2015年5月6日水曜日

妻のキャリア その2



妻の仕事の都合で、宮崎に来て5年。

関東で生まれて育った自分にとっては、あるいみ、ヒモ?のようにかみさんについて、九州に来ました。

自分の仕事は、人の頭の中を書類にする仕事で、いわば、作家のような仕事です。場所を選ばないので、宮崎で、東京の仕事のみをして過ごしていました。

しかし、宮崎の人達と知り合うことで、しばらくすると、地域の活性化したいという皆さんの情熱を感じ、この情熱が私にも伝染ってきました。僕も宮崎のためになにかやってみようかな・・など・・・思うように。

自宅で一人で仕事をしていただけでしたが、じょじょに、中小企業の社長さん達と、ものづくりや起業の団体を立ち上げたり、表通りに事務所を出して、従業員を雇ったり・・。今までの自分では想像を越えるぐらいに、なんだか活発に行動していく・・。

僕自身も土地に求められることが、気持ちよくて仕方がなかったです。いまでも、こっち来る前では想像できないほど、充実した宮崎の生活をさせて頂いています。

妻の任期は3年でしたので、4年目(昨年度)には、彼女は仕事がなくなりました。つまり、夫婦ともに、宮崎にいる理由はなくなったわけです。

しかし、僕自身は、宮崎で事務所を立ち上げているため、いまさら、宮崎の人たちに、さようなら、と言うことはできません。

妻にはひとまず、宮崎にいてもらうようになりました。しかし、関東や福岡などで就職が決まる可能性も否めません。僕自身も、宮崎での体制をととのえつつも、将来、どうしようかなと悩んでいました。

そんな中、彼女は、以前から自分の研究として興味がある宮崎の山間部の小中学校に頻繁に通い続けました。朝は6時頃に家を出て、2時間(往復4時間!)近く車を運転して、先生や生徒と時間を共有。

そんな成果が実ったのか、この春に、宮崎県で再度、仕事を得ることが出来ました。しかも、任期が事実上なく、宮崎県に長くいることもできるキャリアでした。

僕ら夫婦は、宮崎に縁があるのだな・・と実感。これで、我々夫婦は、宮崎に長期に渡り、住み続けることができる環境が整ったのです。

もともと、妻のキャリアの都合で宮崎に来ましたが、僕のキャリアの都合で、彼女を宮崎に滞在させて、その間の成果で、彼女は、今回の、宮崎での良いキャリアを得ることができた・・。
これは、やはり、夫婦でこの地を好きになって、縁をいただいた成果だな・・と思います。なかなかあることではないですよね・・。

5年前、家族で宮崎へ行く!という決断は、若干、キャリア的には、残念な判断?もう仕事する気ない?と思われても仕方がない・・とも思われますが、そのような思い切った決断が、かえって、捨てるものを捨てる覚悟ができて、我々夫婦それぞれのキャリアとしては、非常に大きななにかを得ることが出来たように思います。

さあ、本格的な宮崎での生活が、今から始まります。改めてふんどしの締め直しです!