2011年9月20日火曜日

仕事をする顔


巣鴨で新規にオープンする美容院に仕事が決まりました!

その日、僕は、今まで見たこともなかった、Yさんの表情を見ました。

震災後、浪江町から避難して埼玉に住みはじめたYさん。犬のムクちゃんがきっかけで、僕と知り合いました。埼玉に住み始めても、心配はつきませんでした。残してきた家の心配や、子供さんの学校の問題。市役所等の公的機関とのやり取りや、友人知人の行方、浪江町に残してきた家へ一時帰宅、など、明るいニュースが殆ど無い毎日。

自分は、実際に被災もしていないのですが、Yさんから頻繁にメールを頂いて、その内容と写真から、なんて声をかければよいかわからなくなりました。しかも、そのような状態が収束する可能性も見えてこない。僕だったら、乗り越えられなかったかもしれません。

そんなYさんが、震災から半年経って、念願の仕事を獲得することができました。もともと美容師だったYさんは、美容院の就職を希望しており、話好きで、ヤル気満々なのが、功を奏して!?、見事に、就職活動に成功されました。

「小木さん、じゃあ、シャンプーしていきますか。小木さんの髪質は・・・だから、小木さんの奥さんのほうがこのシャンプーは・・・。」

自分が好きな仕事をすると、人って表情が変わります。正直、今まで、彼女のこのようなプロフェッショナルな感じといいますか、、職人っぽいところも感じていなかったから、なおさら、驚きました。

そして、とても、嬉しかったです。

もちろん、ここに就職が決まったからといって、全ての悩みが解決するわけではないのですが、なんだか、大きなターニングポイントになるような気がしました。

そして、Yさんの旦那様も、8月から働き始めたとのこと。ご家族共に本当に良かったと思います。



我々も、明日から、仕事が始まりますが、Yさんのような表情になって、最近、仕事していますかね?

あいやーー。。

なんで、そんな表情ができなくなったのかな。。

仕事に対して謙虚さが無くなると、そんな表情ができなくなるような気がします。
挨拶をしっかりして、自分を引き締めていこう!

(写真は、Yさんが勤め始めた、美容院、健康美容室フラワーです。巣鴨の地蔵通り沿いにあります。オーナーさんも愛想のよいごご家族ですので、是非、足を運んでください。マッサージもありますし。)

2011年8月31日水曜日

本当の共有





「経済が厳しい時代であっても、今の若者は、もっと失敗したほうがいい。デッサンをするときは、いくつもの線を重ねて、輪郭がはっきりしてくるもの。失敗を恐れて、最初の線を入れることすらできない若者が増えているのでは」ということをテレビで言っていました。勇気づけられます。何回か線を入れてみるのですが、輪郭がはっきりしてこないので、自信がなくなって、新しい線をひくのを躊躇するときがあります。誰かが、先にひいている輪郭をなぞっちゃうこともあります。でも、こんな時代だからこそ、自分の輪郭で、デッサンを仕上げてみたい。


このメッセージをFacebookに投稿して、いろいろな方からコメントをいただきました。テレビやネットで得た言葉に、自分が影響を受けたり、励まされたりして、それを、みんなで共有できるのは嬉しいです。


何でも器用にこなす先輩がいて、「なんで、そんなに器用にこなせるのですか?」という答えに対して、「退屈なことでも継続することです」と答えたんです。「男って、すぐいろいろやりたくなるんだけど、とにかく、継続して続けることが、何かを成し遂げられることだと思う。
」というニュアンスのことを言っていました。「継続は力なり」と校長先生も言っていたけど、今の時代、時代を言い訳にして、忘れていた気がする。地に足つけなきゃね。


これは、僕が尊敬するビオラの先輩に、飲み会で教えてもらったことを投稿しました。イノベーションだとか、変化の時代とか言われていますが、退屈なことでも、地道に継続するということを思い出させてくれました。


このビオラの先輩の親友で、コントラバスの先輩がいます。僕にとっては、なくてはならない先輩です。その先輩は、宮崎でコントラバスの職人をしています。僕は、埼玉にいる時から、彼のコントラバスの営業を東京でお手伝いしていました。かれこれ、2年以上、毎週、3時間近くの電話会議をしています。よく僕ら自身も、そんなに話すことあるな・・と後から思ってしまいます。日々のビジネスのことや、僕らにとって、仕事で大事なこととは何か?などを話し合います。


そうこうしているうちに、僕自身も妻の仕事の都合で、宮崎に来ることになりました。この先輩が、宮崎に僕を呼んだかも?とも思っています!?


