2012年6月4日月曜日

知的創作活動のパートナーとしての音楽



今日は、いつものブログと趣向が違いますが、私のコントラバスの先生の演奏会を紹介させてください。

7月20日に新宿でベルン交響楽団のソロ主席の石川滋氏の演奏会があります。詳細はこちら

この演奏会のパンフレットにコラムを書かせていただくことになりましたので、先行してしまいますが、演奏会に足を運んでいただくことを願って、下記に掲載させて頂きます。是非、聞きに来てくださいね。

コラム

都会の喧騒を離れた避暑地。朝の木漏れ日が溢れ、小鳥が囀る小屋で、あなたはデザインをスケッチし始めるとしましょう。自然のエネルギーを体いっぱいに吸収しながら、インスピレーションを得た知的創作活動を行う。そんな、あなたの創作的な時間に、聴きたくなる音楽って、どんな音楽でしょうか?

私は、芸術家ではないのですが、発明という抽象的なアイデアを取扱う仕事をしています。これは、いわゆる右脳が司る直感的思考と左脳が司る論理的思考をバランスよく活用して、客観的に把握できる文章や図面にすることが求められます。なぜか私は、晴れた日の朝早くに、この知的創作活動の能率が上がります。

実は、今までこのような創作的時間に聴いていたのは、ヒラリー・ハーン演奏のバッハ作曲:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番でした。しかし、昨年、石川滋氏演奏のバッハ作曲:無伴奏チェロ組曲第1番から第3番のCDが、ヒラリー・ハーンを抜きました。

石川氏の誠実さが表れる純粋な音色により右脳の直感的思考が高まり、同時に、精緻なバッハの幾何的なフレージングにより左脳の論理的思考が高まる。つまり、石川氏の誠実さに負けないように、純粋に発明を捉えなくてはと、自分の文章も背筋が真っ直ぐに伸びるような感覚を得てくる。それと同時に、バッハの精緻な論理的な構成力により、文章内の部分と全体の整合性に対する意識が高まる。音楽が、私の知的創作活動をバックアップしてくれる瞬間を感じる。

木漏れ日の中の巨木や森の木々がそのまま声を出して歌っているかのように聴こえるコントラバスの音色。コントラバスは、弦楽器の中での最低音を奏でることにより、巨木のような包容力と優しさを感じさせる。さらに、コントラバスは、弦楽器の中で最大のボディを有することから、ここから生まれる豊富なエネルギーが、森から無限に溢れるエネルギーを感じさせる。そして、何より、巨木が歌っているとは思えないほどの、石川氏が作る繊細な音色、フレージング。この融合により、論理的に精緻でありながら、同時に大きな優しさを感じる。まるで、外の木々が私の知的創作活動を応援してくれているみたいだ。

好きな俳句を考えたり、陶芸や木工の創作活動。そんな、あなたの知的創作活動のパートナーとして、表現力豊かな芸術家を近くに感じることができるのは、人生の豊かさを感じることができる瞬間なのかもしれません。



石川氏の動画は、こちらになりますので、是非、一度、聴いてみてください。

2012年4月15日日曜日

震災から1年をむかえて(その2)

「被災者の方から、直接、ご連絡をさし上げてもよろしいでしょうか?」

震災ホームステイの担当者、黒岩さんから、データを登録した次の日の朝の電話でした。

「ご希望されている被災者の方は、6人のご家族で、ご夫婦、高校生2名とお爺ちゃん、お祖母ちゃんですね。」

「浪江町の方です」

僕がこの瞬間に感じたのは、

こんなに早く連絡が来るということは、毎日のようにこの震災ホームステイのサイトを確認して自分たちにあう物件を探していたのだろうということ、すぐに住みたいと思われているのではということ、でした。

恥ずかしながら、浪江町については、この漢字に変換できなかったぐらいで、被災地のど真ん中の地域であるということは、後から分かりました。

しかし、6人の方の力になれることは、とても嬉しいこと。自分たちが、宮崎に旅立つにあたり、理想的な方に住んでもらえるかもしれないと直感しました。


「あと、わんちゃんがいるんです。」

「今回、小木さんのお家は、犬がOKということで、そのような物件が殆ど無いんですよ。なので、希望者の方は、とても、小木さんの家を希望されていて・・。たぶん、今後も、犬がOKというような物件は、なかなか見つからないと思うんです。」

「なるほど。そうですか。わかりました。携帯の番号を教えてしまって構いません。宜しくお願いします。」と電話を切る。

そうか、犬がOKな物件なんて、考えてみるとあるわけない。そこまで、気が付くわけないですよね。僕らは、なんとなく、犬も大丈夫だから、書いておけばいいかなという程度で、記載したのですが、それが彼らにとっては、決定的であるということ。


