2010年7月31日土曜日

日本人のコアとなるもの



















3月に、外国人看護師の試験で、3人が合格したというニュースがありました。
3人が少ないというのは、言うまでもありませんが、試験を受けて、不合格であったフィリピンの方のセリフが印象的でした。

「不合格であったのは、自分の責任ですが、看護自体の技術が日本でそれほど高くないことに勉強中に驚きました。」という趣旨の内容でした。

私は、日本の医学は、世界的なレベルなのだと思っていたので、当然、看護も世界的なレベルなのだろう・・だから、東アジアの外国人合格者の割合が低いのかな・・・と思っていたので、この発言は驚きました。

どうやら、フィリピンでは、国家的に看護に力を入れていて、数多くの看護師を世界に排出しているようです。日本でもフィリピンパブが成功しているように、女性が労働に積極的で、そのフィリピン人女性の特徴を活かして、フィリピン政府は、国家的に看護に力を入れたと思われます。このように国家戦略で看護に立ち向かっている国と、グローバルな視点で、看護のレベルを比較したときに、日本は必ずしも高くないのだろう、と想像しました。そして、単なる日本語の壁と呼ばれる権益で、残念ながら、優秀な外国人雇用の参入障壁を形成しているのだと思われます。

東アジアの国々は、我々が思う以上に、高度な技術を備えはじめているのでしょう。彼らの、世界から学習しようとする、謙虚さでは、日本が負けてしまうかもしれません。また、慣れない日本語を勉強して、専門性のある資格に合格するハングリー精神も、負けそうです。

これからの日本を考えると、ちょっと、心配ですよね。

企業の知財を考えるとき、その会社のコア(強み)となるものは何か?という、議論になります。

たいていの会社は、競合会社が多数ありますので、その会社が伸びた根本的な理由となるもの、例えば、販売している製品の技術的な優位性であったり、製品を 完成するスピードだったり、サービスの独自性だったり、営業手法だったり・・、このような会社のコアがあるはずです。

この会社のコアが、技術的な優位性である場合は、特許をとって、その製品を独占して販売する権利を得ることができます。

デザインが、コアであれば、意匠をとって、そのデザインを独占することができます。

この“会社のコア”は、会社の設立時に、コア自体を意識することは、あまり、ないような気がします。
つまり、会社を起こすために、コアを何にするか考えて、会社を始めるのではなく、例えば、技術的な優位性がある製品を作ったから、会社を起こして、事業を 成功にする・・。会社の成功を、あとで振り返ると、製品の技術的優位性が、競合を抑えて、よく売れたんだ・・という流れですね。

会社のコアについて、経営者が意識するタイミングは、先のコアが事業で成功して、次の一手を考えるタイミングあたりだと思います。

コアを考えるヒントとして、もちろん、その会社の今までの成果を分析することも大事ですが、我々が、日本人であるという側面からコアを分析するというのも 面白いかと思います。

つまり、会社を構成するのは、社員であり、社員は日本人であるから、日本人であるという特徴が、会社のコアに出てきているのではないか、という発想です。

日本人の、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義の特徴は、日本の電気メーカや、自動車会社の世界的な成功に表されているように思います。つまり、これらの特徴を活かして、会社のコアとなる、技術的優位性で、競合に勝負するという発想です。

しかし、今、会社のコアを考えるにあたり、現在も、日本人の、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義、という特徴から、技術的特徴のみを会社のコアにしていくことは、単純 には、妥当ではないように思います。

つまり、先の看護師のエピソードのように、他のアジアの方も、同様に、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義を備えており、世界の技術的レベルがそこまで来ており、ひょっとすると、日本の技術を過信しているおそれがあるのではないかと思います。

また、日本人の特徴を考える際には、我々の親父の世代である、“昔の日本人”の特徴ではなく、“今の僕らの日本人”の特徴を見なくてはいけません。

僕らの特徴が、きめ細かさ、誠実、謙虚さ、完璧主義にあると思えますか?

