者の方が、ビジネスモデルの特許は、サービスそのものが特許になると考えられていることが多いように思います。しかし、ビジネスモデルを実現する仕組みが特許となるに過ぎません。したがって、オフィスグリコの特許があっても、このビジネスモデル自体の実施が特許の侵害になるのではなく、仕組みを実施した場合に、侵害となるということです。

ビジネスモデルで特許をとると、20年、権利が保護されますから、広告効果も大きく、株主や消費者にアピールになると言い得ます。しかし、その企業の経営者も果たして、仕組みを権利化しているに過ぎないことを理解されているのか、疑問であり、過度なアピールになってしまっているようにも思えます。

とはいえ、オフィスグリコのようなイノベーションは、しっかり保護されるべきです。“仕組み“で保護できることは、現在の特許法でも認められていますから、このサービスを実施する際に、不可避となる仕組みを盛りこんで、上手な権利化を図るというのが得策でしょう。

(写真は、犬のATOMです。妻のお母様に、お作り頂きました。ウーパールーパーみたいかな?)

2010年9月4日土曜日

ソフトウェア特許の意義
















「お先に失礼します。」

他の社員が働いている中で、自分だけが早く帰るのは、どの職場でも、なかなか、難しいですよね。

役割によって、仕事の緊急度合いも違いますし、なにより、本人がすっきり、明日も頑張るためには、早めの帰宅は、大切でしょう。

最近、流行のドラッカーでも、真摯さ、が大事だと言われています。真摯さとは、それに向きあう、ひたむきな思いと行動だと、私は、理解しています。そうすると、早く仕事を止めることは、真摯さが足りないのではないか、と思われる可能性もありますね。

ひたむきな努力に対して、ご褒美を与える制度の一つとして、特許制度があります。

特許の意義は、ひたむきな努力による研究開発の成果を、世の中に公開することで、その代償として、独占的な権利が付与されるという趣旨です。

じゃあ、ひたむきな努力による研究開発をしていなければ、特許を付与する意義がないか。

ソフトウェア特許は、「ひらめき」が特許になる傾向があり、いわゆる、研究開発部が研究開発を専用の仕事として、時間とコストをかけた成果ではないから特許を付与するのはどうかと思う、という議論があります。

例えば、知恵の輪を解くように、プログラムの独創的なアルゴリズムを生み出すエンジニアにとっては、ある課題を検討してから、3分でアルゴリズムを完成するかもしれません。

このエンジニアが、このアルゴリズムについて、特許をとりたいと望む場合、課題に対して、ひたむきな努力による研究開発の成果がはないから、社会としては、特許を与えるべきではないのではないか、とも考えられます。

「決定力を鍛える」という本で、チェスの世界チャンピオンである、ガルリ・カスパロフさんのセリフです。

「独創性というのは、努力である」、とおっしゃっています。

つまり、独創的なひらめきは、生み出すための時間やコストに関係なく努力の成果ではないかと考えられます。

なにも、研究開発部において、研究しているのみが、ひたむきな努力による研究開発ではないのではないでしょうか。

このエンジニアは、日夜、様々なプログラミングをして、アルゴリズムを研究しているからこそ、新たな課題に出会ったときに、だれも思いつかない、ひらめきが生まれるのでしょう。
そうすると、「ひらめき」は、形式的には、「ひたむきな努力」が不在のように見える場合もありますが、本課題以外の課題も検討していることで、結局、「ひたむきな努力」の成果物として、出てくるものではないか、と考えます。

ソフトウェア特許自体が、意義があるのか、については、簡単には、結論が出ませんが、形式的な研究開発がされていないからといっても、必ずしも、特許を付与する価値がないとは言い切れないのではないかと思われます。

しかし、この考え方は、発明者であるソフトウェアエンジニア達が、自らの技術の特許の保護を求める場合に、研究開発部がなくても、特許として認めるべきだ、という議論であり、発明者自らが、特許の取得を望まない場合は、当然ですが、当てはまりません。

先日、オラクルが、Androidに、java関連のアルゴリズム特許の権利行使をしました。が、これで、現在、主流のソフトウェアエンジニアが集中しているAndroidのソフトウェアエンジニア達が、オラクルに対して、嫌悪感をいだいているようです。これは同時に、現在、主流のソフトウェアエンジニア達が、ソフトウェア特許に対する嫌悪感をいだいてしまうことかもしれません。今後、発明者であるソフトウェアエンジニア自体が、他人の特許回避に対する苦労から、自らの権利の取得を望まなくなるケースも想定され、この場合は、ソフトウェア特許自体の存在意義は、失われていくかもしれません。

しかし、そもそも特許という独占排他権がないほうが、ソフトウェア業界として、望ましい形である、ということも、考えられます。

ソフトウェア特許が、ソフトウェアエンジニアやソフトウェア企業にとって、真に意味があるものなのか、今後の動きに注目していきたいです。

(写真は、奥日光の丸沼ダムというところです。ダムの麓のハイキングコースに、渡船があり、沼を周遊できます。沼は、周囲の緑を鏡のように写し、とても静かで、人と全く出会いませんでした。。)

2010年8月16日月曜日

トイレは友達














久し振りにあった、友人と遅くまで飲み、時計は、0:00をまわっていました。既に、家までのバスがないので、歩いて家に帰ることを決意。駅の改札を出ました。

そのとき、ふと、肩をたたかれる。 

いや、おれ、別に痴漢とかしていないし、なんで、ここで、肩叩かれるの、ケンカ、うられている?

と、ふりむくと・・。

近所に住んでいる、営業のマネージャさんでした。もともと、機会があれば、ゆっくり話したいということで、明日も休日、迷わず、二人で飲み屋さんへ。

普段、忙しい彼は、私とゆっくり話す時間もないのですが、会社の話やら、マラソンの話やらで、お酒も時間も、どんどん進みました(あとで、レシートを見たら、ちょうど徳利10本)。。 あれよと、3時30分で、店も閉店。

それじゃ、次の店へ・・とふたりとも、店を出て、帰宅途中に店をさがす・・。すでに、住宅地で、朝の4:00近くにやっている店は、新聞屋さんぐらい。さまよううちに、明るくなってきました。。まあ、じゃあ、次の機会にということで、惜しみながらも、別れる。

たまには、こういうのも、楽しいなー!学生を思い出すなー。

と思いながら、ヨタ足で、家にたどり着き、ドアを開ける。

もちろん、妻も、犬のATOMも、カンカンだ。

ただいまー。  

シーン。反応なし。

おやすみー。

シーン。

7時頃。

うげ、うげ、うげ、頭イター。

四つん這いで、水道に・・でも、だとりつかず。

水をいただけますでしょうか、と妻に物乞い。

そして、熟睡。
(妻は運良く、外出。)

12時頃。
トイレ、トイレ。だだだ・・。

トイレって、友達だなー。

すみません、これ以上は、記載ができません。

犬のATOMには、一部始終を見られてしまいました。

たまに、予想外に、夜を明かす友人は、大切ですよね!

ですが、二日酔いは、思ったより、若い時ほど、乗り越えられず。

反省、いたします。情けない。。その後、トイレの掃除。

(写真は、1年前のATOMです。今は、もっと生意気になりました。)

2010年8月9日月曜日

ビジネスモデルの網



















事業戦略と知的財産マネジメント」という本が、発明協会から出ました。

この本のシリーズは、今まで、特許や意匠などの知的財産法を、高校生などの初心者向けに説明した解説書でした。しかし、この号は、今までとは全く緊張感が異なり、このままじゃ、日本は、世界においていかれるよ、というメッセージが伝わってきます。ビジネスモデルの勉強としては、非常に参考になるのではないでしょうか。しかも、858円でお買い得。

この本の主たる著者である、妹尾先生が、先日、「最近は、経営のコンサルタントが、私にビジネスモデルについて、教えてほしいと、訪ねてくる」と、おっしゃっていました。
現状、世界のビジネスモデルが複雑化しているため、過去の、あるビジネスモデルで経営コンサルタントをしていても、他のビジネスモデルを取り扱えないと、もはや、経営コンサルタントとして、商売ができないということのようです。

従来は、知財マネジメントは、経営マネジメントと分離していました。
しかし、三位一体の知財マネジメントが提唱されて、結局、知財が先行して、経営戦略、事業戦略を行うという流れから、知財が、会社に最適なビジネスモデルを検討する・・という役回りになってきました。

ですから、世の中の複雑なビジネスモデルを知るには、知財マネジメントを知ればよい・・ということになります。

例えば、インテルインサイド!は、どうやって、お金儲けしたか?が書かれています。

ものすごく、単純化して説明しますと、コアとなるCPU(コンピュータの処理部)の部分は、ブラックBOX化して、インテル社しか作れないようにする。そして、そのCPUの周辺のインターフェースの部分(CPUに情報を入力したり、出力するところ)を、オープン化したり、標準化する。このインターフェースの部分は、オープン化されているので、台湾などのメーカが安く部品を提供して、広く普及する。この普及が、AMD等の競合会社を追い抜く程度に、すすむ。しかし、CPUは、インテルしか作れないから、台湾のメーカの部品を使っても、インテルのCPUを必ず使用する。これにより、インテルは、普及+コア技術により、大儲け。 といった感じです。

