2014年12月22日月曜日

強制結合をし続ける情熱 (大牟田まちなかシリコンバレー)

大牟田の銀座商店街 (松坂屋の跡地が駐車場に・・)
僕らは、何かを認識するときに、対象が、ある箱に入るかどうかで認識します。

すみません、わかりにくいですね。

例えば、“みかん”であれば、黄色くて、冬に買う、甘い食べ物を、みかんの画像イメージと結びつけて、認識していると思います。つまり、みかんを認識するための箱を用意して、対象と照合して判断するわけです。

例えば、ポンカンや日向夏をみたときに、その認識の箱に入らないから、これは、みかんではない、と判断できるわけです。

ただ、ときには、この箱を壊して考えることが重要になります。

そうです。この認識の箱を飛び越すことが、いわゆる、天才的なひらめき、だったりするのです。

自分の頭の中の箱を少し壊して、他の箱とくっつけることで、新しいアイデアが浮かんできます。これを、自分の師匠によると、強制結合というそうです。

上記の写真は、大牟田駅近くの商店街です。最近、有明高専の先生を中心に大牟田まちなかシリコンバレーという集まりがあり、起業家の育成と、商店街の活性化を目指されています。私もどういういきさつか、お仲間に入れていただきました。

大牟田という街は、かつて、三池炭鉱の街として大いに栄えたところで、カルタや押し花など、様々な文化が育まれました。しかし、現在では、商店街もシャッター街となり、松坂屋デパートの跡地も、駐車場になっています。

どうやって、このような商店街を活性化させるのか?

諦める? いやいや、新しいアイデアを産み出す強制結合をしてみましょう。

かつて、自分が宮崎に来て、地域活性化といった時に、僕は、その土地の情報を集めれば、地域の活性化のヒントになると思っていました。つまり、地方であっても魅力的な価値はあるわけだから、その情報を集めて、都市に発信する広報さえできれば、何か経済的な価値を産み出すものになるのではと。

宮崎に来て3年、。お陰様で、僕のまわりには多くの中小企業や発明家の情報が集まったように思います。しかし、真に経済的な価値を産み出すに至っていない場合が多い・・。なぜか?その情報(知)のみでは、不十分であって、他の情報(知)とさらに結びつけて、価値を高める必要があるということに気が付きました。

現在、スマホや自動車は、知財がミックスされた商品と言われ、ひとつの製品でも、特許・デザイン・ブランド等いくつもの知がミックスされて初めて、商品の価値が消費者に伝わると言われています。

少しでも価値を産み出す可能性があるもののいくつかを、強制結合して、相乗的に価値を産み出していくことが大事ということでしょう。

聞くと、大牟田の商店街では、かつては、インターネットで商品を購入するから商店街に来る人が減ったため、ITに対する理解も殆どなかったようです。しかし、これからはITと一緒に商店街の活性化を図るべきということで、いわば、強制結合で、大牟田まちなかシリコンバレーも始まったと聞きました。現在、彼らが中心に洋風カツ丼による商店街の活性化がはじまっています。さらなる価値創出は、これからが面白くなってくるのではないかと期待しています。

この企画は、有明高専の先生と若手のIT起業家により実現されました。

何か新しく画期的なアイデアを出すには、そこにある”知”を強制結合して検証するということを何回も繰り返す程の情熱が必要であるということでしょう。僕も耳が痛いですが・・。

我々専門家は、強制結合ができるほどの情報(知)が集まっているのは確かではないでしょうか。

でもそれは、単に情報(知)があることに過ぎないのであって、この情報(知)同士のあらゆる組み合わせを、強制的に結合して、目的(商店街の活性化など)に適合するか検証するこを繰り返すことで、初めて、真に価値がある商品やサービス、アイデアを産み出すことができるのかもしれません。

大牟田は、現在、三池炭鉱を中心に、近代化産業遺産の登録を目指しています。観光による活性化も期待したいところですが、加えて、若者に働くことや、起業への夢を与えることも大切ではないでしょうか。大牟田まちなかシリコンバレーの今後の期待とともに、自分も少しでも協力していければと思います。

2014年11月25日火曜日

幸せに成長が必要ならば、人生には楽しみが必要では

「論語と算盤」と「学問のすすめ」

最近、人の“道”を知りたいという気持ちになっています。

独立して事務所を経営し、資本主義の論理につかり、自分の判断基準がそこにどっぷりいることに、自分の狭さを感じながらも、自分はそれだけではないという思いもあります。しかし、それだけではないといっているものは、何なのか。

自分についてきてくれるスタッフへの感謝や、宮崎県をはじめ九州に対する愛情、お客様への感謝など、わずかながら自分でもあるかもしれない私的な愛情を越えた、公的な愛情をよく理解したい・・・そんな気持ちがありました。

厳しい判断を求められて生きていくのに、判断の拠り所があると”道”ができるよ。こんな言葉を人生の先輩からも頂きました。


そこで、論語を勉強し始めました。


自分が幸せだと思えることの、おそらく一番に上がることとは、自分が成長したことを実感できることではないでしょうか。
僕は、なぜ、論語の多くの本で、下記の一節が論語の紹介では必ず、前半部分に紹介されていることを不思議に思っていました。

「学びてときにこれを習う。またよろこばらしからずや。」

学んで成長することは、人が人として幸せな状態にあるために、一番、大事なことと言っている。そんなに成長することって、幸せに生きるために必須のことなのでしょうか?