そして、そのきめ細かさ、誠実、謙虚さは、フィリピン人看護師に負けていないですか?

いや、正直、僕は、負けているかもしれません。

すなわち、この日本人の特徴は、もはやグローバルなコア(強み)にならない可能性が高いのではないでしょうか。

それで負けているとしたら、僕らは、何で戦うべきなのか?

これに対する明確な答えがないから、今、日本の不況が長く、続いているのかもしれませんね。

(写真は、何年か前の8月の戦場ヶ原の白樺です。今もこんな感じかを想像して・・。)

2010年7月26日月曜日

「もしドラ」オススメ本です。















今さら、ちょっと遅いけど・・、と思いながら読み始めました。

最後のクライマックスでは、行きの通勤電車で、一人で、おえつ・・していました。。

泣けます。。単純な話なのに。。

小説形式になっていまして、女子高生のマネージャーが高校球児と、監督である学校の先生をまきこんで、甲子園を目指すありがちなストーリー。

登場人物が作り出す、最初の野球部の雰囲気が、会社や学校など、どこかで出会ったことがあるような雰囲気で、自分と重ねあわせてしまう。つまり、周りの人は、基本的には、いわゆる「いい人」で、悪い人ではないんだけど、ちょっと癖があったり、臆病だったりする。そのため、集団の雰囲気は、とても、甲子園のように大舞台を目指せる雰囲気ではない。

これらの人を、まとめて、どう一つの目標に向かっていくのか?

最初は、さすがに、ドラッカーの教えを素直に、ご教示いただくところありますが、そもそも、ドラッカーって、難しくて、良くわからないんですよね(すみません、以前、私は、眠くなってしまい、全く価値がわかりませんでした)。
だいたい、こういう本は、一度読んだだけでは、よくわからなくて、自分が人生において、同じような境遇に来たときに、ああ、そうだな・・と振りかえって、価値がわかる・・みたいに、結構、時間をかけないと、理解出来ないことが多いですね。

この本は、違いました。

例えば、「企業の目的を考えることは重要である」、「顧客は誰か?こそ、企業の使命を考えるうちで、最も大事な問いである」と言うような・・非常に抽象的な命題・・。こまりますよね。。

主人公は、当然、「野球部の使命って、何?」とか、「“顧客”って、野球においては、誰なの?」という難題にぶちあたります。

彼女も、顧客が、野球を見に来るお客さんではないことは理解します。

この答えを、考え続ける彼女は、部員と話していて、「野球部にとって、顧客とは、“野球部員”である」、ということを発見します。そして、野球部の使命とは、「野球によって、見ている人に感動を与えること」ではないか、という結論に達します。

すごいですよね。この解釈力。

普通、あきらめると思いません?野球部の使命を考えたり、顧客をあてはめるために、野球部にとっての顧客とか、考えるのって?

というわけで、最初のうちは、ちょっと勉強モードですが、慣れてくると、ドラッカーが当たり前になり、甲子園を目指して、試合を進めるあたりは、涙で、ぐしゃぐしゃになるでしょう。。

なぜなら、彼らの使命は、「感動を与える」ということですから・・読者である我々も、感動が大いに与えられてしまいます。。

私は、・・朝の行きの電車で、ぐしゃぐしゃになっていました。。

モチベーションを上げたい方に、おすすめ本(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)です。

2010年7月17日土曜日

「ゲゲゲの女房」より(その2)



















連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」では、水木しげるさんが、ついに、メジャーデビューを果たし、大手の出版社で、週刊連載することになりました。遅い46歳のメジャーデビューということです。

この大手の連載について、これまで、赤字経営の貸本雑誌出版社として、原稿を依頼していた編集長は、「メジャーデビューは、大変、喜ばしい。水木漫画は、もっと、子供達に読まれるべき・・。」との喜び。