そして、夕方の電話。


「すみません、コギさんですか?私は、福島の浪江町で被災して、家がないんです。犬がどうしても・・・」

少し緊迫した女性からの電話。年は40代ぐらいかなと推測する。


「ひとまず、家に一度、来ていただいて、部屋を見ていただいたほうがいいですね。今、引越中であまり綺麗ではないですが、ひとまず、確認いただいて、お互い判断しましょう」


結局、週末に部屋を見に来ていただくことになりました。そして、確か、土曜日の11時ぐらいだったと思います。親戚の方の車に乗って、Y夫婦が来られました。もうひとり、親戚の方の近所の方もこられた気がします。
我々は、じっくり、温かい場所で、2時間以上、話をしたと思います。


ご家族はみなさん、奇跡的に、津波にのまれずに、助かったこと。

ご近所の方は逃げ遅れて、そのまま津波で返らぬ人になってしまったこと。

学校にいた息子さんとは、地震発生時は、別の場所にいたけど、後から、幸運に会うことができたこと。

福島から東京に向かう道中は、生きたここちがしなかったこと。

被災後に、行くところがなく、彷徨ったこと。

避難所では、ワンちゃんがいるので、5箇所以上も避難場所を変えたこと。

お住いになった親戚の方のご近所の方が親切にしてくれて、気持ちがとても救われたこと。

新聞を毎日のように確認したり、被災者が集まる場所に足を運んで、知り合いの情報がないか探していること。



妻と僕は、結局、これらの話を聞いて、涙でぐちゃぐちゃになりました。

そこにいた、人たち、みんなが悲しい想いを共有しました。


僕は、人として、彼らに対応しなければいけない。狭いこと考えていられないなと感じ、ひとまず、何も言わないで、彼らに住んでもらおうと、妻と話し合って決めました。


ちょっと、脱線しますが、今、考えると、このときの考え方が、僕を強くしてくれたのかもしれません。
正直、僕も家賃収入がないのは、痛いです。

でも、僕は、宮崎へ行ってから、Yさんの分も働かなきゃ、と思うようになりました。そのため、宮崎で自分では若干、信じられないぐらい、営業に力を注ぎました。そうすると、結果的に、どうなるかといいますと、多くの宮崎の頑張っている方と出会うことができました、すると今度は、宮崎のために、なにかやりたいという気持ちに変化し、宮崎に仕事を持ってくるように、がんばろう!となりました。

僕は、子供がいないので、誰かに頼られるということが、あまりなかったからかもしれません(妻がいました・・)が、被災者の方に頼られることで、僕自身も、大きくなれたのかもしれないと思っています。


今も、博多で宮崎出身の経営者の方と、熱いランチをいただきました。次のターゲットは、宮崎のために、何かビックなことを始められればと思っています。



次回に続きます・・・・。



(自分は、被災時に電車に乗っていて、電車が緊急停止し、なんで、電車が止まったのに、揺れているんだろうと思った記憶があります。このとき、妙に大きな寒気がしまして、今でも思い出します。1時間後、電車を降りることができて、赤羽駅まで歩いたときの写真です。)








2012年3月16日金曜日

震災から一年をむかえて (その1)

昨年の春から、宮崎に来ていますが、宮崎の人に、昨年の春から宮崎に来ていることを告げると、「あ、震災があったからですか?」とよく聞かれます。震災の前に、宮崎に来ることは決めていたので、自分としては、後ろめたさはなく、宮崎に来ることと、震災は全く関係がありませんでした。しかし、宮崎に引っ越すにあたって、埼玉の住居は当然、空くわけでして、そこから、被災された浪江町の家族との関係が始まりました。

下記の内容は、個人情報も含みますので、ブログに書こうか一年間、迷い続けたのですが、震災から一年経つので、そろそろ、公開したほうが、みなさんの震災に関する関心も、さらに高まり、身近なこととして捉えられるのではないかと思いまして、被災者の方の許可を得て、僭越ながらブログに書かせて頂きました。



震災の日は、我々、家族は、東京近郊にいましたが、特に大きな事故もなく、帰宅難民になることもなく、妻も僕も、地震発生から、およそ2時間後には、自宅におりました。犬のアトムが、妙に怖がっていて、その後も、地震警報の「ミャンミャン ミャンミャン」という音がなると、敏感に反応するようになりました(これは、宮崎に来ても反応していましたね)。

震災がニュースで大きく報道される中、我々は、明後日から宮崎に発つ必要がありました。春からの生活のためにアパート探しをするためです。そのため、せっせと旅の準備をして、日曜日に、羽田を発ちました。震災のとても暗いニュースの中、宮崎は、明るく、空が明るい思いがしました。

無事に宮崎で、今の賃貸住居を決められて、埼玉に帰って来ました。そこで、私は、埼玉で購入して、ローン支払い中のマンションを、誰かに賃貸しないことには、宮崎にいる間の家賃がもったいないと考えました。川口のアパマンショップなどに訪れて、賃貸募集の案内の手続きをしておりました。