僕らは、日常、出会う人達は、みな幸せそうに見えます。しかし、多くの人が、人生の80年間の一瞬一瞬を常に成長し続けることは難しく、僕達が日常で出会う人の8割以上は、出会ったその瞬間、成長していない人もしくは、成長する努力をしていない人なのではないかとも考えられます。そうすると、実は、現代人は、多くが不幸せ??

確かに、成長を感じさせる人は、パワーをもらえるし、ユーモアも多く、いつまでも話をしていたいような衝動にすらかられます。

じゃあ、成長はどうやったら得られるのか?

学ぶことで成長が得られる。しかし、学びとは、知識を蓄積することのみではない。むしろ、その知識を様々な角度から応用できる知恵が必要である。

それでは、どうやったら、知識が知恵と結びつくか?

僕は、知識が知恵と結びつくとは、“遊び”の要素ではないかと思う。そのことを“楽しむ”ことの要素ではないかと思う。


「これを知る者は、これを好むものに如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」


まず、知識を得て、その知恵を楽しんで、知恵という応用に活かすことが学ぶことなのではないかと考えます。

しかし、知識をつかって“楽しむ”にはどうしたら良いのか?

それには、“感動”が必要ではないかと思います。

自分の経験で今でも忘れられないのが、中学生の時、連立方程式で、代入法を習った時です。

そうか、ひとつの式を、Y=の式にしてしまえば、Yをもう一方の式に代入できる。XとYが、両方なんてとても求められないよと思っていたので、この時の僕の感動は大きかった。それからは、もう連立方程式を解くのが楽しくなり、X,Y,Zなどの3つの変数でも怖くなくなったのを記憶しています。

すなわち、

知識→感動→楽しみ→知恵 

が、学ぶ=成長する、ためのステップではないでしょうか。

ここで、最初に戻って、

学んで成長することは、人が人として幸せな状態にあるために、一番、大事なこと、だとしたら、このステップを経て、成長するためには、必ず、「感動」や「楽しみ」が必要であるということでしょう。ということは、幸せなら、「感動」や「楽しみ」があるのは当然だとしたら、この理論は、一つの閉じた論理になりそうですね。

僕らが幸せに生きていくためとは、感動と楽しみを通じて、学び、成長することが、ひとつの答えなのかもしれません。

(渋沢栄一氏の「論語と算盤」、ビジネス教養としての「論語」入門(著:守屋淳)、今友人たちと勉強中の「学問のすすめ」)

2014年11月24日月曜日

新しいわんこ

MAXといいます!

ATOMが亡くなったのが4月20日でした。偶然ですが、丁度、7ヶ月後の11月20日に、我が家にわんこが来ました。

やはり次に飼うのもジャックラッセルテリア以外は考えられませんでした。しかも、毛が多いジャックも、やはり、気が進まない。根拠はないけど、今度は、少し黒っぽいほうがよいなあ・・という曖昧な理由で、夫婦でこのわんこを選びました。

男の子ですが、非常におとなしく・・・、人懐こい・・ちょっと頼りない?と思うような性格です。皆さんにもお会いすればすぐにお友達になれる(さらっていけちゃう?)のではと・・。まだまだ仔犬なので、これからどうなることやら。

名前は、本当に決めることが出来なくて、2日間悩みました。友人達からFBで、そら、うず、パス、ウラン、ヤハギ・・など、ご提案いただくも・・うーん・・と。

そこで、ドイツの友人が、マキシミリアンという名前を提案。実は、僕自身は、あまりに長い名前なので即効で却下したのですが、妻が、MAXっていいかも・・。と。僕も、それを聞くと、なぜか、毛色の黒、茶、白の配色の繊細さが、ドイツの雰囲気と似ていて、イメージがはまりました。

これからの成長を楽しみに。

2014年11月16日日曜日

裸になって人から本質を指摘されることは、飛躍のヒントでは。




阿蘇 大観峰周辺の牧場(エルパティオ)

今回は、カミングアウトします。このブログの女性ファンには、少し刺激的!?かもしれません・・。

大学のコンパ芸で、裸になりました(全裸です)・・。

私は、管弦楽団という、女性が多い部にいましたので、男性が裸になる・・パンツを脱ぐなどはご法度でした。しかし、大学の合宿のコンパ芸で、なにかやらなくてはいけない・・と追い詰められた自分は、洗面器浮遊術などを披露するはめに。どのような術かは、皆様のご想像にお任せします・・。しかし、意外にも、術の披露後に、女性からも暖かい声をいただいたような・・(そう、思い込ませてください・・)。