これに対して、編集長の秘書は、

「このデビューで、水木先生は、原稿料の違いから、貸本漫画を書いてくれなくなる。今度、連載する「墓場の鬼太郎」は、水木先生がうちの雑誌で出していたのに、もっていかれてしまう。今まで、うちが育ててきたのに・・。社長、だからうちは、赤字経営なのですよ!」と指摘します。

いわゆる、出版権の問題です。

キャラクターそのものは、著作物にならないので、「鬼太郎」に著作物性は、ありません。
したがって、「墓場鬼太郎」のシリーズ、そのものを、貸本漫画出版社は、保護することができません。

一般的には、このような場合、出版社は、漫画家と、「他の出版社で、このシリーズの出版を行わない」という契約を行うことで、シリーズ物を他の出版社で出版させません。しかし、ドラマのような赤字の貸本漫画出版社では、そこまで、契約に力を入れていたとも考えにくい。

ドラマでは、そのような、ビジネス上のやりとりは、特になく、ただ、ただ、貸本雑誌出版社の編集長は、「メジャーデビューは、喜ばしいことだよ」として、水木しげるさんの成果を喜ぶ。

この社長は、ただの「おひとよし」でしょうか?



この編集長は、もともと漫画に対する情熱が高いため、漫画の編集長になったと思います。

そうだとしたら、自分が、まだ売れていないときに、才能をみこんだ漫画家が、世の中に才能を認められて、大きな漫画家になるとしたら、自身のビジネスを超えて、どんなに嬉しいことか、と思うでしょう。


先日、「お金だけをおっかける夢なんて、つまらん」という、お言葉を、とある経営者の方から頂きました。


「漫画を通して、人を育てる夢」があって、その一部に、ビジネスがある。というのが、編集長のポリシかもしれません。

まず、夢があって、道具としてのビジネス。

今の時代でも、できるのでしょうか?

見つけたいですね。

2010年7月3日土曜日

ハードウェアの幻想


「アニメの殿堂」の建設って、どうしたんでしょうかね?

最近、聞きませんね。。

国や地方のお役人さんが公共工事をするために、新しい建物を建てることは、だいぶ減ってきたと信じたいです。ですが、一般的に、何か新しい組織、団体、集まりを作るときに、まず、建物から・・というハードウェア主導の思想は、ある意味、自然な考え方だと思います。

ハードウェア主導の思想は、人は、継続して目に入るものでないと、その対象を継続的に、意識し続けられない、という習性から、生じるのではないかと思います。

ここで、その新しい組織の質を評価するときに、東京の一等地に、ガラス張りで日当たりのよい高層ビルにコストをかけて、入館式をやれば、とても良い組織ができたと思い込んでしまいますね。。確か、消費者庁なんかも問題になりました。

もちろん、「建物」というハードウェアを離れた、組織の質を評価する必要があります。

最近では、ネットショッピングなどのネット系のサービス会社は、「会社の建物」が立派でなくても、「ホームページ」が立派な場合があります。IT系のビジネスでは、「ホームページ」という、言わば、「ハードウェア」が最もらしければ、会社の質が高かったり、信頼があると判断されるように思います。

しかし、評価されるべき会社とは、たとえ、ホームページが流行の見た目でなくても、来客いただいた顧客に、社員がすすんで挨拶をするような組織かもしれません。
つまり、その組織を構成する「人」が、社会的に、道徳的に、評価される行動を、その組織にいて、自然ととれることが、組織の評価軸かもしれません。例えば、挨拶で、、、例えば、メールの文章で、、例えば、請求書の項目で、、評価されるときです。

「建物」や「ホームページ」は、その組織を構成する人を、具現化する一つの手段でしかないはず。

それでは、組織の質は、どうやったら捉えられるか?

その組織を構成する人と、お酒を飲むことかもしれませんね。

(写真は、徳島にある、大塚国際美術館です。この「最後の審判」は、陶器で出来ています。夏休みにおすすめのスポットです。偶像崇拝も、ある意味、ハードウェア主導の考え方かと思ったので。)