2014年9月28日日曜日

鹿児島の市来農芸高校で講演をさせていただきました!


全校生徒に自分が講演をするなんて・・。そんな人になるなどとは、自分が高校生の時には思いもしませんでしたが・・。

80年以上もの伝統がある市来農芸高校にて、先日、知的財産セミナーをさせていただきました。そんな伝統のある学校でお話できるということで、楽しみでもあり、少し自分の気持ちも引き締まって、講演をさせていただきました。

知的財産の”知”って、わくわくしながら、仲間と楽しんで生み出して、それを学校や地域のために財産にしていくもの。

これが、一番伝えたかったことでした。

福沢諭吉が言うように、「天は人の上に人を造らず」なのです。でも、なぜ、現実には、上下があるのか?

それは、”知”で、差がつくから。

だから、勉強をして知識をつける必要があるし、経験をして、”知恵”をつけてほしい。そのために、本も読むけど、それだけではだめ。勇気を持って、いろいろ経験して、自分で体感として知ることが、いいアイデアを産み出す源。

特許権とは?とか、商標権とは?というお話もしましたが、知的財産って、もっと深くて、もっと、わくわくしながら、明るい未来を創り出す源。そんなメッセージが伝われば嬉しく思います。

2014年8月11日月曜日

プラハからミュンヘン 車中にて

プラハとミュンヘンに行ってきました。プラハからミュンヘンは、鉄道で移動。6時間近く、時間があったので、下記、記録を残しました。

かつての神聖ローマ帝国の首都、プラハの街は、文句のないほど美しい教会と、モルダウ川が導く街。

プラハの夕べ(2014.7.19)

壮大なスケールの教会と、キリストを表す金と銀の装飾品が、かつて宗教と政治権力が強く結びついたことを教えてくれた。これだけのスケールの建造物は、もはや資本主義社会では作り出せないであろう。

プラハ城

かの有名なモルダウ川は、思った以上に周りの建造物との調和に目を奪われた。水面に反射する夕日が、橋たちに飾られる彫刻と重なる。昨年、大きな洪水があったという。我々がその写真を見ると、年配の女性が一生懸命、ダムが決壊したことを英語で説明してくれた。

市内は、観光客で埋めつくされている。スーツ姿のサラリーマンは数えるぐらいしかいない。Tシャツ姿の西欧人、中国人が目立つ。日本人はめったにみないが有名な観光スポットではツアーで見かけた。ムハの美術館では彼らのあまりの短時間での見学に驚いた。私達の滞在の3分の1程度ではないかと思う。また、日本人の旅行者は、高めの店にいることが多いが、あまり会話が弾んでいるように見えなかった。メニューがわかりにくかったり、ウェイターとのコミュニケーションに不安を感じていたのだろう。

チェコはかつてドイツの支配下にあった。ガイドの話によれば、皮肉なことに、ドイツの支配下にあった頃は平和であった、ということだ。もちろん、侵略の悔しさはあったが、判断が難しいということ。

神聖ローマ帝国との30年戦争を経て、✴ボヘミアに対する思いが高まったのか、偉大な芸術家のボヘミアへの想いがプラハに集中しその想いを垣間見ることができた。画家のムハ、ドボルジャーク、スメタナなどの著名な芸術家が祖国チェコのための作品を残している。特に、スメタナのモルダウは言うまでもないが、ムハのスラブ叙事詩の大西欧人作は、チェコの苦しみと未来へのパワーを感じる力作であった。

ドボルザークの銅像

かつての建造物の美しさは世界一だが、経済的には発展途上である。街はスプレーの落書きも多く、ゴミの処理はひどい。共産主義国から資本主義に切り替わってまだ間もないこともあろう。10年前のマレーシアと同程度の経済レベルに感じた。しかし、高級車は多いように感じた。貧富の差が大きいのかもしれない。外資も多く入っている。ユニクロはなかったが、宿泊したホテルはイタリア系であったし、近くのスーパーは中国系であった。様々な国が商売をしに来ている
プラハ中央駅