いやー、頭いいですよね。

入口は、広いから、みんな入っていくけど、出口から出るまでには、必ず、自社の製品を買わせてしまう、という感じですね。

このように、入口は、フレンドリーな顔をして、誰でも入れるようにして、出口までには、実は、ちょっと儲けていまーす、というビジネスモデルは、結構、流行っているような気がします。

Amazonって、僕ら自身よりも、僕らが買った本や、商品のことを覚えていますし、僕ら自身が気づかないぐらい適切な新商品の紹介をしてくれますよね。

つまり、僕らの脳みその一部が、すでに、Amazonの中にあるようなものでして、商品のレコメンド機能が便利ですから、商品の購入段階で、非常に入りやすい入口があります。そうしますと、他社と商品の価格を比べて、お店を選んで購入・・という今までの購買方法ではなくて、僕のことをよく知っているAmazonが推薦するなら、本を買ったほうがいいと思う・・・ということも起こっているように思います。これが、他社との、ものさしが大きくすり替えられた差別化になるのでしょう。

これからのビジネスモデル、ひょっとしたら、騙し合いのような感じもしています。
でも、インテルにしても、Amazonにしても、消費者はハッピーですから、幸せに騙されている??

日本の企業も何か世界にしかけてみたいですね。

(写真は、大昔、プーケットの海に潜ったものです。あまりに猛暑ですので、こんなことしたいな・・と思いまして。)

2010年7月31日土曜日

日本人のコアとなるもの



















3月に、外国人看護師の試験で、3人が合格したというニュースがありました。
3人が少ないというのは、言うまでもありませんが、試験を受けて、不合格であったフィリピンの方のセリフが印象的でした。

「不合格であったのは、自分の責任ですが、看護自体の技術が日本でそれほど高くないことに勉強中に驚きました。」という趣旨の内容でした。

私は、日本の医学は、世界的なレベルなのだと思っていたので、当然、看護も世界的なレベルなのだろう・・だから、東アジアの外国人合格者の割合が低いのかな・・・と思っていたので、この発言は驚きました。

どうやら、フィリピンでは、国家的に看護に力を入れていて、数多くの看護師を世界に排出しているようです。日本でもフィリピンパブが成功しているように、女性が労働に積極的で、そのフィリピン人女性の特徴を活かして、フィリピン政府は、国家的に看護に力を入れたと思われます。このように国家戦略で看護に立ち向かっている国と、グローバルな視点で、看護のレベルを比較したときに、日本は必ずしも高くないのだろう、と想像しました。そして、単なる日本語の壁と呼ばれる権益で、残念ながら、優秀な外国人雇用の参入障壁を形成しているのだと思われます。

東アジアの国々は、我々が思う以上に、高度な技術を備えはじめているのでしょう。彼らの、世界から学習しようとする、謙虚さでは、日本が負けてしまうかもしれません。また、慣れない日本語を勉強して、専門性のある資格に合格するハングリー精神も、負けそうです。

これからの日本を考えると、ちょっと、心配ですよね。

企業の知財を考えるとき、その会社のコア(強み)となるものは何か?という、議論になります。

たいていの会社は、競合会社が多数ありますので、その会社が伸びた根本的な理由となるもの、例えば、販売している製品の技術的な優位性であったり、製品を 完成するスピードだったり、サービスの独自性だったり、営業手法だったり・・、このような会社のコアがあるはずです。

この会社のコアが、技術的な優位性である場合は、特許をとって、その製品を独占して販売する権利を得ることができます。

デザインが、コアであれば、意匠をとって、そのデザインを独占することができます。

この“会社のコア”は、会社の設立時に、コア自体を意識することは、あまり、ないような気がします。
つまり、会社を起こすために、コアを何にするか考えて、会社を始めるのではなく、例えば、技術的な優位性がある製品を作ったから、会社を起こして、事業を 成功にする・・。会社の成功を、あとで振り返ると、製品の技術的優位性が、競合を抑えて、よく売れたんだ・・という流れですね。

会社のコアについて、経営者が意識するタイミングは、先のコアが事業で成功して、次の一手を考えるタイミングあたりだと思います。

コアを考えるヒントとして、もちろん、その会社の今までの成果を分析することも大事ですが、我々が、日本人であるという側面からコアを分析するというのも 面白いかと思います。

つまり、会社を構成するのは、社員であり、社員は日本人であるから、日本人であるという特徴が、会社のコアに出てきているのではないか、という発想です。

日本人の、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義の特徴は、日本の電気メーカや、自動車会社の世界的な成功に表されているように思います。つまり、これらの特徴を活かして、会社のコアとなる、技術的優位性で、競合に勝負するという発想です。

しかし、今、会社のコアを考えるにあたり、現在も、日本人の、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義、という特徴から、技術的特徴のみを会社のコアにしていくことは、単純 には、妥当ではないように思います。

つまり、先の看護師のエピソードのように、他のアジアの方も、同様に、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義を備えており、世界の技術的レベルがそこまで来ており、ひょっとすると、日本の技術を過信しているおそれがあるのではないかと思います。

また、日本人の特徴を考える際には、我々の親父の世代である、“昔の日本人”の特徴ではなく、“今の僕らの日本人”の特徴を見なくてはいけません。

僕らの特徴が、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義にあると思えますか?

そして、そのきめ細かさ、誠実、謙虚さは、フィリピン人看護師に負けていないですか?

いや、正直、僕は、負けているかもしれません。

すなわち、この日本人の特徴は、もはやグローバルなコア(強み)にならない可能性が高いのではないでしょうか。

それで負けているとしたら、僕らは、何で戦うべきなのか?

これに対する明確な答えがないから、今、日本の不況が長く、続いているのかもしれませんね。

(写真は、何年か前の8月の戦場ヶ原の白樺です。今もこんな感じかを想像して・・。)

2010年7月26日月曜日

「もしドラ」オススメ本です。















今さら、ちょっと遅いけど・・、と思いながら読み始めました。

最後のクライマックスでは、行きの通勤電車で、一人で、おえつ・・していました。。

泣けます。。単純な話なのに。。

小説形式になっていまして、女子高生のマネージャーが高校球児と、監督である学校の先生をまきこんで、甲子園を目指すありがちなストーリー。

登場人物が作り出す、最初の野球部の雰囲気が、会社や学校など、どこかで出会ったことがあるような雰囲気で、自分と重ねあわせてしまう。つまり、周りの人は、基本的には、いわゆる「いい人」で、悪い人ではないんだけど、ちょっと癖があったり、臆病だったりする。そのため、集団の雰囲気は、とても、甲子園のように大舞台を目指せる雰囲気ではない。

これらの人を、まとめて、どう一つの目標に向かっていくのか?

最初は、さすがに、ドラッカーの教えを素直に、ご教示いただくところありますが、そもそも、ドラッカーって、難しくて、良くわからないんですよね(すみません、以前、私は、眠くなってしまい、全く価値がわかりませんでした)。
だいたい、こういう本は、一度読んだだけでは、よくわからなくて、自分が人生において、同じような境遇に来たときに、ああ、そうだな・・と振りかえって、価値がわかる・・みたいに、結構、時間をかけないと、理解出来ないことが多いですね。

この本は、違いました。

例えば、「企業の目的を考えることは重要である」、「顧客は誰か?こそ、企業の使命を考えるうちで、最も大事な問いである」と言うような・・非常に抽象的な命題・・。こまりますよね。。

主人公は、当然、「野球部の使命って、何?」とか、「“顧客”って、野球においては、誰なの?」という難題にぶちあたります。

彼女も、顧客が、野球を見に来るお客さんではないことは理解します。

この答えを、考え続ける彼女は、部員と話していて、「野球部にとって、顧客とは、“野球部員”である」、ということを発見します。そして、野球部の使命とは、「野球によって、見ている人に感動を与えること」ではないか、という結論に達します。

すごいですよね。この解釈力。

普通、あきらめると思いません?野球部の使命を考えたり、顧客をあてはめるために、野球部にとっての顧客とか、考えるのって?