なぜ、このようなことをカミング・アウトしたかというと、最近、久しぶりに、心が裸になって清々しい気持ちになったからです。

「小木さんは自尊心、悪く言うと、自己顕示欲が強すぎるときがある。自分が他人を支配したいと思って行動している時あるよね。」と指摘。

この指摘は、ずしん、ときました・・。地方に来て3年。事務所も落ち着いてきて、弁理士として、少し安定してきたことは認めるところ。要するに、自分の鼻が高くなって、自信が強まっていることも否めないのでしょう。

これは、自分にとって非常に大切な師匠&親友に指摘され、しかも、複数人から言われたので、さすがの自分も認めるしかない状態。

僕は、実は、この指摘の真逆で、子供の頃から、自分に自信がなく、こだわりがなく、やりたいことを諦めて、失っていた人間でした。自分のやりたいことができて、人をリードできるような人間になりたい!けど、なれるとはとても思えない・・という子供時代でした。しかし、働いて、自分が活かせる仕事を見つけて、少しづつ自分が描く未来に共感する仲間が現れてきて、自分がリーダっぽくなっていく場面が徐々に増えてきました。

そして、僕を変えた大きなポイントは、宮崎に来たことでしょう。


弁理士が数名しかいない地方で、この希少な資格を持っているのであれば、自分が動かなきゃ、宮崎の大事な知財が埋もれるのでは、という危機感は強くありました。

ですので、激しく動き回りました。

これが、いい意味で自尊心の原因になったのでしょう。責任や覚悟という言葉も意識し始めました。しかし、度が過ぎて視点がずれると、自己顕示欲にもなりうるということでしょう。これは未来を描くときに、我を優先するのか、相手を優先するのかの視点の持ち方の違いかもしれません。僕は、我を見てしまうこと、自分のみが認められたいと思う傾向があることに気が付きました。器が小さな自分をそこに見いだせました。

いずれにしても、僕は、このことをはっきり指摘してくれたことが非常に嬉しく、このことを考えて、ブログにまで掲載できるようになるまでは、時間がかかりました。しかし、裸の自分になって、このことを受け入れると、自我が少し広がったような感覚になりました。

たとえば、弁理士や弁護士など、ある程度、社会的に地位が高いと思われてしまう専門家であると、なかなか、このような本質の指摘は、他人はしてくれないように思います。それを言う必要はないからです。しかし、あえて、言ってもらうことで、新しい自分が作られた感覚です。

なぜか、これを意識してから、肩が軽くなったように感じ、さらに大きな責任も自分の肩に載せられるのでは、という感覚になっています。

これは、師匠によると、徐々に、我を捨てて考えられるようになり、自我が広がって、肝が座り、覚悟ができはじめているからでは、とおっしゃっていました。

このような人生における、「過程」を感じられることは幸せです。発展途上である自分は、幸せなのかもしれません。

裸になって、人から本質的な自分の指摘をされることは、自分にとって、大きな飛躍のヒントになるのかもしれません。

2014年9月28日日曜日

鹿児島の市来農芸高校で講演をさせていただきました!


全校生徒に自分が講演をするなんて・・。そんな人になるなどとは、自分が高校生の時には思いもしませんでしたが・・。

80年以上もの伝統がある市来農芸高校にて、先日、知的財産セミナーをさせていただきました。そんな伝統のある学校でお話できるということで、楽しみでもあり、少し自分の気持ちも引き締まって、講演をさせていただきました。

知的財産の”知”って、わくわくしながら、仲間と楽しんで生み出して、それを学校や地域のために財産にしていくもの。

これが、一番伝えたかったことでした。

福沢諭吉が言うように、「天は人の上に人を造らず」なのです。でも、なぜ、現実には、上下があるのか?

それは、”知”で、差がつくから。

だから、勉強をして知識をつける必要があるし、経験をして、”知恵”をつけてほしい。そのために、本も読むけど、それだけではだめ。勇気を持って、いろいろ経験して、自分で体感として知ることが、いいアイデアを産み出す源。

特許権とは?とか、商標権とは?というお話もしましたが、知的財産って、もっと深くて、もっと、わくわくしながら、明るい未来を創り出す源。そんなメッセージが伝われば嬉しく思います。

2014年8月11日月曜日

プラハからミュンヘン 車中にて

プラハとミュンヘンに行ってきました。プラハからミュンヘンは、鉄道で移動。6時間近く、時間があったので、下記、記録を残しました。

かつての神聖ローマ帝国の首都、プラハの街は、文句のないほど美しい教会と、モルダウ川が導く街。

プラハの夕べ(2014.7.19)

壮大なスケールの教会と、キリストを表す金と銀の装飾品が、かつて宗教と政治権力が強く結びついたことを教えてくれた。これだけのスケールの建造物は、もはや資本主義社会では作り出せないであろう。

プラハ城

かの有名なモルダウ川は、思った以上に周りの建造物との調和に目を奪われた。水面に反射する夕日が、橋たちに飾られる彫刻と重なる。昨年、大きな洪水があったという。我々がその写真を見ると、年配の女性が一生懸命、ダムが決壊したことを英語で説明してくれた。