その先輩が、ビオラの先輩の話を、僕がツイッターでつぶやいているのを見て、「小木くん、いろいろな人に影響受けていることをツイッターとかで、つぶやいているけど、毎週3時間ぐらい話している、俺のことは、いい話聞いたーって、つぶやかないんだね。俺、いい話してないのかなー」と指摘されました。


確かに、僕は、その先輩にびしっと僕の甘さを指摘されたり、優しい言い方で怒られたりしていますが、なぜか、今まで、ツイッターやブログで書いたことがないんです。




なぜでしょう??




人に、本質的な影響をあたえることは、単純な言葉のみで達成することはできない。


のではないのかな、と思いました。


つまり、上記のデッサンの話や、ビオラの先輩の話も、大変、勇気づけられる、いい話だと思いますが、自分を本質的に動かすのは、ツイッターでつぶやけるほど単純な言葉ではないように思います。つまり、コントラバスの先輩との会話は、影響を受けている大事な言葉を切り離すことが出来ず、ツイッターやFacebookでつぶやくほど、簡単なものではないのです。


確かに、ツイッターやFacebookは、気持ちや感情、大事なことを共有することができます。しかし、本来の共有とは、深く、長く相手と言葉を交わしているうちに、相手の意見か自分の意見か、気がつかないぐらいに、自分に浸透しているのものが、共有ではないかというような気がします。つまり、一言、二言では、共有はできないのです。


ツイッターやFacebookで、多くの人と共有するのは大事ですが、何時間でも話せるような、深い共有ができる、そんなコントラバスの先輩は、何億円の金貨よりも、何よりも嬉しい存在です。


(昨日の早朝に、そのコントラバスの先輩に、男の子の赤ちゃんが生まれました。難産でしたので、心配していましたが、本当におめでとうございます。)


(写真は、ATOMが、友人のワグナー(犬のぬいぐるみ)とカラダを張って?共有している写真です。夕食後にかならず、取っ組み合いをします。なぜか、ATOMは仰向けになって、ワグナーに乗っかってもらうのが好きなんです。Mなのかな?)

2011年8月6日土曜日

知を活かす

新聞で、「いきる」や「いかす」を、「生きる」、「生かす」を使っていますが、「活きる」や「活かす」を使う場合が多々あるのでは、とよく思っています。例えば、「経験をいかす」は、「生かす」が新聞では使われますが、個人的には、「活かす」を書いて欲しい。どうやら、新聞協会?等のきまりのようで、「生きる」を使っているようです。

毎日を、ただ、生活するのであれば、「生きる」でよいのですが、毎日を活き活き、生きるのであれば、「活きる」であるべき?なんて思っています。

僕は、弁理士という仕事をしているので、発明の話を聞いて、その発明に対して特許を出したり、ビジネス上で、そのアイデアをどうしたらいいのか・・といった話をお客さんとします。
しかし、話を伺う発明の全てが、特許になったり、ビジネスで成功できる!といった発明であるとは限りません。むしろ、いや、それは、、、特許にするのは厳しいな・・という発明が圧倒的に多いのが現実なんです。

「あ、いや、それだけでは、特許をとれないんです」

と僕が一言いってしまうと、すべてが終わってしまうことが多々あります。

発明者は、そのアイデアを、自分の一生のアイデアとして僕に説明してくれていることも多々あります。何回も考えたでしょう。それで、これでいけると思って、思い切って、僕に会いに来てくれて・・・一生懸命に説明をしてくれています。極端な場合は、そのアイデアが自分の自己実現として、熱く説明してくれる場合もあります。

そんなアイデアに対して、「それは、こんな技術が最近、流行っているので、これと同じですよね。」
と、あっさり返してしまっては、失礼な場合もあります。もちろん、特許の相談に来られているので、既に、誰かがやっていて新規ではないものや、進歩性がないものについては、はっきり、指摘しなくてはいけません。ですが、それだけで、突き放すのは、あまりに酷な場合も多々あります。

「今のままでは、厳しいのですが、それって、こういうことをやりたいんですよね?その特徴はこういうところなので、同じ方向で考えると、こういうことに適用できますか?」「あーそうなんです。その場合も、実は・・」といったように、発明を更に発展させるように、素材を「活かして」いくと、そのブレストの中で、新しい発明が生まれたり、特許になりうる技術が生まれます。

発明を「活かす」こと、これが僕らの仕事です。つぶすことは簡単かもしれません。つまり、若干、いまいちなアイデアに対して、単に、発明が生きているままに捉えて、ダメ出しをするのではなく、その発明を「活かす」にはどうしたらよいか考えてみる。アイデアの芽を活かしてあげる・・それが弁理士の仕事なのでしょう。そんな、弁理士の仕事は、なんだか人々の“知”を育んでいるように思います。

生徒の個性を「活かす」ことが大事なんです。

学校の先生が、こういうふうに発言する際には、「活かす」であって、当然、「生かす」ではありません。単に、僕らは、生きていれば良いのではなく、その人の特長を活かすことが大事で、活かすことが、生徒たちが長く生きる人生において大事であると言えます。例えば、自分の個性を活かして、社会で活躍したり、自分に自信が生まれます。それを促すことが教育と言われているのでしょう。先生は人を育みます。

僕ら弁理士は、特許庁に対する、単なる書類の作成屋さんではありません。アイデアがあればそれで、仕事が終わるわけではありません。我々は、アイデアの育て役です。そこに、「その人のアイデアの特徴を活かす」という手法を用いて、知を育んで、ひとりでも多くの知を輝かせることができれば、と思っています。

(アトムも、ただ生きるのではなく、思いっきり走りまわって、活き活きしたいよね!)