というわけで、最初のうちは、ちょっと勉強モードですが、慣れてくると、ドラッカーが当たり前になり、甲子園を目指して、試合を進めるあたりは、涙で、ぐしゃぐしゃになるでしょう。。

なぜなら、彼らの使命は、「感動を与える」ということですから・・読者である我々も、感動が大いに与えられてしまいます。。

私は、・・朝の行きの電車で、ぐしゃぐしゃになっていました。。

モチベーションを上げたい方に、おすすめ本(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)です。

2010年7月17日土曜日

「ゲゲゲの女房」より(その2)



















連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」では、水木しげるさんが、ついに、メジャーデビューを果たし、大手の出版社で、週刊連載することになりました。遅い46歳のメジャーデビューということです。

この大手の連載について、これまで、赤字経営の貸本雑誌出版社として、原稿を依頼していた編集長は、「メジャーデビューは、大変、喜ばしい。水木漫画は、もっと、子供達に読まれるべき・・。」との喜び。

これに対して、編集長の秘書は、

「このデビューで、水木先生は、原稿料の違いから、貸本漫画を書いてくれなくなる。今度、連載する「墓場の鬼太郎」は、水木先生がうちの雑誌で出していたのに、もっていかれてしまう。今まで、うちが育ててきたのに・・。社長、だからうちは、赤字経営なのですよ!」と指摘します。

いわゆる、出版権の問題です。

キャラクターそのものは、著作物にならないので、「鬼太郎」に著作物性は、ありません。
したがって、「墓場鬼太郎」のシリーズ、そのものを、貸本漫画出版社は、保護することができません。

一般的には、このような場合、出版社は、漫画家と、「他の出版社で、このシリーズの出版を行わない」という契約を行うことで、シリーズ物を他の出版社で出版させません。しかし、ドラマのような赤字の貸本漫画出版社では、そこまで、契約に力を入れていたとも考えにくい。

ドラマでは、そのような、ビジネス上のやりとりは、特になく、ただ、ただ、貸本雑誌出版社の編集長は、「メジャーデビューは、喜ばしいことだよ」として、水木しげるさんの成果を喜ぶ。

この社長は、ただの「おひとよし」でしょうか?



この編集長は、もともと漫画に対する情熱が高いため、漫画の編集長になったと思います。

そうだとしたら、自分が、まだ売れていないときに、才能をみこんだ漫画家が、世の中に才能を認められて、大きな漫画家になるとしたら、自身のビジネスを超えて、どんなに嬉しいことか、と思うでしょう。


先日、「お金だけをおっかける夢なんて、つまらん」という、お言葉を、とある経営者の方から頂きました。


「漫画を通して、人を育てる夢」があって、その一部に、ビジネスがある。というのが、編集長のポリシかもしれません。

まず、夢があって、道具としてのビジネス。

今の時代でも、できるのでしょうか?

見つけたいですね。

2010年7月3日土曜日

ハードウェアの幻想


「アニメの殿堂」の建設って、どうしたんでしょうかね?

最近、聞きませんね。。

国や地方のお役人さんが公共工事をするために、新しい建物を建てることは、だいぶ減ってきたと信じたいです。ですが、一般的に、何か新しい組織、団体、集まりを作るときに、まず、建物から・・というハードウェア主導の思想は、ある意味、自然な考え方だと思います。

ハードウェア主導の思想は、人は、継続して目に入るものでないと、その対象を継続的に、意識し続けられない、という習性から、生じるのではないかと思います。

ここで、その新しい組織の質を評価するときに、東京の一等地に、ガラス張りで日当たりのよい高層ビルにコストをかけて、入館式をやれば、とても良い組織ができたと思い込んでしまいますね。。確か、消費者庁なんかも問題になりました。

もちろん、「建物」というハードウェアを離れた、組織の質を評価する必要があります。

最近では、ネットショッピングなどのネット系のサービス会社は、「会社の建物」が立派でなくても、「ホームページ」が立派な場合があります。IT系のビジネスでは、「ホームページ」という、言わば、「ハードウェア」が最もらしければ、会社の質が高かったり、信頼があると判断されるように思います。

しかし、評価されるべき会社とは、たとえ、ホームページが流行の見た目でなくても、来客いただいた顧客に、社員がすすんで挨拶をするような組織かもしれません。
つまり、その組織を構成する「人」が、社会的に、道徳的に、評価される行動を、その組織にいて、自然ととれることが、組織の評価軸かもしれません。例えば、挨拶で、、、例えば、メールの文章で、、例えば、請求書の項目で、、評価されるときです。

「建物」や「ホームページ」は、その組織を構成する人を、具現化する一つの手段でしかないはず。

それでは、組織の質は、どうやったら捉えられるか?

その組織を構成する人と、お酒を飲むことかもしれませんね。

(写真は、徳島にある、大塚国際美術館です。この「最後の審判」は、陶器で出来ています。夏休みにおすすめのスポットです。偶像崇拝も、ある意味、ハードウェア主導の考え方かと思ったので。)

2010年6月28日月曜日

そこには、何もないのに


ATOM(写真のジャックラッセルテリア)の散歩の帰り道は、大変です。

散歩の行きは、余裕です。

これから始まる楽しいことで、頭がいっぱい。
今日は、どんなお友達に会えるかなー。

グランドに着くと、お友達に、こんにちは。
グランド中を一緒に走りまわったり、じゃれあったり。

今日も、楽しかったね、と、お友達に、さようならをして・・。

家路につくと・・。

まず、きっちり、おすわりをします。
つまり、全く歩きません。

帰りたくないー!という、強力なオーラが出て、お座りをして、固まる。。

強引に、リードを引っ張ると・・。

しかたなしに、後ろをついてくる・・。

しばらくすると、そっちじゃないでしょ、と言わんばかりに、僕の足首を噛む。。

痛い。。しかも、歩きにくい。

ATOM!

もう、お友達もグランドにいないんだから、もどっても遊べないんだからね。

仕方なく、ついてくるATOM。。



そう、なんです。

もう、グランドに戻っても、お友達がいないから、遊べないんです。

でも、グランドに戻りたい、ATOM。


ATOMは、おろか、人でもそうですよね。

例えば、面白いテレビ番組を見たあとに、次も面白いと思って、だらだら、引き続き見てしまう。もう、面白い番組は終わったのに。

もう、そのビジネスモデルでは、儲けられないのに、昔、儲けたモデルにしがみつく・・。そこには、もう、何もないのに。。

2009年では、特許庁の発表によりますと、国内の特許出願数が、この20年で最低の出願数になりました。私は、10年後には、今の出願数(約40万件)の半分になるぐらいが、正常化しているのではないかと思っています。

残念ながら、今の日本では、社会的に意義がある特許が、年間40万件も生めるほどの、豊かなアイデアと、明るい社会では、ないと思います。つまり、無駄な特許出願が、まだまだ、多いのではないかと思っています。
40万件も、良いアイデアが出る国であれば、特許に限らず、政治であっても、事業においても、いろいろな分野で、グローバルの舞台で、日本がもっと活躍しているように思います。

このような流れの中、日本の知財のビジネスは、いつまでも特許出願数のビジネスモデルを基板としたフレームワークで良いのでしょうか?

そこには、今では、何もないのでは、ないでしょうか。

(写真は、高幡不動の山紫陽花です。お寺の周りを山散策ができるみたいです。あと2週間ぐらいが見頃かと。)

2010年6月19日土曜日

水木しげるさんのコダワリ


NHKの連続テレビ小説、「ゲゲゲの女房」を時間があると見ています。

水木しげるさんは、彼の作品が、オドロオドロしい画風だったり、暗いストーリーであることから、大ヒットの「鉄腕アトム」とは雲泥の差で、なかなか、若い頃にヒットにつながらないことが、描かれています。

じゃあ、鉄腕アトム書けばいいじゃん!

って、思いませんでした?

子供のミルクもないなら、鉄腕アトムもどきを書けばいいじゃん!

って、思いませんか?

僕の大学の先輩は、理系出身なら就職したい会社ナンバー1の会社に大学卒業後、就職して、研究者として勤め始めました。

その後、何を思ったのか、会社を退職して、九州に行ってしまい、楽器職人になりました。
彼に調整してもらった楽器は、違う楽器かな?と思うぐらいに、素晴らしい楽器に生まれ変わります。
日本でも有数の楽器職人であると僕は思っています。

しかし、現状をお聞きすると、決して仕事は安定しないということです。

なんで、一流の会社やめちゃったの!

って、思いませんか?

自分が正しいと思って、行動したり仕事をしたりすることと、
それを社会が応えてくれる評価(経済的見返り)は、異なるということではないかと思います。

じゃあ、水木しげるさんは、鉄腕アトムもどきを、かけばいいのでしょうか?