市内は、観光客で埋めつくされている。スーツ姿のサラリーマンは数えるぐらいしかいない。Tシャツ姿の西欧人、中国人が目立つ。日本人はめったにみないが有名な観光スポットではツアーで見かけた。ムハの美術館では彼らのあまりの短時間での見学に驚いた。私達の滞在の3分の1程度ではないかと思う。また、日本人の旅行者は、高めの店にいることが多いが、あまり会話が弾んでいるように見えなかった。メニューがわかりにくかったり、ウェイターとのコミュニケーションに不安を感じていたのだろう。

チェコはかつてドイツの支配下にあった。ガイドの話によれば、皮肉なことに、ドイツの支配下にあった頃は平和であった、ということだ。もちろん、侵略の悔しさはあったが、判断が難しいということ。

神聖ローマ帝国との30年戦争を経て、✴ボヘミアに対する思いが高まったのか、偉大な芸術家のボヘミアへの想いがプラハに集中しその想いを垣間見ることができた。画家のムハ、ドボルジャーク、スメタナなどの著名な芸術家が祖国チェコのための作品を残している。特に、スメタナのモルダウは言うまでもないが、ムハのスラブ叙事詩の大西欧人作は、チェコの苦しみと未来へのパワーを感じる力作であった。

ドボルザークの銅像

かつての建造物の美しさは世界一だが、経済的には発展途上である。街はスプレーの落書きも多く、ゴミの処理はひどい。共産主義国から資本主義に切り替わってまだ間もないこともあろう。10年前のマレーシアと同程度の経済レベルに感じた。しかし、高級車は多いように感じた。貧富の差が大きいのかもしれない。外資も多く入っている。ユニクロはなかったが、宿泊したホテルはイタリア系であったし、近くのスーパーは中国系であった。様々な国が商売をしに来ている
プラハ中央駅

僕らは、2等のボックスに座る。妻とわたし、他にチェコ人らしいドボルジャークの若い頃のような男性と、フランス人ぽい夫婦の5人のボックス。何と無く、ボックス内は会話もなく、気まずいとまではいいすぎだが、少し緊張している。

これを打ち破ることが起きた。

急に車掌から、次のピルゼンで列車を乗り換えるようの指示があった。英語を喋れないようでドボルジャークの男性が通訳をしてくれた。男性に改めて礼を言うと信頼を確認できた。男性はピルゼンで降りた。ビールを造りにいくのだろうか。

僕らはその隣のフランス人らしい夫婦とともに列車を移動した。この列車のホームと列車の間の階段が最悪で、ステップの幅が狭く、ステップを使わず、一気にスーツケースをホームから列車に上げなくてはならない。
がんばって、荷物をあげ、席に向かうとなぜか若者が6名陣取っていた。
まさかこれから、4時間席なし!と思いながら、若い女性の車掌に相談。彼女の答えは、アイドンノウであった。。彼女は上司に聞きにそのばをたちさった。

ここまで来ると、笑いがでた。。この状態で日本なら、私、わかりませんというはずもないし、この程度で動揺してしまっていることに逆に、頑張れと応援したくなった。

結局、我々フランス人と4人は、他の空いている席で許可された。最初からそうすればいいのに。。おかげで気難しそうなフランス人とは距離がちぢんだ。しかし、乗り換えたピルゼンでは、写真も撮れず残念。
犬は多くがリードをしていない。つまり、放し飼いなのである。プラハのトラムが走る街中でも放し飼いなのは驚いた。つまり、細い歩道を車にひかれず、犬が判断して歩くのである。また、吠える犬がほとんど皆無で、日本の犬よりストレスを感じていないように思えた。犬ってこんなにスキップするように歩くのだっけと感じたほどだ。妻は道でジャックラッセルテリアを見るとストーカーになっていた。。

食事は、うまい。

ボヘミアンバーガー
カロリーを気にしていないのか、ボヘミアンバーガーのビーフは感激だった。外国でお腹すいているからというのもあろうが、油とベーコンとの絡みがワイルドで、もはや、マックのワイルドは、マイルドであろう。原料の単価をあげて欲しい。

ピルセンビールはいくらでも飲めた。サッパリでありながら、最初の口当たりのボリュームは快感だ。ワインもさっぱり目で甘くなく、ボヘミアの舌のレベルの高さを感じた。欧州に来ると昼間からでもビールが飲める。日本でもできるが、なんとなく後ろめたさが残り、本来の意味でうまいビールは飲めない。それはそれで、改善しなければだが。。
車窓からの風景ードイツ国境近く北海道のような情景が続く

列車は、ゆっくりすすむ。

景色は、秋の北海道の景色だ。刈り入れ終わった麦畑の茶色が広大に続き、ある時は、山いっぱいの牧場が美しい。車道にはだいたい木が植えられ、丘が重なる上に走る車道の蛇行が山の奥行きを感じさせる。家は、白い壁に三角の屋根が可愛らしい。かならず、赤茶色の屋根である。チェコの印象とあっている。たしか、広島や山口でも赤茶色の瓦の屋根が多いが、これは、鉄分を含み酸化されるからと聞いた。同じような理由なのだろうか。


山間部は牛や馬が放し飼いなのか、頻繁に速度を落として汽笛を鳴らす。隣のフランス人がこの警笛で目覚めてしまうほどだ。各駅での停車時間も長い。しかし、旅ってこういうものだよなと思い出す。新幹線や飛行機で最短時間で移動しながらもメールをチェックしている自分を思い出す。僕らはこんなに効率的に生きることを追求していて大丈夫なのだろうか。

