2011年2月19日土曜日

会社の社は、社会の社

「骨粗鬆症の患者さんなのに、薬を受け取るところまで、患者さんを歩かせるのは、薬局として良くないと思ったんです。」

九州と北陸に展開する、ライフ薬局は、調剤薬局ですが、薬を受け取るカウンターがありません。そこで働く薬剤師の先生から聞きました。

薬局内には、カフェのようなソファが置いてあり、 薬剤師さんが、直接、そのソファに座っている患者さんひとりひとりに、お薬を渡しに行きます。

薬剤師さんが、患者さんに、お薬を渡しに行って、お薬の説明をすることは、仕事の能率が落ちると思われます。つまり、薬剤師さんは、薬を調合する場所と、薬の受け渡し場所だけ移動することでサービスが終わるのならば、経営効率が上がります。 これに反して、患者さんに薬を渡しに行くためには、当然、患者さんのもとに、移動する時間がかかりますし、患者さんの顔も覚えていなくてはいけません。

先日のニュースで、いわゆる社会起業家が、社会を変えるぞ!と、NPO法人を立ち上げ、その後しばらくすると、活動が不明になり、終いには放置してしまうということが、頻繁に各地で起こっているという話を聞きました。つまり、若干、流行だった社会起業家が、NPO法人を立ち上げて、その意志が途絶え、ほっぽらかしにしてしまう・・ということです。
確かに、バブル後、リーマンショック後の日本経済ですと、資本主義に嫌気がさし、大事なのは、お金ではなく、社会貢献だ!という気持ちも理解できます。

しかし、社会起業家を貫けるほど、我々世代の人間は、美しい意志を持っていないのでは?と、私は思います。

自分の利益なくして、社会を変えようとすることを、一生の仕事とするという謙虚なことを、この豊かな日本に生まれてきた裕福な僕らが、貫けるのでしょうか?

残念ながら、僕はこれに関しては、否定的です。僕らは、ナイチンゲールやマザーテレサには、残念ながらなれません。

でも、僕らにもできることはあるはず。

利益をある程度追求しても良い。だけど、自分がお金よりも大事だと思うことは譲らない。

この考えならどうでしょう?

僕らでもできるように思いませんか?


薬剤師さんが、患者さんの所まで薬を持っていく、というのは、ライフ薬局の社長さんの判断で、経営効率を表面的に落としても、患者にとって、大事なことだから、やる、と判断されているのではないかと思います。

たかが、患者のところに薬を持っていくだけかもしれません。しかし、患者さんに対する優しさを実行するというのは、社会に対して、小さなメッセージを出すことなのかと思います。このことを、小さな社会貢献であると言うのは、いいすぎでしょうか?

もちろん、会社は、その存在により、社会に雇用を生み、経済の需要と供給の歯車として機能しますから、それだけで社会的貢献があります。しかし、会社が、道徳的な社会への貢献を、自社の利益に優先することはあるでしょうか?

常に、道徳的な社会貢献を優先することはないかもしれません。でも、利益より社会貢献を優先する会社は、社会から得難い信頼を得るように思います。


わざわざ、大上段に構えて、社会起業家になる必要はないのではないでしょうか。正直に、利益を目的として行動し、この会社の活動の中で、いや、これはお金よりも大事だよ、ということを社会に発信する。これが今の僕らに出来る、ささやかながら、精一杯できる社会へのメッセージであり、これこそある意味、「社会起業家」ならぬ、「小さな社会貢献家」なのではないでしょうか?


大企業のように、企業の社会的責任(CSR)!として、環境活動に協力したり、アフリカに募金することが、僕ら個人や、個人事業主、中小企業はできないかもしれません。でも、今、僕らの周りに起こっていることで、僕らが社会に貢献するメッセージを発信する機会があるかもしれませんよね。

会社は、利益を追いかける団体だ、といわれています。

しかし、ポリシーを持って会社を経営することが、社会に大きく貢献するということを、日本社会で確認したいですね。

(写真は、僕の一生で一番贅沢なカフェ?での写真です。フランスのモンサンミッシェルです。遠くにかすかに見えます。)

(「散歩よんぽ」もお陰さまで、一周年を無事、迎えました。様々なお立場の方から、感想をいただくことで、大変、励みになりました。皆様のおかげで、ここまで続けることができました。また、散歩よんぽがきっかけで、ブログを始められた方もいて、大変、嬉しく思います。今週は、初めて、一週間の読者が100人を超えました!これからも何卒、宜しくお願いします。いいネタを書くように励みます。。ちょっとプレッシャー?)

2011年2月14日月曜日

大事なサービス

「ここのパンは、うまいから帰りに買って帰るといいよ。」


天気のよい昨日、築地の病院に入院している伯父さんを訪れました。
お台場、勝どき、晴海そして、千葉の山々が一望できる病院の景色は、前向きな会話を生み出すのが難しい難病の患者と、その家族にとっては、病気を回復させる一役をになっている気がしました。


伯父さんは、僕に浅草での酒の飲み方を教えてくれた大事な方でして、幸い、通常の食事ができるまで回復されていました。

ここは、病院内でパンを焼いているから、うまいんだよね、とのこと。

病院が出すご飯は、おいしい?と聞くと、患者さんに失礼になるぐらい、薄味で残念な場合が多いですよね。確かに、パンの食感を楽しむことは、美味しさを感じる大切な一つの要素ですから、薄味をカバーできるのかもしれません。

美味しいパンを、朝一番の食事として、患者さんが食べれることは、病気の回復に一役をになっているのかなと思います。帰りに、売店で美味しそうなパンが並んでいるのを見ました。

先日、医療経営に詳しい先生からお話を聞かせていただく機会がありました。

病院では、本来の業務である医療の収入に加えて、医業外収益というのがありまして、これが、結構、ばかにならないほどの収益になるということ。

医業外収益って、何だと思いますか?と、先生。

病院の売店などの売上なんです。

病院の売店は、本来の医業ではありませんが、場所がら、確実に病院の売上となりますね。ちょっとぐらい高い飲み物でも、その場所以外、つまり、病院に出て買いに行く気になれませんから、どうしても、同じ商品の提供でも、その場所のみでの提供が可能であり、高値で販売させることが可能です。


しかし、売上を伸ばすために、本来の医療よりも、医業外収益を増やすことは、本末転倒のおそれもありますね。例えば、売店のパンを買いに、行列ができていて、評判のパン屋さんになるとか・・。
それは、病院がおかしな方向に行ってしまうので、本来的には、病院は、自分たちにとって、一番大事なサービスを意識しつつ、美味しいパンを提供することで、患者の健康を補佐するサービスも付随的に大事だ、と考えることが大切なのでしょう。おそらく、この病院が、千葉の山々まで一望できる場所に建っているのも、健康を補佐する付随的なサービスの一つでしょう。

「時間潰すのが、やっぱり大変なんだよね。
帰りに、本の貸し出しボックスに、文庫があれば、持ってきてくれないか?」

と伯父さんに頼まれ、貸し出しボックスまで足を運ぶ。

残念ながら、文庫は、全て貸出中であった。

そのことを伯父さんに伝えると残念そう。


病院が、公共の図書館と連携したり、ブックオフのような中古本販売サービスも、健康の補佐サービスとして大事かもしれません。また、今、はやりの電子書籍端末を貸しだすというのも、年配の方がITサービスに対する新たな発見があり、元気になってもらえるかもしれませんね。

僕のおすすめ本を持って、次回、伯父さんを訪れようと思います。

(写真:ベランダの梅が、いい感じです。)