その日の夜でした。

埼玉では、さいたまスーパーアリーナに多くの方が被災後、避難していましたが、無料開放がおわるということ。
被災者の方は他の場所を見つけなくてはいけないのですが、その受け入れ先がなかなか、みつからないというニュース。

埼玉の都市部に住んでいる我々も、”ひとごと”ではないが、今ひとつ、自分のこととしては、捉えられない。でも、何かやらなくてはいけない気がしてはいる。でも、当然、一歩進む勇気は、僕にはない。

同じ日の、ワールドビジネスサテライトだったと思います。震災ホームステイというサイトがあって、そこで、被災者と住居を提供する人が出会えるというニュース。

「うわあ、これ、タイミング良すぎない?」と、かみさんに聞く私。

「うん、そうだね・・。」じっとテレビを見る妻。

我々は、今まさに、自分たちの埼玉の住居を空けようとしているのです。これで、社会貢献ができることは、大事な事だと思う、思うけど・・。

「これ、見過ごすほど、勇気ないかも・・俺・・。」 「なんか、導かれているような気もするし・・」

といいながら、震災ホームステイのWebページを検索する自分。

これ、簡単だな。住居と連絡先を登録するだけで、住居を探している方と出会えるんだ。

結構、決まっている人もいるけど、決まっていない人も多いね・・。


普通に考えると、自分の家の部屋を一室提供するだけでは、お互い、プライベシーもあるから、きつい・・、という状況になることは、簡単に予想がつく。

それに対して、うちは、完全に家が開くし、犬もOKだから、ニーズ高いかもな・・。

「じゃあ、ひとまず、登録だけしてみて、アパマンが決まるより、被災者の希望の方が早かったら、こっちに決めるか考えよう。」と、若干、安易な考え方ではあったかもしれないが、妻と相談して、僕らは登録を決めた。


正直に言いますと、僕の頭の中では、現在のマンションの住み手が最終的に決まるまでは、アパマンの募集と、マンションの内覧があって、家賃の調整があるため、結果的に、マンションが実際に利用されるまでは、短くても2,3ヶ月の空き期間が発生してしまうと考えました。ですので、その期間は、被災者の方に住んでもらえばいいんだ、と考えました。



次の日の午前中。

「小木さんの提供物件について、被災者の方が、是非、住みたいと言っております。直接、被災者の方からご連絡をさし上げてもよろしいですか?」

やや緊迫した声で、震災ホームステイの担当者からの電話がありました。

続く。

(写真は、震災のときに、川口で起こった、計画停電のときのマンションやビルの写真です。さすがに、大きなビルから、まったく電気を感じなかったので、衝撃的でした。)







2012年1月29日日曜日

その事務所の豊かさ

例えば、自営業をやっていて、仕事がどんどん入ってくることは嬉しいことです。

一生懸命に考えた営業手法を実際にやってみて、自分なりのネットワークを作る。次に、ネットワークができた人を、「チームワーク」にして、その人が自分のことを、他の人に伝えてくれる。

そんな中で、「そいえば、弁理士にお願いしたい仕事あった」という人もみつかってきて、その結果として、仕事が入ってくる。

皆さんの協力や、自分の苦労の結果として入ってくる仕事は、嬉しくてたまりません。そうやって、自分が働く時間に、たくさん仕事が入ってくることは嬉しいものです。


ですが、このようにして入ってきた仕事をこなすことと同じぐらいに重要なことがあるように思いました。

え、そんなのあるの? と思いませんか?

よく、個人事業主でも、サラリーマンでも、朝9時に出社して、23時まで働いた、とか、3時まで働いたという人の話を聞く方も多いと思います。僕の考えは、どんなに長く働いても、それは、ご苦労様という言葉以外にはなく、下記のことをしていなければ、お金以外の豊かさを感じにくいのではないかと思いました。


少しづつ説明しますね。

来月に、運良くセミナーをやらせていただくことになりました。私のような若い弁理士に、セミナーを外部の団体から依頼されることは、稀で、僕自身も、私で大丈夫ですか?と聞いてしまったほどです。もちろん、皆さんに、セミナーが有用で、ためになったし、元気が出たと思っていただけるように、充実したセミナーにしようと思っています。

さて、このセミナーで、事務所のパンフレットを配らせていただくことになりました。うちの事務所のパンフレットは、ここのところ改定していなかったので、今回のセミナーをきっかけに、いいものをつくろうと決めました。

パンフレットは、その事務所の方向性を明確に示すもので、非常に重要です。特に、世の中に似たようなサービスを行なっていない内容を説明する場合は、困難が極まります。

僕の事務所は、従来の特許事務所でありながら、ちょっと、新しいことを盛り込んでいます。ですが、この新しいことを主張しすぎてしまっては、特許事務所であることが不明となり、なにをする事務所(弁護士事務所?コンサル事務所?)か不明になるのです。