先日、飲んでいる時に、若い人から、「仕事って何ですか?」と聞かれました。

僕は、「自己実現の最高の場所であるべきもの」、と思っています。

日常生活で、「あっ、これって、人より、自分の方が得意かも?」って思ったことを、どんどん伸ばすことがその人の長所を伸ばすことなのではないかと思います。

もともと得意なことを、さらに伸ばすと、ほとんどの人が、追いつけなくなり、周りの中で飛び抜けた人になるでしょう。
そして、その得意なことを、仕事とするならば、自分の長所を活かす仕事となり、自然とやりがいも感じられますね。

こういう状態である「人間の活動」が、「仕事」であるべきなのではないかと思っています。

この場合、「仕事をやって稼いで生きる」ではなく、「仕事により自分が活きる」となりますね。

現在の日本では、リスクを恐れるあまりに、若い人から既得権益の方々まで、後者の考え方ができなくなっていると思います。
自分が活きることは、ある意味、生きるより大事なのかもしれません。

水木しげるさんが、鉄腕アトムもどきを書かなかったのは、何故かはわかりません。

ですが、自分を活かすことが生きるより大事なのだ、ということを教えてくれるような気がします。

(写真は、近所の獣医さんの猫ちゃんです。熟睡していて、置物かと思ってしまいました。)

2010年6月1日火曜日

業務発明の拡大




















中小企業では、例えば、社長がアイデアマンで、そのアイデアを製品化することで、会社の売上を伸ばし、業績を向上させるといったことがあります。

また、大企業では、製品企画部や製品開発部で、新しいアイデアが生まれて、製品化されたりすると思います。

それでは、社長でも、製品企画部、製品開発部でもない、総務部の人や人事部の人は、その会社の製品のことを考えなくて良いのでしょうか?

それは、違うと思います。

自社の製品であれば、その製品を良く知りたいと、自然と好奇心がわき、総務部である自分の視点で、その製品に対するアイデアを考えるのが、社員として自然な行為であり、会社としても望ましいのではないでしょうか。

ひょっとしたら、その規格の製品が「備品管理システム」で、総務部のアイデアの視点が消費者目線であるかもしれません。

また、総務部の社員の個人的な趣味が写真である場合は、その製品が写真編集ソフトであれば、非常に貴重なユーザ視点でのアイデアになるかもしれません。

つまり、その製品を販売する社員の全員が、製品開発部の社員となって、各人の部署や、各人の個人的な視点で、会社の製品に対するアイデアを創出したら、製品の力が莫大に向上するのではないでしょうか?

そのためには、自社の製品のアイデアを提案しあうという社内の雰囲気作りと、システムづくりが大切です。これができれば、社員全員が、アイデアマンである社長であり、製品開発部の社員でありますから、会社を強力な武装会社に変身させるとともに、製品づくりとは直接的に関係がない社員が、製品に対して愛情を持つかもしれません。つまり、会社の社員全員で作った製品・・という意識作りができるかもしれません。さらに、いわゆる企業内の知的資産の増加につながると考えられます。

特に、昨今のITソフトウェアの業界では、技術革新があっても、売上を伸ばせるとは限らないといわれています。製品の捉え方、見せ方によって、大きく企業業績が左右されます。

したがって、製品に対する多面的な捉え方及び、多数の人の意見に耐えうる製品開発が求められているように思います。

蛇足ですが、この場合は、職務発明ではない場合が発生してしまいます。総務部の人は、職務としてアイデアを考えていなので、業務発明となる場合があるのです。業務発明となる場合は、特許を受ける権利が会社に帰属しない場合が発生してしまいます。
そうなると、総務部の人の職務として、10%は、会社の製品提案を行う・・等を勤務規則で定める必要があるのかもしれませんね。

2010年5月24日月曜日

小さな変化から














テレビで、沖縄基地の県外移設について、地元の専門学校生達に意見を聞いていました。

彼らは、米軍基地の関連の会社に就職することで、離職率の高い沖縄でも、安定した職業を得ることができるということらしいです。とはいえ、彼らも、米軍自体は、平和や環境問題を考えたら、本当は、いなくなるべきだと思う・・・・という矛盾した気持ちを、抱えているようでした。

この問題、難しいですよね。

なぜなら、平和の問題と、不況下の経済の問題が入り交じって、
じゃあ、県外移設しましょうとか、しませんとか、二元論では解決できないですよね。

じゃあ、どうするか?

必ず解決できるわけではないかもしれないけど、解決する可能性があるような「種」を、蒔くべきかと思います。

イノベーションのジレンマ」という本では、(僕も勉強中ですが・・。)「小規模な組織に小さなチャンスを与える」ことが、破壊的イノベーションのきっかけを作るとしています。
企業の中で、最初は利益率が低い部署が、既存の利益率が高い部署の売上を追い越すことが、ありますよね。ガソリン車が全盛の時、ハイブリッド車は利益率が低かったと思いますが、その後のトヨタを救うことになるとは、誰も思っていなかったと思います(ハイブリッド車ももはや、電気自動車に抜かれそうですが・・・)。
つまり、大きな変化を起こすためには、最初は効果が小さくても、小さな所から始めるべきなのかもしれません。

小さな一歩として、沖縄の経済的な自立を日本中で支援しましょうよ。
ひょっとしたら、沖縄が、米軍基地に依存しない経済都市になるかも?

例えば、沖縄の人たちが、基地での収入に頼らないようにするために、
日本の企業(ITやコンテンツ作成、ゲーム企業のように、あまり場所を選ばず知的な仕事が出来る企業)の設立を促すのは、どうでしょうか?
応募してきた企業を審査して、合格すれば、沖縄での設立補助金を出すとか、沖縄なら法人税を一定期間、下げるとか、沖縄なら1,2年間、融資を受けられるとか・・・・。
そんな、税金の使い方なら、事業仕分けされませんよね。

現在の米軍基地と同等の経済規模という意味では、すぐに、成果が出ないかもしれません。
また、基地の騒音がうるさくて、企業の誘致も難しいかもしれません。

ただ、こういう政策って、希望が持てる気がします。

日本をすこしずつ「育てる」ような、種を蒔く政策が行える政治を期待したいものです。

2010年5月12日水曜日

特許が大事な会社















黒字経営ができて、それなりに成功している会社であれば、
コアとなる技術、ノウハウ、営業、人材、チームワーク、スピード等の知的資産を有していますよね。
しかし、通常、その会社を支えるコアとなる知的資産は、多くないはずです。
つまり、ある会社は、営業がコアで、事業が成功しており、ある会社は、スピードがコアで事業が成功しているといったように、コアの知的資産を複数もつ会社は、あまりないと思います。

そのコアが、技術革新であれば、特許を出して、事業を守るべき。
この場合は、その特許は、事業に大きく影響を与え、会社を支える本質に成り得ます。

でも、他の要因であれば、会社の事業の本質を支えるのは、特許ではない。

あたり前なのですが、これが、大きな前提なんですよね。

つまり、研究開発の結果や、発想力の奇抜さで、技術革新がある会社は、特許が事業の本質になります。
知財部としてのやりがいは、こういう会社にこそ、あるのかもしれません。

むしろ、それ以外の会社は、特許よりの従来の知財経営はできず、
コアとなる知的資産をどう経営に活かすかを考えることが、知財戦略になるということですよね。

後者のような知的資産経営を、知財部がやっていく時代もくるのでしょう。

2010年5月10日月曜日

東日本国際親善マラソン

10Km完走できました!

いやー、思えば、
1月は、3Km走るのが、やっとでした。

そして、3月の5Kmマラソンは中止。

この流れで、10Kmは、ちょっと冒険でした。

順位は、なんと! ジャスト1000位! しかも、1065人中・・。

すごく、格好、悪いですよね。。

これでは、やめられないですな。。

でも何故か不思議と、体をボロボロにする、快感を感じ始めている気がします。
ボロボロなのに、そこから新たに、スタートをきるような感覚。
これって、マラソンだけじゃなく、仕事とかにもあるような気もします。

次回の山中湖マラソンは、13Km。

1時間10分の完走を目指します。

(写真は、奥日光、湯の湖で、バス停近くに、ヒッソリと咲いていた、水芭蕉です。春のほんの始まりでした。2010年5月5日撮影)

2010年4月29日木曜日

弁理士バー













半年ぐらい前ですが、20代ぐらいの若手弁護士がバーで相談を受けるというのが、話題になりました。
ですが、弁護士会から、お叱りを受けて、結局、営業できず・・らしいです。
個人的には、仕事がない若手弁護士が、ユニークな発想で、営業の販路を見出したな、と思いましたが。。

なぜ思い出したかといいますと、先日、TVで、今度は、税理士がバーをはじめた話を聞いたからです。
そしたら、当然、税理士会も動くのかな??