彼らは、友人や恋人に会うと、最初に目を合わせて、次に頬にキスをする。年配の女性同士が、行うのを見て、素敵に思えた。心を通える人と共に生きて行くだけで人生は充実できる、そんなことを感じた。

西欧人は、食べる量が多いが、メタボにならない体質の強さがあるように思える。自分たちが同じぐらい食べると、大変なことになりそうだ。でも、ボヘミアンハンバーガーはたまに食べたい。体格は大きい。僕はこっちで生活すべきであろう。

今、ドイツに入ったようだ。

妙に、列車が前より早く走る。汽笛がならなくなった。車掌が変わっていたら、ドイツ人の生真面目さゆえに、正規の席に戻るように言われたら困るね、などと冗談を言う。しかし日本と韓国や中国の国境で、もし、運転手や車掌が変わったら、などと考えてしまった。韓国の船の事故である。

鉄道が50分遅れていることを、妻が笑って指摘した。日本なら災害時相当の遅れだ。僕らは、今日、ミュンヘンから2時間かかるフュッセンに夜までに入らなくていけない。でも、なんとかなると僕ら自身も普通に思っている、この雰囲気は心地良い。

ドイツ人の売り子が来た。売り子と言っても、僕より年上のおじさんであろう。制服をきて、ボックスひとつひとつに声がけをしている。これは日本では当たり前かもしれないが、ドイツ人になってからであり、さきほどまでは、私服でジュースを運びに来た。

「チェコ側では、仕事だから仕方なく売り子をやっていた感じだったけど、ドイツ人は売る気があったよね」との妻のセリフ。

チェコの売り子を笑うのではない。売り子という商売に対する鉄道会社の心構えの違いを言いたい。全く同じ状況での業務で有るが、売り子に必要なアイテムをつけさせて、売り子に使命も感じさせて行動させることは、商売で重要だ。

もちろん、チェコではそこまで投資できないからということもあろうが、中途半端な心構えは、売り子という職業に失礼なのかもしれないと僭越ながら感じた。宮崎でも同様のことがありそうだ。

ルーゲンズバーグで、ドイツ人夫人が我々のボックスに加わった。ドイツ人ってこんなに陽気なのだと思うほど元気だった。

ドイツに入ると駅は、日本に似ている。ホームや道路もコンクリートだ。ただ、根本的な部分はチェコとあまり変わらないとも言える。それは昔、占領地であったからでもあろう。
ドイツの家も白い壁に三角屋根であるが、焦茶色の屋根も多い。そして、古い家に太陽光発電を備えている。ところで、ドイツのホテルは、高級な所でもエアコンがない所が多い。日本人ほど電気を使わないのかもしれない。

約30分遅れでミュンヘンに着く。

さて、フュッセンまでの電車はあるか。というのも、実は僕らの最終目的地はミュンヘンから2時間先に行ったフュッセンである。しかし、午前中に予定していたプラハ発ミュンヘン行きは切符が取れず、急遽、午後の電車となった。そのため、フュッセン行きの列車があるのかわからない。

ミュンヘン駅に着き、ドイツが初めての我々は、全ての表示は、ドイツ語のみであることに、若干、動揺しつつ、DBがドイツの鉄道会社であると妻が気がつく。DBの受付は、混雑するも、運良く英語で若い受付の男性に話しかけてもらえた。よっぽど困っているように見えたに違いない。21時発23時過ぎ着があるけど、着くの遅いよ。というアドバイス。ひとまず、今日中につけそうなことに安堵。

チケット購入の受付番号カードを片手に待っていると妻が気がつく。「ホテル、22時でチェクイン受け付けないって書いてあるよ」とホテルのホームページを片手に。

ひとまず、ホテルに電話だ。

ホテルに入れてくれれば、フュッセンまで行くし、入れてくれなければ、ミュンヘンに泊まろう。どうやって電話をかけるか?まずは公衆電話。なんとか見つけて受話器を取るも、クレジットカードが認識しない。今回の旅が前回とは違うのは、携帯電話が使えることだ。使い放題のネットワークにつなげると、日本からの留守電やショートメールを受信。ホテルにでんわ。運良くつながり、事情を説明すると、着いたらドアノックしたら入れてくれるということ。「Really?」と聞くと、相手は笑いながら、OKとの返事。

フュッセン行きのチケットを無事購入し、なんとかなりそうに安心していると、アジアンフード屋さんが目の前に。プラハでは見当たらなかったので、たまらず、カツレツと焼きそばのセットとコーラを頼み、腹ごしらえ。



いざ、車両に乗り込むも、チケットはホームでの打刻がないと、罰金40ユーロということ。。打刻はしていない。。列車は発射した。。

いつ、車掌がチケットを確認に来るか。その時は来た。金髪と制服の青年が確認に来た。我々は、ユダヤ人になったかのようだった。妻は、打刻するなんて知りませんでした、と言い切るつもりで演技前、準備十分な状態。しかし、思いがけず、かれはサンキューと言いながら、ハンコを押した。これに妻は、驚き、返ってええーといいそうな驚きの顔で僕を顔見。これに反応して、青年も僕を顔見。僕は、妻がなんでそんな顔するんだ、嘘つけない人だなと思いながら、とぼけて無視すると、隣の女性が、タイミング良く青年に話しかけて、空気はごまかされた。