2011年7月23日土曜日

空気を読むとは

4時間00分

福岡から宮崎の往復は、飛行機を使いません。高速バスを使います。あ、いや、僕と、お金が無い学生だけかも??宮崎駅から博多駅までの時間が、だいたい4時間なんです。ちょっと、時間がかかりすぎですが・・なんと、バス代が片道2000円!なんです。これって、常磐線の上野から水戸ぐらいの交通費?

バスは、だいたい、2人席を1人で使用できますので、でかい自分でも、ゆったり座れます。

しかし、先日は、大変なことに・・。

僕は、身長が188cmありまして、小木なのに、大木だよね~。という会話を、初対面の人とは、だいたいかわします・・。もちろん、足が長い・・とは言わないですが、若干、全体のサイズが大きめ(腰回りとか、靴の大きさとか)でして・・。よく、ガタイの大きなアメリカ人(僕のイメージは、ソフトクリームを両手で食べているボブさん)が、飛行機のエコノミーシートで、ありえないぐらい、狭くひっそり座って、映画見てたりしますよね・・。僕は、若干、ボブと同じように、バスの座席では、足を真っ直ぐ伸ばすことはできません。

そんな自分が、いつものように乗り込んだ高速バス。

なんと、僕の席の前の方が、既に、窓側と通路側の両方の座席シートをリクライニング状態にだいぶ・・傾けて、お一人でお座りになっています。窓側と通路側・・両方ですよ・・。座らない方も・・。


あちゃーと思いながら、自分の座席に座ると・・・、当然・・・

せまっ・・。せまっ・・。ちょーせまっ・・。


まずい、4時間この状態ですか!うわーきつい・・。


座席の後ろにある、飲み物フォルダに、液体が満杯のアイスコーヒーを入れると、傾きの角度があまりにきつくて、溢れそうになる・・・それぐらいのリクライニング状態です・・。あわてて、ちょっとコーヒーを飲む・・。なんか、ちがうような・・。

僕の足は、当然、収納できませんから、通路側に座って、はみ出ています。

すると、通路を歩く人は、当然、僕の足が邪魔になる・・・。そこで、窓側シート前方に足を出すも・・あまりの狭さに、前の座席の上部に僕の顔がくっつきそうに・・・。

勘弁して~。。

バスは発車しました。

僕は、考えます。

この人に、なんて言えばよいか。

すみません、ちょっと狭いので、リクライニングを少し、戻してもらえますか?

これなら、あたりさわりがないから、いけるはず。でも、最悪のケースも想定しておこう、おじさんだから、逆ギレされるかもしれないし。

「そんなこと言っても、リクライニングする権利があるんだから(怒)!」

あーそれ、いわれそー。

やっぱ、“権利”くるよなー。

でも、いいたくないからーー、空気読んで、シート戻さないかな・・。鼻息あてよっかなー。


と思っていると、おじさんが、僕の前のシート、通路側だけ、シートのリクライニングを戻してくれた。

僕は、その瞬間、なんとなく、「すみません」という言葉が出た。



僕らが他人と時間や場所や会話を共有するときに、空気読んでよーとか思いますよね。

これは、空気を読んでほしい人が勝手に解釈していることも多々あります。例えば、残業をして、残業代を請求するときに、経営者としては、仕事しないで、しゃべっていたんだから、残業代請求しないって、空気読んでよー、とか思うと思うのですが、一方で、従業員は、僕らは、その時間、拘束されていたんだから、残業代を請求する権利がある!と言う場合です。

結局、権利という話になると、民事的、刑事的に問題になって、共有すべき相手同士が対決状態になってしまいます。この場合は、共有すべき相手同士で、生み出されるものは、相手に対する、怒り、で、それ以外は、何も無いかもしれません。

一方、共有する相手同士に信頼がある場合は、相手の気持を考慮して行動するため、優しさや配慮が相手に伝わります。その瞬間、相手に対する信頼も作られます。そうすると、その後の行動で、また、空気読んでないと誤解されるような行動があったときに、あの人はそんな人じゃないから、その行動が何かの誤解である、と、人に対する疑いではなく、行動が誤解だ、と判断してくれる場合があります。