僕らは、2等のボックスに座る。妻とわたし、他にチェコ人らしいドボルジャークの若い頃のような男性と、フランス人ぽい夫婦の5人のボックス。何と無く、ボックス内は会話もなく、気まずいとまではいいすぎだが、少し緊張している。

これを打ち破ることが起きた。

急に車掌から、次のピルゼンで列車を乗り換えるようの指示があった。英語を喋れないようでドボルジャークの男性が通訳をしてくれた。男性に改めて礼を言うと信頼を確認できた。男性はピルゼンで降りた。ビールを造りにいくのだろうか。

僕らはその隣のフランス人らしい夫婦とともに列車を移動した。この列車のホームと列車の間の階段が最悪で、ステップの幅が狭く、ステップを使わず、一気にスーツケースをホームから列車に上げなくてはならない。
がんばって、荷物をあげ、席に向かうとなぜか若者が6名陣取っていた。
まさかこれから、4時間席なし!と思いながら、若い女性の車掌に相談。彼女の答えは、アイドンノウであった。。彼女は上司に聞きにそのばをたちさった。

ここまで来ると、笑いがでた。。この状態で日本なら、私、わかりませんというはずもないし、この程度で動揺してしまっていることに逆に、頑張れと応援したくなった。

結局、我々フランス人と4人は、他の空いている席で許可された。最初からそうすればいいのに。。おかげで気難しそうなフランス人とは距離がちぢんだ。しかし、乗り換えたピルゼンでは、写真も撮れず残念。
犬は多くがリードをしていない。つまり、放し飼いなのである。プラハのトラムが走る街中でも放し飼いなのは驚いた。つまり、細い歩道を車にひかれず、犬が判断して歩くのである。また、吠える犬がほとんど皆無で、日本の犬よりストレスを感じていないように思えた。犬ってこんなにスキップするように歩くのだっけと感じたほどだ。妻は道でジャックラッセルテリアを見るとストーカーになっていた。。

食事は、うまい。

ボヘミアンバーガー
カロリーを気にしていないのか、ボヘミアンバーガーのビーフは感激だった。外国でお腹すいているからというのもあろうが、油とベーコンとの絡みがワイルドで、もはや、マックのワイルドは、マイルドであろう。原料の単価をあげて欲しい。

ピルセンビールはいくらでも飲めた。サッパリでありながら、最初の口当たりのボリュームは快感だ。ワインもさっぱり目で甘くなく、ボヘミアの舌のレベルの高さを感じた。欧州に来ると昼間からでもビールが飲める。日本でもできるが、なんとなく後ろめたさが残り、本来の意味でうまいビールは飲めない。それはそれで、改善しなければだが。。
車窓からの風景ードイツ国境近く北海道のような情景が続く

列車は、ゆっくりすすむ。

景色は、秋の北海道の景色だ。刈り入れ終わった麦畑の茶色が広大に続き、ある時は、山いっぱいの牧場が美しい。車道にはだいたい木が植えられ、丘が重なる上に走る車道の蛇行が山の奥行きを感じさせる。家は、白い壁に三角の屋根が可愛らしい。かならず、赤茶色の屋根である。チェコの印象とあっている。たしか、広島や山口でも赤茶色の瓦の屋根が多いが、これは、鉄分を含み酸化されるからと聞いた。同じような理由なのだろうか。


山間部は牛や馬が放し飼いなのか、頻繁に速度を落として汽笛を鳴らす。隣のフランス人がこの警笛で目覚めてしまうほどだ。各駅での停車時間も長い。しかし、旅ってこういうものだよなと思い出す。新幹線や飛行機で最短時間で移動しながらもメールをチェックしている自分を思い出す。僕らはこんなに効率的に生きることを追求していて大丈夫なのだろうか。

彼らは、友人や恋人に会うと、最初に目を合わせて、次に頬にキスをする。年配の女性同士が、行うのを見て、素敵に思えた。心を通える人と共に生きて行くだけで人生は充実できる、そんなことを感じた。