後で調べると、時刻が入っているチケットは打刻が必要ないということだった。。

フュッセンに到着。時刻は23時半をまわっている。降りた客は我々含めて、5人のみ。
イメージで言うと、軽井沢に最終便で到着した感じであろう。

ホテルまでは、9分歩く。真っ暗だ。緑に囲まれたホテルがみつかる。入口の明かりを頼りに、ドアフォンを押す。若い少年が快く鍵を渡してくれた。

朝。まるで、ミヒャエルエンデのネバーエンディイングストーリーを連想させる幻想的な山と森。針葉樹の葉の細かさが繊細な美しさを感じさせる。これがドイツか!自然の美しさと気候の良さに感動。


ミヒャエル・エンデの世界が現実に!?

ここで絵本読んでもらいたい!?

2014年7月5日土曜日

豊かに生きてる人からのヒント

この時期の日南の南郷プリンスホテルからの景色
なんとこの景色で、朝食付き7000円は格安!?

九州に来てから、年配の方とお話させていただく機会が増えました。結構、現役時代にはBIGなことをやられていた方も多く、彼らの話を聞くと人間や仕事に対する心構えといいますか、どのように、出来事や人間や社会を捉えて、判断し、行動していくかが参考になります。

★挟持ってなに?

「小木さんは挟持が足りないかも」とご指摘を受け、、

そもそも、「挟持」って、知らない・・。

知らないものは、持っていようがないよな・・など思い、教養がない自分を反省。

簡単な言葉で言うと、確固たる自分を持つということのようです。

人とのコミュニケーション能力がある程度あると、若干、八方美人にもなりがちで、相手の意見に左右され、結局、自分の大事なものを見失いがちな場合も。本当に自分が大事な意思も、はっきり相手にぶつけて、初めて、高いコミュニケーションが発揮できる。そんな自分を目指さないと。全くやっていないわけではないと思いますが、まだまだ高める必要があるのでしょう。

「自信」という言葉は、若干、自分はネガティブに捉えがちで、なんだか、自分勝手といいますか、傲慢なイメージが強く、自信をポジティブに考える傾向が弱いことに気が付きました。謙虚という言葉と、自信という言葉は、若干、背反にあるようなイメージもあったのですが、普通に、両立できることを意識しなくてはいけません。

「自信」を、なくして、人を導いていけないですし、社会に影響をあたえることは出来ないのは当然です。自信を自分の骨にしていく考え方が、挟持へのヒントになるのでしょう。

★意識が視点を作り、視点が認識を生む

僕らが物事を判断するときは、その判断対象に対する認識が基準になると思います。それでは、この認識はどうやって生まれるか?認識するためには、その認識対象に目を向ける必要があります。ですので、認識は視点によって生まれます。それでは、その視点はどう生まれるか?視点は意識されないと生まれないので、視点は意識によって生まれます。それでは、意識はどうやって生まれるのか?これは、めちゃくちゃ、難しい・・。暗黙知やいわゆる右脳の世界になってきますね・・。端的に言ってしまうと、意識は、感覚のセンサーによって生まれるのかと思います。

なので、僕らは、仕事ができる人のことを「あいつはセンスがある」という言い方をするのでは!?感度の高いセンサーがあれば、意識が生まれやすく、それに関する視点ができて、認識が生成されておける。

つまり、認識は多ければ多いほど、豊かな人間(相手を思いやれる、世界の事柄をたくさん認識できる)になるのでは!?ということです。

よく、考え過ぎって、よくない!?って考えていましたが、それは、あまり良くないこととか、発展的ではないことを考えるから、良くないのであって、常にセンサー→意識→視点→認識により、認識をたくさん作っておくことは、豊かな人間になれることではないかと思います。

貴方のセンサーがたくさん感知すべく、世界の変わった人と語りあったり、体験をすることが豊かな人間形成に大事なのではないかと思います。


★愛と愛情は違う?

この質問の答えは、分かりますか?

愛情は、見返りを求めるけど、愛は、一方的なんだよ。誰かに何かを施して、見返りを求めるか、求めないか。神は、愛を一方的に与えるだけで、自分は見返りを求めない。でも、普通の人間は、見返りを求めるよね。それは、愛情ということ。

リーダーになるには、愛の要素が必要なんだと思います。でも、普通の人間だから愛情になってしまう。それが現実なのでしょう。賃金を払うから仕事をやってもらう、相手のことを想いやるから、自分も想ってほしい。僕が残業したから、あなたも手伝って。こういう考え方は、人にとっては普通ですよね。