例えば、ある会社と仕事をしていて、思いがけない請求書がその会社から送られてきたときに、「え、これって、相手に悪意があるのかも?」と思って、事務員が先方に連絡ができずにいる。このとき、先方のボスを信じている経営者が「誤解だと思う。ちょっと電話してみるよ」と言って、すぐに電話して、解決する・・。これは、日頃のその会社と経営者の信頼関係の成果でしょう。

信じることをすぐに忘れるのは、簡単です。よっぽどの親友でないと、あの人は、そんなことしないよ・・と言い切れないですよね。僕も本当に、すぐ、疑ってしまいます。でも、それでは、寂しい・・。

身近な人と、“あうん”で呼吸するために、相手との信頼を継続する方法として、頻繁に、相手の思いや本音を確認することが大事かもしれません。家庭や職場で、食事を一緒にして、笑いや、想いを共有していれば、信頼を継続することができますし、パソコンの時代ですから、現在は、メールやブログ、ツイッター等で、お互いの日々の思いも共有できます。

そして、自分に身近な人と想いを共有して信頼関係があれば、社会に対しても、信頼をもって、接することができるように思います。つまり、偶然席の前に座っている知らない人でも、「少し、リクライニングを起こしてもらえますか?」と仮に相手に言っても、このひとは逆ギレするような人じゃない、と思える、相手への信頼感です。うーん、もちろん、これは、ハズレがあるかもしれませんが・・。

でも、ハズレたとしても、それを信じて、つまり、相手を信じて、要求を言った自分は、社会を信頼していったと思っていいはずです、だから、自分を褒めてあげてもよいのかな、なんて。

(写真は、宮崎と羽田間の飛行機に乗る前のアトムです。俺らや航空会社を信頼しているから、カゴの中でもおとなしくしていた?)

2011年6月19日日曜日

長寿の遺伝子


「長寿の遺伝子は、昔の人はONだったけど、今の人はOFFなんだ。なんでだかわかる?」

梅雨の時期に、友人とあって教えてもらいました。梅雨の合間を見て、先日、家から車で30分の青島神宮へいってきました。青島は、中国のチンタオではありませんよ。宮崎の小島ですが、九州本島から歩いていけます。島には、青島神宮しかないようです。

青島神宮の奥には、細くて暗い元宮への通路があります。そこに入ると・・。

なんと、ジェラシックパークさながらのジャングルで、シダ植物が、神社を囲むといった・・南国なのに神社?という感じで、ミステリアスな雰囲気になります。当然、植物は、ひしめきあい、活き活きと生えていて、植物から精気をいただけるような感覚になります。


この精気を与える自然のエネルギーは、さんさんと輝く太陽です。しかし、先に紹介した、遺伝子の話を聞いて、それだけではないのかなと感じました。

5月の終わりから始まった、宮崎の梅雨は、東京の夏の夕立ちに相当するように思います。今、フラッシュたいた?と思わせるように、近くで光る鈍い雷と、バケツをひっくり返した雨量は、驚きます。。え、これが梅雨だとしたら、台風って・・?

宮崎の年間降水量は、東京の年間降水量の約2倍あるということで、青島のシダの精気を支えるのは、強烈な雨とも言えます。しかし、自分の茎が折れてしまうかもしれない程の強烈な雨で、それでも、植物が元気なのは、太陽のせいのみ?土壌が良いからのみ?でしょうか。

「長寿の遺伝子がオンになるのは、人が飢餓状態になったときだけなんだって。だから、ここ100年ぐらい、人類は、その遺伝子がオフなんだって。」

うーん。考えさせられます。

当然、長寿になるには、健康に食べていくことが必要だと思いますから、長寿になるためには、飢餓状態でなくてはならないというのは、矛盾しているようにも思えます。しかし、科学的な検証でそのことが確かめられたようです。人は、苦労したほうが、かえって、その人にとって、メリットになることがあるということ??

例えば、嵐のような雨を浴びることが、かえって、植物にとっては、メリットになることがあるのかも??

僕らは、あまりリスクを負わないように生活をして、それが、平穏な生活や安心した生活に大切だと思っています。触らぬ神にたたりなし・・は昔から言われていて、当然ともいえます。

僕自身は、サラリーマン生活を辞めてから、正直、平穏な生活はできなくなりました。直接、傷つけられたり、誰かを傷つけてしまったり。しかし、同時に、朝、興奮して目覚めることが増えました。「これなら、いける!」ということが思いついたときは、大きな幸福感を感じます。この幸福感とともに、4時ぐらいに起きてしまうことは、土曜に14時まで寝ていたサラリーマン時代には考えられないことです。宮崎の異常なぐらい元気なシダ植物のように、自分自身が、異常なぐらいにパワーを発揮することがあるような気がします。

