2012年4月15日日曜日

震災から1年をむかえて(その2)

「被災者の方から、直接、ご連絡をさし上げてもよろしいでしょうか?」

震災ホームステイの担当者、黒岩さんから、データを登録した次の日の朝の電話でした。

「ご希望されている被災者の方は、6人のご家族で、ご夫婦、高校生2名とお爺ちゃん、お祖母ちゃんですね。」

「浪江町の方です」

僕がこの瞬間に感じたのは、

こんなに早く連絡が来るということは、毎日のようにこの震災ホームステイのサイトを確認して自分たちにあう物件を探していたのだろうということ、すぐに住みたいと思われているのではということ、でした。

恥ずかしながら、浪江町については、この漢字に変換できなかったぐらいで、被災地のど真ん中の地域であるということは、後から分かりました。

しかし、6人の方の力になれることは、とても嬉しいこと。自分たちが、宮崎に旅立つにあたり、理想的な方に住んでもらえるかもしれないと直感しました。


「あと、わんちゃんがいるんです。」

「今回、小木さんのお家は、犬がOKということで、そのような物件が殆ど無いんですよ。なので、希望者の方は、とても、小木さんの家を希望されていて・・。たぶん、今後も、犬がOKというような物件は、なかなか見つからないと思うんです。」

「なるほど。そうですか。わかりました。携帯の番号を教えてしまって構いません。宜しくお願いします。」と電話を切る。

そうか、犬がOKな物件なんて、考えてみるとあるわけない。そこまで、気が付くわけないですよね。僕らは、なんとなく、犬も大丈夫だから、書いておけばいいかなという程度で、記載したのですが、それが彼らにとっては、決定的であるということ。


そして、夕方の電話。


「すみません、コギさんですか?私は、福島の浪江町で被災して、家がないんです。犬がどうしても・・・」

少し緊迫した女性からの電話。年は40代ぐらいかなと推測する。


「ひとまず、家に一度、来ていただいて、部屋を見ていただいたほうがいいですね。今、引越中であまり綺麗ではないですが、ひとまず、確認いただいて、お互い判断しましょう」


結局、週末に部屋を見に来ていただくことになりました。そして、確か、土曜日の11時ぐらいだったと思います。親戚の方の車に乗って、Y夫婦が来られました。もうひとり、親戚の方の近所の方もこられた気がします。
我々は、じっくり、温かい場所で、2時間以上、話をしたと思います。


ご家族はみなさん、奇跡的に、津波にのまれずに、助かったこと。

ご近所の方は逃げ遅れて、そのまま津波で返らぬ人になってしまったこと。

学校にいた息子さんとは、地震発生時は、別の場所にいたけど、後から、幸運に会うことができたこと。

福島から東京に向かう道中は、生きたここちがしなかったこと。

被災後に、行くところがなく、彷徨ったこと。

避難所では、ワンちゃんがいるので、5箇所以上も避難場所を変えたこと。

お住いになった親戚の方のご近所の方が親切にしてくれて、気持ちがとても救われたこと。

新聞を毎日のように確認したり、被災者が集まる場所に足を運んで、知り合いの情報がないか探していること。



妻と僕は、結局、これらの話を聞いて、涙でぐちゃぐちゃになりました。

そこにいた、人たち、みんなが悲しい想いを共有しました。


僕は、人として、彼らに対応しなければいけない。狭いこと考えていられないなと感じ、ひとまず、何も言わないで、彼らに住んでもらおうと、妻と話し合って決めました。


ちょっと、脱線しますが、今、考えると、このときの考え方が、僕を強くしてくれたのかもしれません。
正直、僕も家賃収入がないのは、痛いです。

でも、僕は、宮崎へ行ってから、Yさんの分も働かなきゃ、と思うようになりました。そのため、宮崎で自分では若干、信じられないぐらい、営業に力を注ぎました。そうすると、結果的に、どうなるかといいますと、多くの宮崎の頑張っている方と出会うことができました、すると今度は、宮崎のために、なにかやりたいという気持ちに変化し、宮崎に仕事を持ってくるように、がんばろう!となりました。

僕は、子供がいないので、誰かに頼られるということが、あまりなかったからかもしれません(妻がいました・・)が、被災者の方に頼られることで、僕自身も、大きくなれたのかもしれないと思っています。


今も、博多で宮崎出身の経営者の方と、熱いランチをいただきました。次のターゲットは、宮崎のために、何かビックなことを始められればと思っています。



次回に続きます・・・・。



(自分は、被災時に電車に乗っていて、電車が緊急停止し、なんで、電車が止まったのに、揺れているんだろうと思った記憶があります。このとき、妙に大きな寒気がしまして、今でも思い出します。1時間後、電車を降りることができて、赤羽駅まで歩いたときの写真です。)