しかし、新しいことが、うちの事務所の差別化戦略であり、他の事務所とは異なるサービスを提供する重要な箇所です。この部分は、僕にとっては、自己実現でもあります。ですので、この部分も強調することは自分にとって重要です。社会に挑戦する面もあります。

従来のサービスと、特有の新しいサービスとの記載のバランスを調整して、わかりやすくて、親しみのあるパンフレットを作る・・・。難しい・・当然、難しいです・・。


とはいえ、既に事務所のホームページで、ある程度、この両者の調整をした言葉や表現ができているので、これをコピーペーストして、ちょと安易にパンフレットの雛形を作成しました。

こんな感じでいいかな、と思っていました。



数日後、いつも私の事務所について、有用で核心的な意見をアドバイスしていただける、楽器職人の先輩に、パンフレットを見て頂きました。

「小木くん、逃げちゃ駄目だよ、逃げちゃ! このパンフレット、逃げていない?」と指摘。

全く意味不明に思った自分は、理解できませんでした。逃げるって・・?何のこと?


「用語に頼らないで、キーワードをきちんと説明しなきゃ。ものづくりとか、グローバルとか、政治家みたいに、言葉を並べれば、なんとなく、説明できていると思っていない?もっと具体的に、サービス内容を説明できないと、具体的な内容がないのに、理想だけ言っているように見える。具体的な内容を書くのを勝負できないの?」



ある意味、新しいサービスを社会に提案することは、怖いです。業界団体や、競合する団体、競合する事務所になんて言われるかわかりません。ですので、ボヤーっとパンフレットをオブラートに包んで逃げてしまうことは、簡単です。



また、僕は、お客さまを軽視していたのかもしれないと思いました。つまり、単に、新しいサービスを、「ものづくり」とか、「グローバル」という言葉のイメージだけで匂わせておけば、なんとなく、新しそうな特許事務所だからお客さんが来るだろう・・みたいに安易に考えていました。ちょっとお客さんを馬鹿にしていたのかなとも反省しました。

そして、何より、僕自身も、最近の仕事量に押されて、事務所のサービスについて考え直す時間を設けていないということを自覚しました。


うちの事務所って、何が出来るんだろう?何が他の事務所でできない特徴なんだろう?

逆に、企業や社会のために、何をすべきなんだろう?


こんなことを、事務所を始めた時のように考え始めました。


つまり、パンフレットの作成をきっかけに、自分の事務所のサービスを考えなおす。自分の事務所のサービスを見直す。そんな作業を始めました。


すると、自然と、自分がなぜ、この事務所を始めたのか?とか、お客さんには、ああいうふうに思ってもらえたから、こういうサービスを今後もしたい、とかを考え始めます。

これは、自分の事務所の方向性を決めるような判断基準を決める作業です。これは、売上額のように、金額には反映されない、事務所の豊かさについて考えるきっかけなのではないかと思いました。


長くなりましたが、私が、仕事をしていて、一番大事なことは、このような視点で、定期的に、自分の事務所のサービスや、企業や社会における位置づけや関わり、自分の事務所がやるべきこと、やりたいこと、について考え直すことが、日常の仕事をこなすこと以上に、大切なものかもしれないと思いました。

どうしても、日常の仕事が詰まっていると、特に、自分の事務所や会社のことを振り返る時間や心のゆとりを失ってしまいます。また、忙しいからといって、自分に対する言い訳にもしますよね。

でも、そもそも事務所や会社を始めたきっかけって、単にお金を稼ぐだけでもなく(もちろん、それも重要ですが)、自分の事務所や会社で、こんなことをやってみたい!、社会を少し変えてみたい、こんな風にみんなに感じてもらいたい、と思うことがあったはずです。これについて、思い出して、現状の仕事と比べてみるといった考察は、その事務所に特有の豊かさをもたらすように思います。

そのために、仕事しているんだ。そのために、生きているんだ。

売上額や名声以外に、こう言えるようなコダワリを自分なりに持っていることは、自分の豊かさの物差しが一つ増えるような気がします。

(写真は、パンフレットの雛形です。スケッチブックに作って見ました。どんなパンフレットになるかは、お楽しみ・・。)

(考えなおすきっかけを頂いている、楽器職人の先輩には、感謝しています。自営業の方は、自分の仕事やこだわりについて、勇気をもって相談してアドバイスしてもらえる方がいることは、会社や事務所の運営において大きな違いになるように思います。特に、人の相手をして商売している方は、物を相手に商売している方の意見は貴重だなと。)



2012年1月4日水曜日

祥雲龍翔(2012年)

みなさま、あけまして、おめでとうございます!