つまり、ちょっと厳しいことに対面して、初めて、大きな幹が育つ・・・ということが、大いにあるように思います。逆に、そのように、ちょっとリスクを負って、厳しいことを体験すること以外に、自分にとっての大きな幹を育てる方法は、ないのかもしれません。

宮崎の空は、5分経つと、土砂降りの雨がパッと止んでしまい、青空をのぞかせる時もあります。事前に、土砂降りを知って、外出しないですむように予定を変えることも大事だと思いますが、たまには、土砂降りを、体いっぱいに、そのまま浴びてみて、太陽を感じてみる・・そんな心の余裕が必要なのかもしれません。

(写真は、家から3分!の公園でして、梅雨の緑の美しさを感じてもらえれば嬉しいです。アトムは、最近、長雨にストレスが増大!この後、僕に「なんで、今日も雨なの?」と吠えまくりました。その後、一人で走りまわって、体中びちゃびちゃに。お風呂に直行でした)

2011年6月5日日曜日

自分を裸にしてもらえる人

「そんな生徒には、舌をつかむんです」

事務所のロゴを作成したいと思っていた矢先、いつもの喫茶店を尋ねると、若くていいデザイナーがいるとのこと。後日、その喫茶店でお会いした彼のセリフ。見た目はレゲエ風。僕より10歳ぐらい?若いかな。ドラッカーの本の装丁、サッカーの中田英寿のイベントポスター等幅広く、全国で活躍している。

「僕、今、燃えているのが、バッファロー柔術なんです」

「え、なにそれ?」

「柔術の先生やっていて、子どもに教えているんです」

よくみると、体つきが・・いい。たぶん、お腹、縦にも横にも割れてる。。僕のように、お腹がポッコリ・・ということもまるでなく・・。

「やっぱり今の子供達が、“男の子“、になる瞬間って、大事だと思うんです。普段、優しい男の子が、組み合うと、目付きが変わるんですよね。」

確かに、勝ち負けは関係ないとか、競争社会はよくない!とか今のご時世、流行っているけど、人はそもそも競争する本能がありますよね。特に、男の子は、そういう気持ちが返って人を優しくさせたり。

「自分の試合よりも、彼らの試合のほうが緊張するんですよね。みんな試合だと緊張しているから、
痛くても無理しちゃって、怪我するときがあるんです。でも、無理しちゃう気持ちもわかるんですけど・・」


「中学生とか小学生とか、言うこときかなくて大変じゃない?」

「そういう場合は、舌をつかむんです」

「??」

「舌って、つかめるの?」

「はい。そうやって、舌をつかんで、子供を裸にさせないとダメなんです。」
「最初、柔術を習い始めた子って、自分は強いんだけど、柔術の技術を知らないから、負けたんだって言い訳するんです。本当は、技術を知らないで、負けたんじゃなくて、本来的に負けているのに。」
「なので、そういう子には、舌をつかむんです。そうすることによって、技術を知らないんじゃなくて、本来的に負けているということを、正直に思わせるんです。」

人が裸になることって、難しいですよね。

子供ならまだしも、大人になってから、舌を掴まれるように、自分を裸にしてもらえる瞬間って、あるでしょうか?大人の場合は、自分が無知であったり、不十分であったり、失礼であったり、ということを認識するのが、これに相当するかもしれません。

このように無知であることを意識したり、自分が間違っていることを指摘されるのは、いわば屈辱ですから、大人は、それを指摘される前に人間関係を避けたり、それが出ないように事前に回避することも多いですよね。

「一度、舌を掴んで素直になれば、その後は、子供の態度が全然違うんですよ」

わかる気がします。技術というテクニックではなく、取り組みの心構えが問題なのだ、と反省させる効果は絶大なのでしょう。

僕ら大人は、人に舌を掴まれた場合、その相手を非難したり、無関係を装ったりしがちなのではないかと思います。むしろ、それを受け入れられる人のほうが、少ないかも。しかし、その掴まれる瞬間をいただたくということは、日常において、極めて稀なことであり、この瞬間を見過ごすのは、その効果を考えると、勿体無いとも言えます。

この舌を掴まれる相手は、時に、上司であったり、お客さんであったり、自分の妻だったり、兄弟だったり、親だったりするでしょう。その人達に、素直に、舌を掴まれたことに、我々は感謝する余裕があるのでしょうか。

いやいや、そもそも、舌を掴んでもらえるほど、他人とコミュニケーションをとっていないならば、その他人は、あなたに言わなくてもいいやって、あなたの舌を掴もうと意識すらしないかもしれません。

「柔術は技術ではないんです。その人全てが出るんです。裸にならないと、」

彼の柔術は、柔術という技術ではなく、人の心構えを教わるような気がしました。

その後、彼と180CMの中学生の生徒さんは、名古屋の全国大会へむかいました。
がんばってねー。


あ・・でも、僕は、柔術は、、できないです。。


「コギさん、柔術やれば、絶対、おなかひっ込むよ!」 喫茶店の店長さんからの指摘。。。

いや、無理でしょう。いや、ムリムリ。 でもやれば、お腹、ひっこんで、割れるだろうな・・。

(上記のロゴは、宮崎のバッファロー柔術のロゴです。実際に戦わなくても、精神は負けません!って、言い訳??)