僕らの業界も、弁理士バー!あっていいですよね。
だいたい、発明の話とか、商品企画の話は、少しお酒がはいると、話し的には、面白くて、盛り上がる。
(発明として成立するかは別問題ですが。。)

先日、ある事務所の所長さんに、そのお話をしたところ、酔った勢いもあって、興味を持っていました。
ですが、こちらも、弁理士会に目をつけられてしまうのでは、との落ちで、二人とも言葉が出ず。。


先日、元気がある病院ということで、ワタミの会長の話をききました。ワタミグループが潰れそうな病院を買収して再建しているということです。病院を、「患者に対するサービス業」として、見直されているらしく、
一般の患者さんにも、コンシェルジュのような人が、待ち時間や不明点がないか等を気にして、話しかけてくれるらしいです。

ですが、ワタミグループは、株式会社であり、法上、株式会社は、病院を経営できないため、会長の渡邊美樹氏個人として、いくつかの病院を経営しているということでした。

日本医師会のコメントとして、株式会社が病院を経営することは、人命よりも利益を優先する人たちに、病院の経営を任せることになるので、許されない。というコメントでした。

そんな、わかりきった、19世紀のようなコメントで、地方の病院を潰している原因の一つは、あなた達のそのような頑固な既得権益を守る考え方が原因では?・・と思ってしまいました(ちょっと、言い過ぎでした)。

ワタミグループが、ある程度、経営重視で、経費を削っていることもあるかもしれません。
でも、利益のために、人名を落としたり、診察を怠ったり、当直の人間を減らしたら、それこそ、患者さんは、来なくなりますよね。公的機関についても、アダム・スミス的な要素も取り入れるべきかと。。

弁護士会や日本医師会・・。
日本を良くしようという人たちのアイデアは、力を持つ人達に、ゼロにされてしまうのでしょうか?

でも、ワタミ会長は、おそらく、こういう勢力に対抗するつもりで、会社を個人で立ち上げたのでしょう。

僕らも、会長に習って、既得団体に負けないように、
そして、これらの団体をいつか変えられるように、一歩踏み出したいです。

2010年4月25日日曜日

人相手の仕事













「うちの会社は、お客さんに情報を、ちゃんと開示しない体質だと思うんです。」

知り合いの後輩の一言でした。

彼は、会社を好きでいる、いや、好きでいたいのは、日頃の彼の言動から見て、僕にはわかっていた。

しかし、顧客と上司との狭間で、現実のやりとりから、絞り出された一言に違いない。

僕は、社会人になって、最初の仕事は、ITのカスタマーサポートでした。

理系の人間、特に、ソフトウェア・プログラムに関わる人間は、論理的に筋を立てれば、必ず、結果通りにいくことが好き、もしくは、結果通りにいくことに美しさを感じて、その道に進んでいるように思う。少し理想主義的なところがあるように思う。

だが、人間相手では、そうはいかない。

論理は、現実により、曲げられ、かつ、もっとも妥当な良案は、採択されない。

それは、仕事だから。

と、自分を納得させて、前に進むしかない。

この認識を持ちながら、カスタマーサポートの仕事を続けられたことは、自分にとっての大きな収穫だったのかもしれない。

会社が、顧客に情報を開示できないのは、会社に体力がないから。
それがあまり良くないことは、君の上司もわかっているけど、会社にとっては、その道をとるしかない。
むしろ、情報を開示しないことを問題視している君が、その思いを持ち続ければ、いつか、会社が体力がついたときに、情報を開示すると思う。

僕の答えは、彼に届いたかは、わからない。

自分の会社は良い会社だと信じたいのに、会社に島流しにされたようなとき・・。

会社の改革に乗り出せますか?

そんな、立派な大人の対応できないですよね。

でも、やるべきだと思います。

あ、いや、明日、行動するのは厳しいと思います。

でも、その気持を忘れずに、いつか、旗揚げをする日(上司が自分の話にきちんと耳を傾ける日)を待ちましょうよ。

だって、それは、会社にとって良いことなのだから。

2010年4月19日月曜日

特許請求の範囲を決める軸



特許権は、自分が独占権を主張できる権利だから、
特許権の技術的範囲は、できるだけ広い方がいいです。

・・というセリフは、結構、教えてくれますよね。

でも、広いって、どういう広がりなんでしょうって、思いませんでしたか?

この問題って、非常に難しいように思うのですが、言葉(単語)の広がりで考えてみましょう。

例えば、文言上、「ゴム」と書いているところを、
「弾性体」という言葉に置き換えることで、特許の範囲に「バネ」を含めることができます。
つまり、日本語の大概念の選択により、広さの面積を広げ、権利範囲を広げることができます。

次に、分野における広がりがあります。
例えば、ソフトウェア発明で、ユーザが使用する発明であれば、
「パソコン」を、「ユーザ端末」とすることで、「携帯電話やスマートフォン」を含めることができます。

この作業は、「パソコン」とともに、「携帯電話やスマートフォン」も、あわせて思いつくことにより、
その共通性を見出して、共通性を表す言葉として「ユーザ端末」を搾り出すわけです。

つまり、特許の権利範囲を広げるには、

1.自分の実施する用語を特定する。
2.他の実施の用語も推測する。
3.共通性を抽出する。
4.共通性を表す言葉を使用する。

という過程が重要になるように思われます。

この、「2」の作業の際に、センスが要求されるわけです。
つまり、この「2」の作業は、「広さ」の面積のための、“方向ベクトル”を決めるのです。

例えば、ソフトウェア発明で、「携帯電話」と特定した場合に、「電子書籍端末」が思いつく場合は、センスがいい広がりのように思います。

なぜなら、将来的に、「携帯電話」で起動できるソフトウェア発明ならば、同様に、「電子書籍端末」でも起動できそうです。また、「電子書籍端末」の端末自体も世の中に非常に売れそうだからです。

それでは、「携帯電話」の発明で、「電子辞書」が思いつく場合は、どうでしょうか?

「携帯電話」で起動できるソフトウェア発明ならば、同様に、「電子辞書」でも起動できそうです。
でも、電子書籍がこれだけ普及しているのは、日本だけかもしれませんよね。
悪く無いですが、もう一歩。

というわけで、特許請求の範囲の広さを作るには、
「市場の動向から、近い将来に売れそうなもの」という展開軸が、一つの良好な軸になるのかもしれません。そして、その軸から作られる面積の網にかかる、獲物の量により、面積の妥当性を確認するのです。

もちろん、権利は20年あるんだから、遠い将来にかかる獲物も予測したいのですが、IT業界については、予測が非常に複雑です。これは、ビジネスモデルが複雑に乱立しているからではないかと思います。現状では、3,4年後の未来すら、ほとんど予測できないように思います。

そこで、少なくとも、現在わかる範囲での技術動向を知って、今後、流行りそうな技術に基づいて、「2」を判断するのが重要のように思います。

(写真は、特許請求の範囲の網に捕まった、アトムです)

2010年4月8日木曜日

入社式

















何年かぶりに、入社式に参加させてもらいました。

普段は、ラフなジーパン姿の社員や幹部も、全員スーツで出席。


「一堂、礼」

「着席」

「ただ今より平成22年度・・・」

・・

「続いて、会社理念の復唱・・」

確かに、会社って、学校でないから、卒業式も、始業式もないですし、入社式って、唯一の公式行事なのかもしれません。

新入社員の不安と期待でいっぱいの立ち振る舞いを感じながら、力のある新入社員の宣言を聞く。


初心を思い出しますよね。


何のために、働いていたんだっけ? って、10年以上働いている自分も確認できる、気がしました。


入社式、結構、いいです。

今年も、いい会社と、いい社会、作っていきたいです。


今日は、親父の誕生日。連絡しなきゃ。

2010年4月5日月曜日

お蕎麦屋さん

















うまい、お蕎麦屋さん、みつけちゃいましたー。
川越街道沿い、中古車屋さんの中に、いまどきの和風の建物でした。


まず、入ると、ナラの木とか、杉の木の色が、壁の白色に生えて、
癒し空間が展開!
建物の天井が高い! 背が高い自分には、開放感ばっちり。

天ぷらそばのかけ、胡麻だれせいろ、みそ田楽
を、頼んじゃいました。

正直、「かけ」どうかなーと思っていたのですが、

鯖だし、さばだし、サバダシ!
これが、鯖だし、なんですよ。。って、はじめてですが。。

体にもいいし、日本料理って、すばらしい。

「そば自体」は、すこし、モッチリ気味で、レベルが高いので、毎日、食べれる感じではないかもしれません。ちょっと、高級な蕎麦食べてます、って感じでした。

私の少ない蕎麦知識では、鯖だしが、蕎麦つゆの生涯で一番でした。

帰り際に、店長さんが、腰を入れて、懸命に、そばをこねていましたが、その腰には、コルセットのようなサポーターが。。
店長さんの気合まで、頂かせていただきました。。

是非、夜にしっぽり、したいですね。


そいえば、今までで一番良かった、蕎麦屋って?? という話に、かみさんと。

自分が忘れないために、おすすめの蕎麦屋をリンクしておこうっと。


上野の翁庵
歴史的な建造物?ですが、テレビでやらないんですよね。。ネギせいろ大盛り、ばっかり頼んでいます。
ネギせいろなのに、天ぷらが食べれるのでラッキー。二階席行くと、仕事する気なくします。