2011年は、大変、辛い年でしたので、あけまして、おめでとう、と、単純に言って良いとは、私も思いません。しかし、2012年を、明るい年にするために、あえて、この言葉で書きだしてみました。

今年は、辰年ですね。

「祥雲龍翔」という言葉が、今年は、ぴったりではないかと思っています。

「龍が雲をきって、自由に天を駆け巡る」 

昨年、沈んでしまった運気や元気が、今年、大きく上昇に向かう!2012年は、昨年までの雲を抜けて、駆け上りましょう!そんな、イメージで2012年を過ごせればと願っております。

今年も、宜しくお願いします。

今年の自分は、忙しい年になりそうです。春からの営業が、幸を奏して、11月ぐらいから、宮崎や九州のお客さんに出会うことができるようになりました。私の方で、全ての仕事を担当することはできないので、東京や九州の知り合いに、業務を依頼する流れになりました。

つまり、宮崎で仕事を受注して、東京で業務を行い、宮崎に納品する・・という流れです。

これって、ちょっとすごいのかな?と勝手に思っていまして、なんと、製造元が東京なんですよ!

製造業は、通常、タイや中国で、製品を作って、東京に納品したり、香港で売ったりすると思うのですが、地方の知財の仕事は、地方で仕事を受注して、東京で製品を作って、地方に納品する!という流れなのです。

既存のビジネスモデルとは、逆行している感じがして、大変興味深いなと思っています。ちょっと、この流れをしっかり、確立していければ、他の業界でも応用できるのではないか・・・・と思っています。

2012年、がんばるぞー!

もう一点、重要なお知らせが。

本日、1月4日、佐賀駅前に、友人の弁護士事務所が開業します。彼は、江戸川区出身ですが、佐賀に研修で行ったのをきっかけに、この土地に惚れて、事務所を始める道を選ばれました。

都会から地方に来て、ビジネスを始めるのは、勇気が必要で、普通の人からすると、なんで?と首を傾げるかたも多いと思います。

しかし、彼と話していたら、今の若者は、地方でこそ、業界で活躍できるチャンスがあるのではと。

常識と言われている発想の転換は、意外にも、ビジネスリスクを減らすことになるのかも!?


それでは、みなさん、2012年は、昨年までの雲を抜けて、駆け上りましょう!

@丸の内のカフェにて

(写真は、神田明神です。僕らが結婚式を行った場所で、毎年、初詣へ行っています。ジャック・ラッセル・テリアとも出会いました!)

2011年11月25日金曜日

希望への道

この人みたいに、紳士に年とりたい。

メンターという人は、出会ったことがありませんでした。というか、この人に出会うまで、メンターという言葉があることすら知りませんでした。


早朝、仕事を始めて、順調に次の仕事へ・・と移ろうとしていると、電話が。

「小木です。」

「あ、小木さん、家にいる?」

私は、その人との待ち合わせを、すっかり失念していました。私にとっては、とても楽しみにしていた打ち合わせなのですが、前日の深夜までの飲み会で、朝に予定があることをすっかり失念していました。

「すみません(汗。汗。)、今すぐ行きます。20分から25分お待ちください。大変、申し訳ありません!」

「ううん、大丈夫。むしろ、事故起こさないように、ゆっくり来て。」

あいやー、なにやっているんだ俺。最低じゃないか。。それにしても、事故を心配してくれるなんて・・。
慌てるも、なぜか、冷静に、待ち合わせのファミレスに着く。

その人は、ファミレスで、珈琲を飲みながら、海外の新聞を読んでいました。

「ああ、小木さん、わざわざ、お時間を頂いて・・」

25分も遅刻した自分に対して、知事に呼ばれるほどの、55歳の企業幹部の方は、こんな温かいお言葉を・・。

私は、恥ずかしくて、言葉もでないが、黙っているのも失礼なので、平常心を装い、会話を始めた。

会話の内容は、いたってビジネスであり、経営の話。しかし・・

「人を活かすことが好きなんです」

事業がうまくいかない経営者や、海外のビジネスマンに、気前よくアドバイスする。

一つ一つの言葉が、優しさ、謙虚さ、思慮深さ、に溢れていて、単なる利益活動ではなく、社会貢献にまで届く。その人や会社に希望の種を蒔くことが、楽しくて仕方がなく、若い人と出会う喜びを何よりも大切に感じている人なのである。そのことが、僕にも伝わってくるほど、想いが貯められているのか・・。

うわあ、やられた。こういう人、世の中にいるのか!?

俺、負けてるぞ・・。ていうか、ここまで達するのだろうか・・。

なんて、会話中に一人でジェラシー感じている自分。

高度な会話に、私が咀嚼できてないことを察し、席を外し、休憩をとってくれる。そして、また、熱い会話。

あっという間の2時間でした。

「今日は、忙しいところ時間を割いてくれてありがとう。」

僕は、55歳で社会的地位にあるにも関わらず、25分遅刻してきた30代の若者に、将来、このような一言が言えるのだろうか。しかも、形式的ではなく、心を込めているように、僕には感じた。

宮崎や日本の活性化を、真摯に、そして、アイデア豊富に考え、その考えを実行する紳士。

俺も、負けてられない。

そんな、帰り道。何回も、何回も紳士が言っていたことを反芻する。

その瞬間、なぜか、自分のビジネスについて、画期的かもしれないアイデアが思いつく!