2011年5月23日月曜日

幸せの共有

僕は何もしていないのに、家の庭に咲いているバラです。花が大きくて枝がしなってしまいます。
幸せ、と感じたときの感情を具体化したような曲。

僕が初めて、ラフマニノフの交響曲第2番の第3楽章を聴いたときの感想です。クラッシックに興味がない方も、このブログを読む間、このリンクで(少なくとも、僕は涙が出ちゃう・・7分08秒までは・・)聴いてみてください。

スイスのベルン交響楽団のコントラバス奏者の首席奏者は、日本人なんです!そのかた石川滋さんは、未熟なコンバス奏者である私の大師匠でして、先日、ベルン交響楽団でこの曲を演奏しました。演奏に自らも深い感動を感じて、演奏家であることに幸せを感じたそうです。


今日の朝、一通のメールを着信。

件名は、「今病院です」。メールを送信した彼女は、僕の仕事仲間。

妊娠したあとに、外出禁止になり、長い間、自宅療養でした。

「陣痛きたから、今日、産まれます。」というメッセージ。

正直、僕にメールしている場合か!と思いましたが、仕事仲間なのに、わざわざメールをくれたことが、非常に嬉しかったです。出産の無事を祈りました。

その後、夕方に、件名は、「産まれました」のメールを着信。立派な男の子が産まれました(涙)。


「やりました、結構いい点です。」

今日、弁理士試験を、受験した友人からの電話。彼女は、僕同様に、何度も試験を受けていますが、最終合格に至らず。弁理士試験は、合格の持ち越しができるようになりましたが、彼女は、持ち越しが終了してしまい、今年は、一次試験からのやり直し。今日は、その一次試験の当日。例年の合格点を大きく上回る結果のよう。このまま、今年、最後まで、やりきってほしい(期待)。

「アトム、ななちゃんと友達になれて、よかったね。」

宮崎に来て、友だちができないアトム(ジャックラッセル犬)は、最近、川口市でいたころのような友だち付き合いをしていないせいか、下手に、噛むようなくせが・・。今日は、珍しく、宮崎市街で最も大きい川である大淀川沿いを散歩に。ここで出会った、柴犬のななちゃん(7ヶ月)と、フガフガ、言って、じゃれはじめ・・お友達に・・。アトム、良かったな(安心)。


僕らは、思いを共有できます。そんな、みんなの幸せを自分の幸せと感じて。

明日から僕もがんばるぞー!

2011年5月15日日曜日

すべてが公の場に

宮崎の近所のスーパーで売っていました。
“にんにく”ではありません。トマトです。
「よく、インターネットで自分の実名を公表できるよね?」

宮崎へ引っ越して、久しぶりに埼玉の自宅に帰った際に、姉から言われた一言です。

自分の身近な人で、実名をインターネットに公表している人は、まだあまりいないですよね。

僕は仕事がら、零細企業である自分の会社をアピールするのと、実際に会えない人に“小木智彦”である自分の近況を知ってもらいたいため、実名での公表をしています。

一度、公表したら、個人情報が、どんな人にも知られてしまいます。情報は公開したら、取り消すことができません。さらに、どんな悪い人が、自分のブログを読んでいるかわかりませんよね。その情報を利用して、変なメールを送ってきたり、ブログを潰すような嫌がらせをするかもしれません。

でも、なぜ、世の中の人は実名でブログをやったり、Facebookなどで実名での情報公開を行うのでしょうか?

自分のことを悪い人に知られて嫌がらせを受けるデメリットよりも、人と共有するメリットのほうが大きい、これが答えになっているように思います。

つまり、どんなに自分のことを誹謗中傷されても、その人達を相手にするのではなく、自分を支持してくれる人たちに、自分が大事だと思うメッセージを共有したい、という気持ちではないかと思います。

そもそも人は、知らせたがりなのだと思います。“いいな”と思ったら、自分の大好きな人に、その“いいな”を、自分の大事な人はもとより、不特定多数の人に、単純に知らせたいのだと思います。

逆に、“よくない“ということを、不特定多数と共有することは、どうでしょうか?