稲荷町の砂場です。浅草によく行ったときに、お世話になりました。
麺が上野に比べると、ちょっと太いので、ガッツリ系にいいかも。稲荷町、降りないんですよね。

水上の角弥さんです。
谷川岳へ行く際に、絶対、よりたいのですが、車でないとよれない。。
そば、そのものの味としては、ここが一番じゃないかと思っています。

東池袋のあさひ本店さん、です。
辛い毎日に、このお蕎麦で、なんど癒されたことか。。
ガッツリ系のひとも満足です。お世話になりました。

あと、田原町に、桜えびの天ぷらがおいしい、蕎麦屋があったのですが。。
店が思い出せない。。新そば、頂きに行きましたが。。

次回は、“とんかつ”、でいきましょうかね。

2010年3月28日日曜日

門出


















巣鴨には、春がきていました。

一緒に弁理士を目指している大学院の後輩が、修士課程を卒業して、この春、大手メーカに就職。

しかも、知財部ということで、この厳しい時代にも、自分の希望どおりの就職が決められたのではと思います。

嬉しいです、よね。


先日、九州の大御所弁理士に、お会いしました。
弁理士会でも、実務的にもよく名前を聞く先生で、私自身も、緊張しながらの飲み会。

「今は、30代に、仕事があがられないんだよね。」

僕が、「これからの若い弁理士って、どうですか?」という質問をして、
最初の先生のセリフでした。

実際、リーマン・ショック以来、業界の仕事量は壊滅的に減少。

だけど、もう、それから1年以上経っているわけだし。

「全く、ないよ。あげられるものが。」

もう、何も答えが無いのでしょう。


僕の大学の後輩は、どうなるんだろう。


間にいる、僕らの責任かもしれない。

誰かが、この大御所弁理士に、新しい弁理士の未来像を提案しないと、弁理士の未来は変えられない。


特許事務所の従来からのビジネスモデルは、明細書作成による売上を根本としており、大御所の先生も、それ以外は、現状では、ビジネスとして成立しないと思われていると思う。

現状では、大きな特許事務所では、実際、そうなのかもしれない。

明細書作成は、法律文章の作成であり、かつ、技術にも精通していなくてはならず、非常に専門的な仕事だと思う。

職人が生き残るという意味で、明細書を作成する弁理士の社会的な役割は残ると思う。だけど、それだけだと、なんだか、国宝級の壺の職人とか、勲章とかもらう職人みたいな感じかと思います。


弁理士が、ビジネスの中心にいたい、というのが僕の考えです。


少子化+中国の驚異により、日本が、これからの30年間で戦えるのは、知財しかないと思うんです。他に、なにがあるか、僕には検討がつきません。


日本人のクリエイティブさを、今まで以上に創出して、国際的にも権利をきっちり守っていきましょうよ。


今、まさに、企業に密接した知財の創出と管理を、大企業はもちろん中小企業まで、ばっちり行って、企業の活性化と武装を図りましょうよ。

その旗振りを、弁理士が担うべきなのでは?

他に誰がやるのでしょう?

一年後には、「30代に仕事があげられない」ではなく、

「今、明細書作成をしていた30代の弁理士がペンを置いて、経営者とともに、企業の中心に働き始めました!」って、なりたいですよね。


この春、就職する大学の後輩を始め、知財に夢を持って働こうと思っている人達に、恥ずかしくないように、自分も小さな一歩を踏み出さなくては。

2010年3月22日月曜日

春の嵐


いやー、昨日は、すごい風でしたね。

写真は、ベランダのプランタですが、、

朝、見ると、アップ サイドダウンに・・。

かわいそうすぎる。。
















ちなみに、嵐前の元気な状態が、2枚目の写真です。


もう一度、植え直したけど、元気になるかなー。


この嵐のため、予定していた荒川マラソン大会も中止になりました。

せっかく、準備して?、朝起きたのにー。

驚いたのは、7時の朝のニュースにて、
字幕で、中止のテロップが、きちんと出たことです。
テレビも、きちんとローカルな情報、流せているんですね。

あーでも、せっかく、はりきっていたのに。。

しかも、たぶん、中止にしても、もう強風は、通り過ぎているから、
もう問題ないんですよね。

というわけで、気分を変えて、代々木公園のドッグランへ。

菜の花が良い時期でした。

2010年3月19日金曜日

商標権の売買
















讃岐うどん

青森

森伊蔵・・・

となりのトトロ・・・

中国で、全く関係ない人が商標権をとられているとのこと。

なぜ彼らは、これらの商標権を取得するのでしょうか?

鹿児島の森伊蔵酒造さんが、中国に進出する際に、この商標を高値で買取ってもらうためのようです。

ちなみに、日本では、このような商標は、鹿児島の森伊蔵酒造さんしか、権利がとれないことになっています。

なぜなら、このように、森伊蔵さんでない人が、森伊蔵が有名であることを利用することは、不正の目的があるとして、出願しても登録ができなくなっているんです。

つまり、この中国でのビジネスのような商標権の売買は、日本ではできないので、中国で有名な企業が日本に進出することを見込んで、日本で先に商標権を取得することはできません。

日本って、真面目な国ですよね。

いやいや、規制するだけじゃなくて、しっかり、海外での権利も守っていきましょうよ。

例えば、欧州では、もっと、積極的に自国の産業のブランドを保護しているんです。

今、シャンパンって表記、商品や商標にみなくなりましたよね。
例えば、山梨で作った「甲州シャンパン」って、日本で商標登録できないんです。

これは、世界的な条約で決められていて、ぶどう酒の産地名は、その産地で実際に生産されたぶどう酒でないと、商用登録できないようにされているんです。

欧州の人たちは、自分たちの「シャンパン」という地名とブランドを守るために、世界中で、この商標をとれないように、条約に入れ込んだのです。

ぶどう酒だけに、自分たちの血を守った??

なぜ、知財立国である日本は、国が率先して、森伊蔵、クレヨンしんちゃん、讃岐うどん、
を、守ろうとしないのか疑問です。

これだけ、日本中で問題になっていますよね。

今日のニュースで、
提言「『イノベーション立国』に向けた今後の知財政策・制度のあり方」を発表
ということで、これから、考え始めるみたいです。

知財って、「イノベーション」とか「知財政策」とか、格好良いキーワードを上げていれば、なにか、すごいこと、やっているって、思われるところありますよね。

讃岐うどんや、森伊蔵。

日本が誇る、世界的に有名になるべき産業、企業だと思います。
彼らの足元を守らなくて、日本の知財政策が語れるのでしょうか?

2010年3月16日火曜日

特許がもらえるアイデア















特許がもらえるアイデアって、なんでしょうか?

誰かが一生懸命、研究したり、温めたりして、産み出したアイデアであれば、いいような気がしますよね。

それでは、一生懸命って、客観的には、どう計るのでしょう?

それは、アイデアが新規なことなんです。
新規である発明アイデアは、客観的な創作性がある、といわれ、特許がとれます。

これが、特許に必要な、新規性、の要件なんです。

じゃあ、日本で知られていたら、新規でなくなるのか?
それとも、世界のどこかで知られていたら、新規でなくなるのか?

新規の範囲って、どこまでなのか?

世界のどこかで知られていたら、新規でなくなる、というのが、
一番、納得がいきやすいですよね。

それでは、火星で知られていたら??

実は、この新規の範囲は、国の政策で決められるのです。

中国では、最近まで、中国内で知られていなければ、新規性が担保できました。

つまり、外国で知られていても、中国で知られていなければ、特許が取れるのです。


えー特許権って、政策的に、生き死にするものなの?


そうなんです。

特許権って、国の政策とともに、生き死にするものなのです。

日本や先進国の多くは、世界公知が基準です。


宇宙世紀になれば、世界公知基準ではなく、宇宙公知基準になるかもしれませんね?

2010年3月11日木曜日

平成生まれの若者

















えっ、きみ、20歳なんだ。

先日、床屋に行って、顔を剃ってもらっているときでした。
床屋の彼は、平成元年生まれ。

今日は、店長が早く帰ったので、彼はお店を任され、僕に気を許したのか、いつもより軽快に話をしてきた。

彼とは、床屋で出会ってから、2年ぐらいの付き合い。
広島市内では知らない人はいないという床屋の息子。
いわば、サラブレッドですが、高校を出て、自分のことを誰も知らない東京に来て腕を磨きたいという気持ちで、弟子入りしたそうだ。

床屋になること以外の人生は、全く考えたことがないんですよね。

僕の年って、今、だいたい、みんな大学2年生なんですけど、
自分が夜、散髪の練習をしに、お店に行くとき、
隣のカラオケボックスで、大学生ぐらいの人たちが、楽しそうにしていると、おれって、、って思っちゃうんですよ。



そもそも床屋さんというのは、一見、謙虚だけど、振る舞いが綺麗で、軽快だ。

ボーっとしていて、曖昧な私のような人種とは、正反対。

客との会話も大変だ。
特に関心のない、マラソンの話で、僕のような、3kmしか走らないのに、そんな自分をほめて、という客にも、そつなく、相槌をうたなくてはいけない。

そんな、気遣いができて、そつない彼が、平成生まれだったとは。



T = 自分がすごす人生の時間 - 生涯働いている時間 で、幸せを計れるなら、


多くの人が、Tが小さいほうがよい、と思うかもしれない。

そうすると、彼の人生は、損だ、と思うと思う。


だけど、彼の目は、輝いている。


来月から、同い年の専門学校卒の新人が、この床屋に入ってくるらしい。


同い年なんですけど、全然、仕事に対する考え方が違うんですよね。

平成生まれの若者も、捨てたもんじゃない。
っていうか、俺も、負けていられないな。

2010年3月8日月曜日

知財サービスの目的

















知財部の仕事の目的は、何なのでしょうか?