不思議ですよね、人って。

その画期的なアイデアって、メンターが指摘したわけではないんです。

今までずっと考えていて、答えが出ることもなく、普通に諦めていたのですが、なぜか、急に、僕の中で、僕の仕事について、画期的かもしれないアイデアが、思いつきました。

左能で伝えられる論理的なメッセージではなく、右能で、彼から“想い”を伝えられたことで、画期的なアイデアが思いついた・・。そんな経験だったのかな?

(写真は、希望への雲の道です。こういう空からの景色って、聖徳太子も、徳川家康も見ていないんだなって、よく思います。僕らは、普通の人なのに・・。文明の進化に感謝。飛行機は、僕の会社のソシデアと名前と色が似ている、ソラシドエアー(元スカイネットアジア航空)です。宮崎の会社なんですよ。よろしくです)

2011年10月28日金曜日

仲間力

発信力を鍛えねば。

会社を始めたとき、営業が苦手な自分は、もっと自分や会社をアピールできるようにならなくてはいけないなと思いました。

自分は、昔から、頭でっかちになりがちで、人に対して自分を説明する言語力がありませんでした。大学も物理を専攻し、数字とか数式なら説明できるのかなと思うもうまくいかない。ひょんなことから、言葉を書く楽しみに気が付き、文章を書く仕事を始めました。

説明はある程度、出来るようになったかなと思っているのですが、説明力よりも、発信力が大事なのかなと思うように。

というのも、情報を単に、情報として伝えるのではなく、誰にとって有用な情報なのか自分が判断して、その情報を必要な人に、その人が理解してもらいやすい文章で発信する。こんなことができる力は、大量の情報で埋もれそうな我々にとっては、情報に踊らされない唯一の道しるべかもしれません。

そこで、この発信力を鍛えるべく、このブログを始めたり、ツイッターを始めてみるも、時々、発言に対するレスポンスがないときは、挫けそうになるのが本音です。

最近、自分の中で、身につけなきゃと思っているのが「仲間力」です。

こんな言葉あるんだな、と思ったのですが、「ルフィの仲間力」という本が、関西大学の教授から出ていまして、本屋で立ち読みしました(買えよ!)。ここからいただいた言葉です。

僕は、実質的には、一人で会社をやっているので、仲間がとても欲しくなります。自分の会社のことや、こだわってやっている仕事に、どんどん意見を交わして、お互いの信念とかビジネスを励ましあい高めあえればと思っています。

今年は、とても幸せなことに、なんだか、末永く付き合えそうと思える仲間が増えた気がします。これは、自分と相手が、自分たちの利益を超えた、もっと大きな問題に対して、一緒に解決したいという思いから、仲間になれたのではないかと思います。つまり、社会に対する大きな夢を共有することで、一緒に、これからの新しい未来を共有すると、自然と仲間になれる気がします。逆に、短期の利益やお金などの話をしても、その相手とは、仕事上の関係に終わってしまい、仲間にはとてもなれません。残念ながら、今の時代は、仕事上の関係、と呼ばれる人間関係のほうが多い・・・のかなと思います。

ただ、今の時代は厳しく、仕事上の関係のみでは、自分の利益を確保できないことから、相手の利益を減らさなくてはいけなくなってきました。そんな今の時代では、他人との関係が、仕事上の関係ではなく、”仲間”でないと、太刀打ちできなくなっているのではないかと思います。

自分は、独立という道を選びましたが、ちょっとリスクを抱えながらも、サラリーマン生活を辞めて、自分の信念に向かっていく、そんな考えと行動は、決して、海賊であるワンピースのルフィに負けていないと信じています。

勇気を持って、世の中に船出をすれば、宝物を見つけることもあるし(もちろん、毒を盛られることもありますが)、頼もしい仲間たちにも出会えます。お互いにリスクを負った仲間たちと人生を一緒に生きていけるならば、世の中がどんなに厳しくなっても、いつ死んでも後悔しないと思える、数少ない方法なのかもしれません。

(写真:仕事中、アトムのしっぽに癒されています・・。)

2011年9月20日火曜日

仕事をする顔


巣鴨で新規にオープンする美容院に仕事が決まりました!