愚痴をいって、すっきりしたいときは、話を聞いてくれるありがたい友人一人に聞いてもらえればよいだけで、ブログ等の不特定多数の人と共有すべきことではありません。

でも、ストレスが溜まり過ぎだったり、そのありがたい友人すらいない場合は・・・、ネットで、“えいや”と、公表してしまい、人を中傷するコメントになったりすると思います。しかし、このようなコメントは、人が健康的であれば、あまり、一般的ではないように思います。といいますのも、多くの健康的な人が、一度、愚痴のようなコメントを仮にしてしまっても、あとで、ちょっと後悔して、次からは、前向きなコメントをするようにしよう・・と考えることも多々あるように思います。

人々が、このように行動すると、ブログやFacebook等の世界は、どういう世界になるのでしょうか?

私は、ポジティブな世界が築けるように思います。

人間は、一般に、健康な精神を持ち得ています。基本的には、美味しい料理を食べて、楽しい話を友人や仲間とすることに幸せを感じます。その時に話す話題は、相手が喜んだり、暖かい気持ちになるような話だと思います。この気持ちを人が持ち続けているのならば、ネットの世界は、明るく前向きな意見が集まるところになるように思います。

情報の発信手が得るメリットは計り知れません。例えば、僕は、このブログにより数多くの方と、絆を結び、確かめ合うことができました。

絆ができたら儲かりますか?

と言う人もいました。

もちろん、絆は、プライスレスです。

(写真は、近所(宮崎市)のスーパーで売っていたトマトなんです。しかも、売っていました。こんな元気でパワーが溢れているトマトを食べれば、誰でも前向きになれる!?)

2011年4月24日日曜日

専門家のやり甲斐

宮崎の並木通りは、くすの木が最高です!

「パリも、宮崎も、そんなに変わらないってことが、パリでわかったので、宮崎に帰ってきました。」

宮崎県の県庁は、昨年まで観光スポットとして超有名でした。しかし、今では、知事も変わり、すっかり通りのざわめきも落ち着いています。この県庁沿いにある、くすのきの並木道は、おそらく県で一番の美しい並木道。空が高い宮崎の日光を浴びた新緑は、表参道の通りに負けるはずがない。

並木道沿いに、ひっそりとある2階のカフェ。宮崎に来て、最初に入った喫茶店が、この喫茶店でした。

2階からは、直接、くすの木の緑が飛び込んできて、木漏れ日が日常を忘れさせます。


「この緑がある景色は、いつ飽きるかなって、思っていたんですけど、全然、あきないんですよね。」


手際が良い店長が一人で切り盛りしているお店は、カウンタ席が6席ほどの、こだわりの喫茶店。

アレルギー体質の人でも楽しめるランチやケーキを、無農薬で提供されています。

「日本は、特に添加物大国なんです。無農薬とか、添加物がない食事って、アレルギー体質の方だけでなく、普通の方にとっても、当然、良いものなのに、アレルギーとか健康に問題がある人ばかりが食べに来るのって、勿体無い気がするんですよね。」

確かにそうですよね。そもそも健康によい食事を、普通の人の通常の料理にすべきですよね。
特に、僕の場合、結構、いい感じ?に、お腹がポッコリ出ているのですが・・・・それって、食べたいと思う欲求が悪いと思っていましたが・・。
いやいや、食べたいと思う欲求は正常で、食事の中に入っている、保存料だの着色料によって、あなたのお腹は、膨らんでいるんですよ・・と考えれば、お腹いっぱい食べてもいいの?ということも考えられますよね。。ちょっと、都合がいい??

この店長さんが通う美容師さんが、なんと、パリコレに出たことがあるらしく(パリコレって、たぶん、パリコレクションだと思う)、かなり腕のあるヘアーリストさんのようで、彼のセリフが、冒頭のセリフです。

その方によると、「パリコレのキャリアがあれば、パリとか東京で派手な仕事をすることが出来るんだけど、パリとか東京に居る女性は、既に結構、いろいろ知っているから、ぼくが髪型とかのアドバイスする必要があまり無いんですよね。それよりも、情報がなくて、髪型をあまり知らない地元の女性にアドバイスできたほうが、僕の仕事としては、やり甲斐があると思ったんですよ。」

この考え方って、何の分野でもその道の専門家にとっては、大事な考え方かもしれませんよね。

例えば、東京で仕事をしていれば、「東京で〇〇の仕事やっているなんてー」と賞賛されることがあります。「えー、六本木で美容院やっているのー!すごーい。」みたいなリアクション。若干、失礼ですが、宮崎の橘通りで美容院やっているのとは地名のブランドが違います。つまり、サービスの所在地がブランドになって、質がいい!と思わせ、サービス提供者のやり甲斐にもなる・・。

しかしながら、彼の指摘によれば、既に、六本木の女性は、情報もたくさんあり、どうやったら自分が綺麗に見えるのか、ある程度知っていることが多いと。つまり、私、頬がちょっと大きいから、ここが少し隠れるように、口元まで髪を残してください・・みたいな、具体的な指摘があるのでしょう。この場合は、美容師は、その長さに髪を切りさえすればよく、結果として、きれいになるか否かは問われません。確かに、これだとやり甲斐としては、物足りないかも。