結構、見失います。

例えば、会社の特許出願のうち、特許になる確率が、80%以上である場合、社長からは賞賛されますよね。

でも、それって、知財部の成果ですかね?

IT企業の特許の場合は、進歩性がない発明として拒絶される確率が、かなり高いのが現状です。

そうなると、会社の開発レベルが高いから、特許になるわけで、
特許率の高さは、知財の成果では、必ずしもないようです。




じゃあ、その特許によって、お金を得ることができたら?

例えば、某大手企業は、知財で30憶円、稼ぐそうです。

これは、知財の成果だと思います。

もちろん、開発部の発明センスも重要です。

しかし、それ以上に、あるアイデアに対して、将来性を見込んで、投資し、育てて、独占権を得る。
そして、その技術を多くの他人に利用してもらう。

この仕事は、会社の中で、社長か、知財しか、できません。

そうすると、社会的なニーズが有る技術をいち早く、
会社が独占する権利にする、のが、知財の目的ですかね。

ただ、この目的は、パテントトロールの目的とも類似する気がしまして、

会社による、一般社会への貢献がぬけているように思います。


これを修正すると、

「世界中の誰も気がついていないが、社会的なニーズが有る技術をいち早く、会社が独占する権利にする」

まだ、なんか、資本主義よりな気がするので、これを修正すると、

「世界中の誰も気がついていないが、自社のみが気がついていて、社会的なニーズが有る技術を見出しまたは創出し、いち早く、会社の権利にする」

が、今のところ、よいかもしれません。

これからも、引き続いて、考えていきたいと思います。

2010年3月7日日曜日

影響を与える勇気















「人様に迷惑をかけては、いけません!」
って、子供の頃、いわれませんでした?

これだけは、やぶっちゃいけない、みたいな気持ちが子供なりにあって、良くも悪くも、守れてきたような気がします。

もちろん、相手が明らかに、迷惑だと思うような、嫌なことは、やらない、ということでよいのですが、
「迷惑」って、どこまでの程度なんだろ?と、今でも迷います。

自分のやっていることが、正当だと自信がなければ、それが迷惑行為になる可能性がありますよね。

その場合に、人に迷惑かけるかもしれないから、やめよう、と思ったら、スローガンは守れるけど、何もその人と始まらないですよね。

例えば、結婚とか、仕事のパートナー選びとか。
だって、結婚も仕事のパートナー選びも、絶対、いつかは、相手に迷惑かけますから。。

自分が他人に影響を与えるのが、怖いときってある、というべきなのかな。

自分が他人に影響を与える、勇気がもてるか? 

その答えは、自分のやっていることが正当だと自信を持つことにより、僕が君を、まきこむのは、「君にとって幸せだよ!」と本気で言えることなのかもしれません。
その責任とともに、相手と人生を送るのかな。

「人様に迷惑をかけては、いけません!」のスローガンは、もう卒業で、

「相手に「いい迷惑」を与えられる人間になる」が、これからの自分に必要かも。

(写真は、2005年のモンサンミッシェルです)

2010年3月4日木曜日

東京マラソン、いつか、出れるの?


















いや、絶対むりです。

会社の方に、東京マラソン一緒に出よう!とお誘いを受けての一言。


あ、いや、今年の成人の日に、谷川真理さんのマラソン大会に出場しました。

いや、違うんです。

3kmの部ですから。。

ちょっと、偉そうに、マラソン大会出たんですー(鼻息)!

なんて自慢してしまったら、
4月に10kmの部、5月に13kmの部を予約してくれました。。

とりあえず、5月までに15kmをこなそう。

写真は、埼玉県でして、海ではありません。

荒川沿いのジョギングコースは、意外に、自然の宝庫です。

2010年3月3日水曜日

オープンソースライセンスの効力




















GPLだけは、勘弁してもらえます?

プログラマの方々の労力を大きく減らしてくれるオープンソースの存在は、非常にありがたい。
しかし、GPL系の、いわゆる、コピーレフトといわれるライセンスは、
改変したプログラムや、リンクをはったプログラムを公開することが条件になってしまう。

そうなると、会社で作成した、商用のプログラムを、公開するわけにはいかない。
なぜなら、脆弱性の問題や、会社の著作物である資産を公共の財産としてしまうからだ。

すみません、このオープンソースは、GPL系のライセンスなんで、使用は見送ってもらえますか?
しぶしぶ、お願いするしかない。。

オープンライセンスの条項を破ることは、互いの契約についてですので、まずは、民事訴訟上の問題です。つまり、著作権による刑事的な問題の前段階になります。

そもそも、オープンライセンスは、ライセンス条項を守らないでも、日本国では、損害賠償請求が発生しないという論点もあるようです。

日本は、米国とは異なり損害賠償に懲罰的な規定がないため、
無料の物の作成者には、その利用者が契約違反で利益を得ていても、損害は発生しえないとういことでしょう。

えー、それなら、プログラマに、GPLでも、使っていいよって、言っていいの?


あ、いや、差止請求は、ありみたいです。

つまり、お金を払わなくてもよいですが、使用ができなくなってしまうようです。

やっぱり、ライセンスを守ることは大事ですね。

2010年2月28日日曜日

コントラバスのハードケース




















でかっ!

そびえ立っているのは、コントラバスのハードケースなんです。

僕は、身長が187cmなので、中で寝ることはできませんが、
小学生は、ゆうゆう運べる? 2メートルちょっとあるのかな?

大学の先輩が九州で楽器屋さんをやっていまして、演奏会オフ期間中に楽器の調整を、お願いしました。

ハードケースを運送会社の配送所とめにして、楽器を家から持って行き、ハードケースに積み込み。

不器用な自分でも、なんとか、詰め込み完了! フッー。

無事に九州に着いて、今までの疲れを癒して帰ってきてね。

書籍の知財は何で守る?





















書籍の権利を守るとき、本は著作物ですから、著作権で守りますよね。

でも、著作権は、著作者の死後50年で切れてしまう。

もっと、長い権利を主張する方法はないのか?

存続期間が永遠の知財は、商標ですよね。更新すれば、永遠に権利が続きます。

だから、写真の場合に、作者の横山秀夫さんは、
本の題名「クライマーズ・ハイ」を商標として、指定商品を「書籍」で、出願すれば、
この題名「クライマーズ・ハイ」のついた、本の販売に対して、権利行使ができるかも?

あいや、そうは、うまく、いかないのですね。

「書籍の題号については、題号がだだちに特定の内容を表示するものと認められるときは、品質を表示するものとする」

と、商標の審査基準に書いてありまして、品質を表示するということは、その本(商品)の品質(内容がどんなものか)を普通に用いられる方法で表示する標章に該当します。

そうなると、商標出願をしても、商標に識別力がないとして、3条1項3号違反ですな。

ちゃんと、商標の審査基準に、書いてありました。

でも、この本、有名だから、3条2項により、特別顕著性はあるよね。
そうすると、3条はOK?

4条違反は、作者である横山秀夫さんが、出願すれば、10号、15号違反もないよね。
ていうことは、公序良俗違反(4条1項7号)でなければ、登録されるかも?

ただ、登録されても、26条1項2号により、本の品質を普通に用いられる方法で表示する商標として、権利行使できなさそうですね。

法律って、よくできてるなー。


では、指定商品が、関連グッツである「ボールペン」なら?

3条も4条も問題ないため、普通に登録されて良いですよね。
26条も問題ないため、権利行使もできる??

「吾輩は猫である饅頭」とか、「羅生門そば」とか、あってもよい(実際にあるのでは?)ですよね。

でも、誰でも商標登録できるとなると、どうかと思いますので、
地域団体商標+アルファで、地域ブランド活性化のため、
地域に縁のある作家や芸術家に関連した文字(書籍の題号もそうですが)は、
その地域で、登録を認めた方が良いのかもしれません。

地域団体商標+アルファ制度は、もっともっと、地方活性化に役立つかも?

2010年2月26日金曜日

ジャックラッセルテリアのアトムです (The dog is a Jack Russel Terrier, his name is ATOM)





















昨年の秋から、うちの家族となった、ジャックラッセルテリアのアトムです。

関西の山奥のブリーダーさんからいただきまして、
ETC割引を利用して、車で8時間!迎えに行きました。

まだ会う前の、行きの車中では、「モカ」、「ライト」が名前の候補に。

ですが、実際、会ってみると、あまりのやんちゃな仕草に、甘めの名前はNGになりました。

そこで、強くて、正義の子になって、という願いを込めて、アトムという名前にしました。

家の中だと、比較的、言う事を聞いて良い子なのですが、
外に出ると、スイッチが入り、途端に、ギャングになります。

お友達に嫌われないようにね。

2010年2月25日木曜日

改良した発明の出願
















えっ、まだ出願してもいいの?