その日、僕は、今まで見たこともなかった、Yさんの表情を見ました。

震災後、浪江町から避難して埼玉に住みはじめたYさん。犬のムクちゃんがきっかけで、僕と知り合いました。埼玉に住み始めても、心配はつきませんでした。残してきた家の心配や、子供さんの学校の問題。市役所等の公的機関とのやり取りや、友人知人の行方、浪江町に残してきた家へ一時帰宅、など、明るいニュースが殆ど無い毎日。

自分は、実際に被災もしていないのですが、Yさんから頻繁にメールを頂いて、その内容と写真から、なんて声をかければよいかわからなくなりました。しかも、そのような状態が収束する可能性も見えてこない。僕だったら、乗り越えられなかったかもしれません。

そんなYさんが、震災から半年経って、念願の仕事を獲得することができました。もともと美容師だったYさんは、美容院の就職を希望しており、話好きで、ヤル気満々なのが、功を奏して!?、見事に、就職活動に成功されました。

「小木さん、じゃあ、シャンプーしていきますか。小木さんの髪質は・・・だから、小木さんの奥さんのほうがこのシャンプーは・・・。」

自分が好きな仕事をすると、人って表情が変わります。正直、今まで、彼女のこのようなプロフェッショナルな感じといいますか、、職人っぽいところも感じていなかったから、なおさら、驚きました。

そして、とても、嬉しかったです。

もちろん、ここに就職が決まったからといって、全ての悩みが解決するわけではないのですが、なんだか、大きなターニングポイントになるような気がしました。

そして、Yさんの旦那様も、8月から働き始めたとのこと。ご家族共に本当に良かったと思います。



我々も、明日から、仕事が始まりますが、Yさんのような表情になって、最近、仕事していますかね?

あいやーー。。

なんで、そんな表情ができなくなったのかな。。

仕事に対して謙虚さが無くなると、そんな表情ができなくなるような気がします。
挨拶をしっかりして、自分を引き締めていこう!

(写真は、Yさんが勤め始めた、美容院、健康美容室フラワーです。巣鴨の地蔵通り沿いにあります。オーナーさんも愛想のよいごご家族ですので、是非、足を運んでください。マッサージもありますし。)

2011年8月31日水曜日

本当の共有





「経済が厳しい時代であっても、今の若者は、もっと失敗したほうがいい。デッサンをするときは、いくつもの線を重ねて、輪郭がはっきりしてくるもの。失敗を恐れて、最初の線を入れることすらできない若者が増えているのでは」ということをテレビで言っていました。勇気づけられます。何回か線を入れてみるのですが、輪郭がはっきりしてこないので、自信がなくなって、新しい線をひくのを躊躇するときがあります。誰かが、先にひいている輪郭をなぞっちゃうこともあります。でも、こんな時代だからこそ、自分の輪郭で、デッサンを仕上げてみたい。


このメッセージをFacebookに投稿して、いろいろな方からコメントをいただきました。テレビやネットで得た言葉に、自分が影響を受けたり、励まされたりして、それを、みんなで共有できるのは嬉しいです。


何でも器用にこなす先輩がいて、「なんで、そんなに器用にこなせるのですか?」という答えに対して、「退屈なことでも継続することです」と答えたんです。「男って、すぐいろいろやりたくなるんだけど、とにかく、継続して続けることが、何かを成し遂げられることだと思う。
」というニュアンスのことを言っていました。「継続は力なり」と校長先生も言っていたけど、今の時代、時代を言い訳にして、忘れていた気がする。地に足つけなきゃね。


これは、僕が尊敬するビオラの先輩に、飲み会で教えてもらったことを投稿しました。イノベーションだとか、変化の時代とか言われていますが、退屈なことでも、地道に継続するということを思い出させてくれました。


このビオラの先輩の親友で、コントラバスの先輩がいます。僕にとっては、なくてはならない先輩です。その先輩は、宮崎でコントラバスの職人をしています。僕は、埼玉にいる時から、彼のコントラバスの営業を東京でお手伝いしていました。かれこれ、2年以上、毎週、3時間近くの電話会議をしています。よく僕ら自身も、そんなに話すことあるな・・と後から思ってしまいます。日々のビジネスのことや、僕らにとって、仕事で大事なこととは何か?などを話し合います。


そうこうしているうちに、僕自身も妻の仕事の都合で、宮崎に来ることになりました。この先輩が、宮崎に僕を呼んだかも?とも思っています!?


その先輩が、ビオラの先輩の話を、僕がツイッターでつぶやいているのを見て、「小木くん、いろいろな人に影響受けていることをツイッターとかで、つぶやいているけど、毎週3時間ぐらい話している、俺のことは、いい話聞いたーって、つぶやかないんだね。俺、いい話してないのかなー」と指摘されました。


確かに、僕は、その先輩にびしっと僕の甘さを指摘されたり、優しい言い方で怒られたりしていますが、なぜか、今まで、ツイッターやブログで書いたことがないんです。




なぜでしょう??