一方、宮崎にいて、どうやったら綺麗になれるか全くわからないけど、流行りの女性誌をもってきて、「私も蝦ちゃんみたいに綺麗にしてください!」と言ってくる宮崎の橘通りの女子高生を相手にする美容師さんは、髪型以外の知識も要求され、高度な技術が要求されますが、ヘアスタイリストの腕の見せ所とも言えます。その娘の良いところを引き出すにはどうしたら良いか考えて、ハサミを入れるのでしょう。

ここで、仮に、美の絶対的基準というものがあるならば、ひょっとしたら、六本木で髪を切ってもらった人と、宮崎で髪を切ってもらった人では、六本木で髪を切ってもらった人のほうが綺麗かもしれません。なぜなら、美に対する基本的なレベルがこの女性のほうが高いと考えられるからです。

しかし、このヘアスタイリストがその娘のために頑張って髪を切れば、六本木の女性よりも、宮崎の女性のほうが喜びは大きいでしょう。つまり、彼女は、全く自分では想像できなかった髪型を実現してもらうことで、六本木の女性よりも、綺麗になったという感じ方の差が大きいと思われるからです。

こういうヘアスタイリストさんは、きっと、彼女の青春にとって一生忘れられなくなるのでしょう。これは、専門家にとって、最高のサービスではないでしょうか?

つまり、専門家というのは、自分の技術で、その技術を施す前後での差で、仕事のやり甲斐を感じるのかもしれません。


「ドトールみたいなコーヒーでお願いします」

どんなコーヒーが良いか聞かれて、ちょっと返答に困って、店長に頼んでみる。

「ドトールのブレンドですか?アメリカンですか?」

すごいな。。味、覚えているの・・。

「あ、ブレンドで」

出てきたコーヒーは、ドトールのブレンド風の、さらに品の良い、コーヒーでした。

こういう驚きを顧客に感じさせる専門家が、本当の専門家なのかもしれません。

(写真は、新緑が眩しい喫茶店(vis a vis Cafe)からの景色。東京の方も、宮崎に来たときは、是非。)


2011年4月16日土曜日

支援者が被災者にできること

被災されたご家族のワンちゃんです
「海から15メートルのところに、新築の家を7年前に建てて住んでいました。家が流されたのを、この目で見たわけではないので、まだ、家がないことを信じられないんです。私たちのところは、地震、津波、放射能の三重苦でした。」

今回の震災で、福島の浪江町から埼玉に避難してきて、お知り合いになった6人家族のお母さんの言葉です。

少しでも、このご家族に対して、何かできることはないか?と考えますよね。

イチローや孫社長が、高額の寄付をしたことが話題になっています。もちろん、僕らはそんな額は払えませんし、有難いことだと思います。

ですが、被災者のかたが、今、ほしいものは、本当に資金や物なのでしょうか?



僕は、彼らが今、最も必要なものは、「共感」ではないかと感じました。


何はともあれ、彼らの話を聞いてあげることが、全ての始まりかなと思いました。


恥ずかしながら僕は、当初、今回の震災で、お店などに設けられた寄付金の箱にお金を少し入れていながら、家に帰ると、ニュースで震災のことをやっていると、また、震災か・・と思っていました。

ですが、このご家族の話を聞いた後に、ニュースで大熊町の話題になると、ご家族のお母さんのご実家だ!と気づいて、ニュースに釘付けになりました。僕も、いつの間にか当事者になっているんです。


お金は、被災者の方に、直接、何も出来ない人が行う支援だと思います。もちろん、否定するわけではありません。

僕自身は、今回の震災では、当初、物をあげることや、施しを与えることが、支援だと思っていました。でも、今は、ちょっと考え方が変わりました。お金や物も渡すことも大事かもしれませんが、その手前で、被災者と支援する人とで気持ちを共有すること、でも、お互いに大変大きな効果があるように思いました。

何よりも、僕らが被災者に支援した結果として望むべき効果は、被災者の方が、被災されて、ひどいことになっても、これからは、前向きに、自発的に、生活を取り戻す行動を起こしてもらうことではないかと思います。

そのためには、もちろん、物や資金も必要ですが、まず、被災者の方が、前向きな気持ちになるように、「共感」という手段で、精神的なサポートをする、というのが、最初のスタートとして、大事ではないかと思います。

天皇、皇后が腰を落として、被災者ひとりひとりに、直接、声をかけられていました。彼らは、お金を寄付することができないのかもしれませんが、共感というのが大事ではないかと判断されての行動ではないかと感じました。

(写真は、ちょっと腕白な犬のムクちゃん(まだ、4ヶ月!)です。人懐っこくて、ATOMのライバル?です)。