リーダーは、相手と同じレベルに立って判断しない場合も必要。同じレベルでタイマンをはっていては(なんで自分がしてあげたのに、相手がしてくれないことに腹を立てるなど)、先に進まないことも多々ある。そんなとき、相手が(仕事など)してくれなくても、「僕が時間があるときにしておくよ」と、さらにその後の見返りを求めず、言えるか!?振る舞いとしてはできるけど、本気では無理そう・・。

人は、神様ではないですから。まあでも、まずは、このことを認識してみることから一歩ですね。

2014年6月8日日曜日

高等学校で知財の講義をやらせていただきました。



川内商工高校のインテリア科の生徒さん向けに知財のお話をさせていただきました。女子が多かったせいかみんなおとなしくて!?僕が怖いのかも・・。スマホケースのデザインを考えてもらい、何が意匠で何が特許なのか考えてもらいました。最後に、都城工業高校出身でドイツに居る弁理士を紹介して、弁理士のアピール。この中から将来の弁理士が!?

大学院でも授業をやらせて頂いており、知財とものづくりの話は、確かに、大学院生のほうが反応がよいです。ただ、純粋さは高等学校のほうがあるのかなと・・。理屈ではわからなくても、感覚的に伝わっている!?

2014年4月20日日曜日

夫婦のアイデンティティ


アトムは、今日の未明に、本当の天使になりました。

前回のブログを書いたその日の夜でした。短くて早い呼吸を繰り返しており、あきらかに苦しそうであるにもかかわらず、こちらからうてる手段はなく、「この苦しさ、なんとかならない」というアトムが目で問いかけることは感じていたのですが、答えてあげることができませんでした。

最後の瞬間は、咳を何回かして、そのまま呼吸ができなくなった状態でした。死に到る寸前は、苦しまなかったようでした。

眠れない夜を妻と過ごし、かかりつけの動物病院に報告。この後の火葬について指示をいただきました。昼からの火葬に向けて、写真の準備をするも、いままでの想い出が蘇り・・夫婦で、涙、涙。あれもあった、これもあった・・。いかにアトムに我々が支えられていたか・・。

火葬場は、宮崎市から車で40分ぐらいの綾という場所を選びました。綾は、軽井沢のような緑豊かな郷で、個人的には大好きな場所です。アトムのダンボールの棺には、今日、咲いた庭の赤いバラや、鮮やかなツツジを彼のそばに入れてあげました。我々からの手紙も添えて。美しい棺だったと思います。

アトムは、綾の土地に眠らせました。綾は、自然と緑がいっぱいなので、思う存分、走り回れるのかなと思います。

なぜ、こんなに、彼のことを考えてしまうのかな?と夫婦で話しました。死について、これほど夫婦がショックを受けるとは思っていなかったのです。

その答えは、アトムは、僕ら夫婦にとって、アイデンティティだったからだと気が付きました。

僕ら夫婦は、自分がどんな人間かを説明したり、どんな夫婦であるかを説明するのに、いつもそこに、アトムがいたのです。彼は、僕らの自慢でした。僕ら夫婦が、消極的になってしまう自分を変えるためのシンボルのような存在が、アトムでした。

妻が、今回の死を迎えて、我々2人が、あまりにショックを受けていたこと自体に驚き、「私達って、アトムに依存しすぎていたのかな?」と質問しました。

その答えは、

アトムは、「依存」というレベルではなく、僕らのアイデンティティそのものだったのではないかと思います。

もはや、僕らの体の一部であったのでしょう。僕ら夫婦がどんな夫婦かを知ってもらうために、彼の存在は欠かせないものだった・・。




最高のパートナーでした。

ありがとうアトム。

2014年4月19日土曜日

アトムとの生活

2014.4.19のアトム

子供の頃から、いつか、犬を飼いたいと思っていました。

弁理士試験に、5回失敗し、微妙に絶望気味・・。何か新しい自分を見つけないと・・と思っていて、6回目に失敗した時には、犬を飼おうと決めていました。

飼う犬は、ジャックラッセルテリアしかない。絶対ない。と決めていました。ゴールデンレトリバーも魅力的ですが、マンションなので、まあ、中型犬で。ちょっとぐらい、ヤンチャな方がいい・・と。

予想どおり!?6回目の試験に失敗し、犬を飼うことに決めました。インターネットで検索し、京都に、可愛いジャックラッセルテリアがいることを確認。当時、ETC1000円の時代で、妻と2人で小旅行でした。

行きの車の中では、なんて名前にするか、妻と話し合い。ショコラとか、モカ、とか、かわいい名前が連想されるも、アレックス、アトムなど男の子っぽい名前も。結局、モカでいこうと、話していたと思います。

そして、面会。一目見た瞬間に、断る理由も全くない、最高の犬でした。他の子犬にちょっかい出す、やんちゃそうな顔、しぐさ。一目惚れでした。

帰りの車の中で、あまりに、やんちゃな犬なので、モカは、似合わないと妻とはなし、アトムとつけました。

当時、僕は、一人社長で会社を設立したばかりで、自宅で仕事をしていましたから、話し相手になる、犬がいるのは、嬉しかった。そして、犬の散歩の毎日が新鮮でした。ちょっとした運動になるし、近所の方とのコミュニケーションができて、一人で仕事していた自分には非常に助かりました。また、夫婦で散歩に行くことも多く、犬をきっかけにして、近所の方と交流できるというのは、子供がいないわれわれにとって、結構、新鮮なうれしいことでした。