最初の特許出願が無事に終わって、
胸を撫で下ろしていると、改良発明が生まれることがよくあります。

この改良発明の保護のために、特許法では、国内優先権主張出願(写真の41条)がありまして、
1年以内なら、改良発明でも、先の出願の出願日の利益(つまり、新規性の判断基準は、先の出願日になる)を得た出願をすることがでます。

なのですが、後の出願で加わった事項は、後の出願日になってしまうのです。
ですから、意外に、国内優先権主張出願は、限られたケースしか、メリットがないのです。

次に、この優先権主張ができる、1年を過ぎた後に、改良発明をした場合は、どうしたらよいでしょう?

まだ、先の発明が出願公開前なら、普通に出願すべきです。
なぜなら、先の発明を実施していないで、新規性を失う他の理由がない場合は、まだ公開されていませんから、新規性があります。また、同一企業の出願であれば、29条の2(拡大先願)の適用もありません。

中小企業は、広い技術を創出して実施するよりも、ニッチな分野で、その分野において、僅かに異なる多くの特許の地雷を埋めて、自社の技術と周辺技術を守るべきかと思います。

つまり、改良発明は、特許マップ上、ほんの少し、ずれたものでも、大いに価値がある場合があります。
改良発明から、特許構築していくことが、特許ポートフォリオの基本になるかと。

改良発明の出願可能な期間が、最初の発明から、1年ではなく、1年6ヶ月までOKとなると、少し余裕ができる気がしますが、いかがでしょうか。

改良アイデアはいわばアメーバのように広がっていきます。
これを知財がしっかり拾っていきたいですね。

2010年2月24日水曜日

Googleの検索画面は特許なんです














えっ! これで特許とれるんだ。

Googleの検索画面は、GUIの部分意匠として登録(US D533,561)されているんです。
というのも、米国では、日本の意匠のことを、デザイン特許といいますので、
まあ、意匠をとっているというのが正確です。

うーん、2004年に出願して、この検索画面が意匠をとれるんだね。
デザインが、普通にも見え、特許の要件である非自明性をクリアしていないような感じにも、みえます。。

ポータル画面からサービスを提供するネット起業にとっては、
検索の画面は、いわば、会社の顔ですよね。

日本でも、平成18年に画像の意匠の適用範囲が拡大され、
本格的に、ユーザインターフェース(UI)の権利を取得できるようになりました。

それまでは、ポータル画面を保護する方法が、なかったため、
いくら、ポータルサイトの配置に創作性があっても、真似たもの勝ちだったようです。

UIって、この時代、大事ですよね。
私は、21世紀の文房具では?とも思っています。

つまり、僕らの入力と出力のすべての責任を負っている道具です。

今、こうしてブログを書いているのも、UIが、もう少しこうだったらな、とか、思ってます。

意匠って、今、特許庁への出願が少ないらしいですが、UIについては、これから爆発的に創作される可能性がある(もうこの瞬間、たくさん生まれていますよね)と思います。

ITに関しては、特許よりも意匠の方が盛り上がる時がくるかも?

2010年2月23日火曜日

知財のアプローチは理想の追求?
















えっ、これ、純粋な日本人なら、やらないよな。

バンクーバオリンピック。
アイスダンスの日本代表。リード姉弟が、日本の着物を着てダンスを披露しました。

着物を着て、アイスダンスって・・結構、選手的には、きついよね。
ただ、2人の一生懸命な踊りを見ていると、同情の余地もあり。

だけど、純粋な日本人は、だぶん、やらないでしょう。
2人が純粋な日本人ではなく、日本に対する憧れと期待から、生まれてくる作品なのかなと。

そいえば、キャプテン翼の作者の高橋先生は、サッカーをやらないらしい。
しかし、想像を超えた、翼くんのプレーは、欧州まで飛んで、ジダンにも影響を与えたらしい。

サッカーを知らないからこそ、理想のサッカープレーを追求して、それを夢にした高橋先生は、偉大ですね。

知財アプローチによる製品提案もそうではないかと思います。

知財による発明提案において、発明の機能や顧客満足を純粋に追求して提案した場合には、現実のビジネスの制約(市場や標準化や競合他社の権利等)を知らずに、提案してしまう場合が多い気がします。
この点、理想郷の知財部は、社内で他部署に、甘いな・・と、なめられてしまいがちなのかと。

しかし、慰めてるわけではなく、この知財部の楽観主義が、かえって、企業へプラスの効果があるのでは、と思います。

つまり、、現実のビジネスの制約を、ある意味、全く無視して、
脳天気に、純粋な顧客満足を追求して、それを製品提案することは、
企業が一番大事なことを振り返るきっかけを与える可能性があるのではないかと、考えます。

知財部の理想的な話で、会社の中のジダンが、大きな発明をするかも?

(写真は、パリ街中の八百屋さんです)

2010年2月21日日曜日

Hilary Hahn




















「純粋」が音楽になって伝わります。

早春の軽井沢。
木陰を自転車で走りながら、自分の気持に寄り添う音楽。

彼女は、名前が、米国国務長官?を思わせますよね!?
ところが、演奏を聴くと、天使のように思えてくるのです。

純粋が音楽になって伝わってくるからです。

癖がない演奏なのでしょうか?

違います。
Bachを敬愛する気持ちと、Bachを演奏出来る喜びが、
きらめいているのではないでしょうか。

このCD、HMVで1,500円なんですよね。。
全人類的に、貴重なCDでは?
と思っているのは、僕だけではないはず。

Bachの無伴奏のCDでよく聞くのは、ヨーヨーマと、Edgar Meyerの、無伴奏チェロ組曲なんですが、実は、アメリカの作曲家兼コントラバス奏者のEdgar Meyerが、ヴァイオリンコンチェルトを彼女のために作曲しているのです。

ただ、曲はちょっと、私には難かしく・・。
Meyerが、彼女と出会ってお互いにインスパイヤーしたのだろうと、想像することは難しくありません。

今年も山に持っていって、このCD、朝に聞こうっと。

知財の利回り


内容は、多少、中途半端にも思いますが、最近話題のインテレクチュアル・ベンチャーズ(IV)についての取材が良くできているなと思いました。

弁理士や専門家の書評を読むと、結構、辛口が多く、「問題の本質を深く突き詰めようとしていないように感じ」とか、「ずいぶん乱暴な議論」ということですが、むしろ、知財の専門家ではない、一人の経済ジャーナリストが、よくもまあ、この話題について挑んだなと思うべきかと。

僕自身は、「利回り」云々というよりも、IVの発明に対する取り組みについて、参考になる点が、いくつかあるように感じました。

その中の一つ、「発明発注書」という考え方は、斬新かと思いました。
例えば、ある技術分野では、こんな課題があって、これを解決すると、こんなにすごいから、
このための解決手段を考えてよ、という発注書を経営幹部が知財部又はエンジニアに依頼するという考え方。

現状、知財部の仕事として、社内の発明創出のため「発明発掘会議」を行います。これが、結構、運用が難しく、エンジニアに、何か考えてよ、とお願いするが、会議まで何も考えてこないのが通例。運が良ければ2,3アイデアが出るが、その場の思いつきなので、新規性がなかったり、仮に新規性があっても、会社が欲しいアイデアの方向性と異なってしまう。

そこで、「発明発注書」により、企業の欲しい製品(発明)イメージを、課題と効果で発注し、その目的に発明をフォーカスさせて、エンジニアに解決手段の創出(発明)させる。
これにより、企業の製品開発の方向性にあった、発明の創出ができる可能性があるように感じました。

まず、知財部は、経営幹部に、発明発注書を記載してもらい、
その発注に応じた、発明をエンジニアにしてもらう。
このプロセスで知財の三位一体も近いかも?

2010年2月19日金曜日

青本第18版


えっ、もう?

工業所有権法逐条解説の第18版が、今年の1月、発売に。

第16版は、平成13年に出て、14年から19年までの、
異常とも言える特許法改正にもかかわらず、改訂されることなく、乗り越えてきた。

そして、平成20年、待望の第17版が発売。
私も、最近ようやく通読し、改めて、青本の偉大さを実感。

しばらく出ないだろうからと、永久保存版の赤ペンや蛍光ペンを入れていた・・。

えっ、もう出たの?

特許庁に敬意を感じながら、今日、1ページ目をめくる。
20年改正だけが違うことを祈って。。

ブログはじめます。

これで、4つ目です。
ブログを始めるのは。。

シンプルなブログを始めたかったので、
今回は、続けられるはず。

まあ、のんびり行きましょう。