人に、本質的な影響をあたえることは、単純な言葉のみで達成することはできない。


のではないのかな、と思いました。


つまり、上記のデッサンの話や、ビオラの先輩の話も、大変、勇気づけられる、いい話だと思いますが、自分を本質的に動かすのは、ツイッターでつぶやけるほど単純な言葉ではないように思います。つまり、コントラバスの先輩との会話は、影響を受けている大事な言葉を切り離すことが出来ず、ツイッターやFacebookでつぶやくほど、簡単なものではないのです。


確かに、ツイッターやFacebookは、気持ちや感情、大事なことを共有することができます。しかし、本来の共有とは、深く、長く相手と言葉を交わしているうちに、相手の意見か自分の意見か、気がつかないぐらいに、自分に浸透しているのものが、共有ではないかというような気がします。つまり、一言、二言では、共有はできないのです。


ツイッターやFacebookで、多くの人と共有するのは大事ですが、何時間でも話せるような、深い共有ができる、そんなコントラバスの先輩は、何億円の金貨よりも、何よりも嬉しい存在です。


(昨日の早朝に、そのコントラバスの先輩に、男の子の赤ちゃんが生まれました。難産でしたので、心配していましたが、本当におめでとうございます。)


(写真は、ATOMが、友人のワグナー(犬のぬいぐるみ)とカラダを張って?共有している写真です。夕食後にかならず、取っ組み合いをします。なぜか、ATOMは仰向けになって、ワグナーに乗っかってもらうのが好きなんです。Mなのかな?)

2011年8月6日土曜日

知を活かす

新聞で、「いきる」や「いかす」を、「生きる」、「生かす」を使っていますが、「活きる」や「活かす」を使う場合が多々あるのでは、とよく思っています。例えば、「経験をいかす」は、「生かす」が新聞では使われますが、個人的には、「活かす」を書いて欲しい。どうやら、新聞協会?等のきまりのようで、「生きる」を使っているようです。

毎日を、ただ、生活するのであれば、「生きる」でよいのですが、毎日を活き活き、生きるのであれば、「活きる」であるべき?なんて思っています。

僕は、弁理士という仕事をしているので、発明の話を聞いて、その発明に対して特許を出したり、ビジネス上で、そのアイデアをどうしたらいいのか・・といった話をお客さんとします。
しかし、話を伺う発明の全てが、特許になったり、ビジネスで成功できる!といった発明であるとは限りません。むしろ、いや、それは、、、特許にするのは厳しいな・・という発明が圧倒的に多いのが現実なんです。

「あ、いや、それだけでは、特許をとれないんです」

と僕が一言いってしまうと、すべてが終わってしまうことが多々あります。

発明者は、そのアイデアを、自分の一生のアイデアとして僕に説明してくれていることも多々あります。何回も考えたでしょう。それで、これでいけると思って、思い切って、僕に会いに来てくれて・・・一生懸命に説明をしてくれています。極端な場合は、そのアイデアが自分の自己実現として、熱く説明してくれる場合もあります。

そんなアイデアに対して、「それは、こんな技術が最近、流行っているので、これと同じですよね。」
と、あっさり返してしまっては、失礼な場合もあります。もちろん、特許の相談に来られているので、既に、誰かがやっていて新規ではないものや、進歩性がないものについては、はっきり、指摘しなくてはいけません。ですが、それだけで、突き放すのは、あまりに酷な場合も多々あります。

「今のままでは、厳しいのですが、それって、こういうことをやりたいんですよね?その特徴はこういうところなので、同じ方向で考えると、こういうことに適用できますか?」「あーそうなんです。その場合も、実は・・」といったように、発明を更に発展させるように、素材を「活かして」いくと、そのブレストの中で、新しい発明が生まれたり、特許になりうる技術が生まれます。

発明を「活かす」こと、これが僕らの仕事です。つぶすことは簡単かもしれません。つまり、若干、いまいちなアイデアに対して、単に、発明が生きているままに捉えて、ダメ出しをするのではなく、その発明を「活かす」にはどうしたらよいか考えてみる。アイデアの芽を活かしてあげる・・それが弁理士の仕事なのでしょう。そんな、弁理士の仕事は、なんだか人々の“知”を育んでいるように思います。

生徒の個性を「活かす」ことが大事なんです。

学校の先生が、こういうふうに発言する際には、「活かす」であって、当然、「生かす」ではありません。単に、僕らは、生きていれば良いのではなく、その人の特長を活かすことが大事で、活かすことが、生徒たちが長く生きる人生において大事であると言えます。例えば、自分の個性を活かして、社会で活躍したり、自分に自信が生まれます。それを促すことが教育と言われているのでしょう。先生は人を育みます。

僕ら弁理士は、特許庁に対する、単なる書類の作成屋さんではありません。アイデアがあればそれで、仕事が終わるわけではありません。我々は、アイデアの育て役です。そこに、「その人のアイデアの特徴を活かす」という手法を用いて、知を育んで、ひとりでも多くの知を輝かせることができれば、と思っています。

(アトムも、ただ生きるのではなく、思いっきり走りまわって、活き活きしたいよね!)