また、僕自身も、アトムを叱ったり、アトムの親代わりを演じることで、犬に声をかけたり、近所の方に積極的に声をかけたりと、社交的になったように思います。子供などが苦手だった自分にとっては、代替的な子供である、アトムが居ることで、人や犬とのふれあいが自然とできるようになったと思います。

僕ら夫婦は、それぞれの職業で、独立して仕事をしているため、犬の散歩や犬の話題が、夫婦共通の行動や話題となり、夫婦関係を非常に支えてくれたように思います。共通の趣味の一つになりました。

埼玉にいた時も、宮崎にいた時も、河川敷でお友達ができて、よく遊びまわりました。また、震災の後に、東北から埼玉に移住されていた方に、アトムがきっかけで、出会うことができました。その方達とは、いまも犬を通じて交流を続けています。


先日、アトムが胃がんであることが分かりました。かなりの末期です。

僕達としては、全く予想もつきませんでした。最近、散歩の量が減っても大丈夫だな・・ぐらいに思っていましたが、熊本の旅行から帰ってきてから、食欲が減ったので、病院に連れていって、判明しました。

大学病院でも診てもらい、既に、肺、脾臓、肝臓など多くの箇所に転移しているとのこと。若いせいか、進行がかなり早いようで、先生も、これほど早いのは初めて見た・・とおっしゃるほど・・・。

今日は、あまりに、アトムの呼吸が苦しそうなので、先生に診てもらうと、水がたまっているわけではなく、肺の進行が早く進んでいて、対処のしようがないということ・・。苦しそうな呼吸に手を打てないのか・・。この苦しそうな状況を目の当たりにしても、何もできることがない・・。

肺がんは、1ヶ月程度で死に至る、ということで、これからアトムは、どう生きて、どう死んでいけばよいのだろうか。

僕達夫婦に、たくさんのことを、与えてくれた小さな天使が、もう少しで、いなくなってしまう・・そんな悲しい想いです。

アトムは、やんちゃなのですが、実は、僕ら夫婦に似て、運動神経が結構、悪いんです。ジャンプが出来ません。なので、よく転んだりするのですが、すぐに立ち上がって、前に進みます。僕は、その姿を見て、そうだ、転んでも、すぐに立ち上がって、前に進めばいいんだ。なんて、当たり前のことを、彼から教わりました。そんな、前向きな自分の形成に、彼が大きく関わってくれたと思っています。

そんな前向きになった自分とはいえ・・・これから亡くなるアトムをみて、すぐに前を向けない・・そりゃそうですよね・・。

今も涙でいっぱいです。

2014年3月6日木曜日

手を動かす楽しみ



僕は、基本的に手先が不器用で、オヤジによく残念がられていました・・。

オヤジは今も、木の皮でカバンや財布を作る人間で、それに比べて自分は、ガンダムのプラモデルのグフの関節部分が余計な接着剤がはみでて・・、可動しなくなる・・といった次第・・。模型屋さんのガンプラコンテストでは、努力賞・・といった、若干、イタイ賞を頂いていました・・(うれしかったけど・・今かんがえると、たぶん、全員入賞できたのでしょう)。

事務所は、発明やものづくりのためのアイデアを議論する雰囲気にしたい・・と思っていたので、家具はやはり、手作りがいいな・・とおもっていました。

しかし、手作り・・って俺が作るの!?という悩みがありました。

そんなとき、「トンテンカン」の魚本さんと出会いました。DIYのための材料と加工をほとんど手伝ってくれて、自分でもできるような簡単な箇所だけ、やらせてくれる・・。そんな理想的な場所を提供してくれます。

僕も、簡単な面取りと、組み立てだけで・・この笑顔・・。




3時間ぐらいでしたかね。とても楽しかったです。隣では、かばん型のバーセットを作ってらっしゃる方がいて、ジャックラッセルテリアのネタで盛り上がっちゃいました。そんな、DIYパパ同士の交流もいいですよね。



事務所に置くと、ちょうどよいサイズ!みんなの発明品や地元産品のチラシを置けるようになりました。

普段、パソコンでしか使っていない、自分の手と頭を、木のぬくもりを感じながら、有形の物の形にしていくことは、なんだか、忘れていた脳の回路を呼び出したようで、ワクワクしました。

次は、このテーブルのためのベンチに挑戦!?しようかと思います。乞うご期待!?

2014年1月7日火曜日

サンシャインFMに出演しまーす。


1月10日(金)の13時から地元のラジオに出させていただきまーす。長友まさみさんの「まぁちゃんの Enjoy! My Life!!」という番組です。長友さんのハイ!?テンションについていけるか不安でしたが・・、なんとかなったかな・・ならなかったかも・・。エリア外でもHPで聴けるようですので、関東とか福岡とか熊本とか大分とか大阪とか・・の皆さんも・・よかったら・・。弁理士や宮崎のものづくりの話をしますので・・。

サンシャインFMのホームページはこちら。

http://www.sunfm.co.jp/timetable