西欧人は、食べる量が多いが、メタボにならない体質の強さがあるように思える。自分たちが同じぐらい食べると、大変なことになりそうだ。でも、ボヘミアンハンバーガーはたまに食べたい。体格は大きい。僕はこっちで生活すべきであろう。

今、ドイツに入ったようだ。

妙に、列車が前より早く走る。汽笛がならなくなった。車掌が変わっていたら、ドイツ人の生真面目さゆえに、正規の席に戻るように言われたら困るね、などと冗談を言う。しかし日本と韓国や中国の国境で、もし、運転手や車掌が変わったら、などと考えてしまった。韓国の船の事故である。

鉄道が50分遅れていることを、妻が笑って指摘した。日本なら災害時相当の遅れだ。僕らは、今日、ミュンヘンから2時間かかるフュッセンに夜までに入らなくていけない。でも、なんとかなると僕ら自身も普通に思っている、この雰囲気は心地良い。

ドイツ人の売り子が来た。売り子と言っても、僕より年上のおじさんであろう。制服をきて、ボックスひとつひとつに声がけをしている。これは日本では当たり前かもしれないが、ドイツ人になってからであり、さきほどまでは、私服でジュースを運びに来た。

「チェコ側では、仕事だから仕方なく売り子をやっていた感じだったけど、ドイツ人は売る気があったよね」との妻のセリフ。

チェコの売り子を笑うのではない。売り子という商売に対する鉄道会社の心構えの違いを言いたい。全く同じ状況での業務で有るが、売り子に必要なアイテムをつけさせて、売り子に使命も感じさせて行動させることは、商売で重要だ。

もちろん、チェコではそこまで投資できないからということもあろうが、中途半端な心構えは、売り子という職業に失礼なのかもしれないと僭越ながら感じた。宮崎でも同様のことがありそうだ。

ルーゲンズバーグで、ドイツ人夫人が我々のボックスに加わった。ドイツ人ってこんなに陽気なのだと思うほど元気だった。

ドイツに入ると駅は、日本に似ている。ホームや道路もコンクリートだ。ただ、根本的な部分はチェコとあまり変わらないとも言える。それは昔、占領地であったからでもあろう。
ドイツの家も白い壁に三角屋根であるが、焦茶色の屋根も多い。そして、古い家に太陽光発電を備えている。ところで、ドイツのホテルは、高級な所でもエアコンがない所が多い。日本人ほど電気を使わないのかもしれない。

約30分遅れでミュンヘンに着く。

さて、フュッセンまでの電車はあるか。というのも、実は僕らの最終目的地はミュンヘンから2時間先に行ったフュッセンである。しかし、午前中に予定していたプラハ発ミュンヘン行きは切符が取れず、急遽、午後の電車となった。そのため、フュッセン行きの列車があるのかわからない。

ミュンヘン駅に着き、ドイツが初めての我々は、全ての表示は、ドイツ語のみであることに、若干、動揺しつつ、DBがドイツの鉄道会社であると妻が気がつく。DBの受付は、混雑するも、運良く英語で若い受付の男性に話しかけてもらえた。よっぽど困っているように見えたに違いない。21時発23時過ぎ着があるけど、着くの遅いよ。というアドバイス。ひとまず、今日中につけそうなことに安堵。

チケット購入の受付番号カードを片手に待っていると妻が気がつく。「ホテル、22時でチェクイン受け付けないって書いてあるよ」とホテルのホームページを片手に。

ひとまず、ホテルに電話だ。

ホテルに入れてくれれば、フュッセンまで行くし、入れてくれなければ、ミュンヘンに泊まろう。どうやって電話をかけるか?まずは公衆電話。なんとか見つけて受話器を取るも、クレジットカードが認識しない。今回の旅が前回とは違うのは、携帯電話が使えることだ。使い放題のネットワークにつなげると、日本からの留守電やショートメールを受信。ホテルにでんわ。運良くつながり、事情を説明すると、着いたらドアノックしたら入れてくれるということ。「Really?」と聞くと、相手は笑いながら、OKとの返事。

フュッセン行きのチケットを無事購入し、なんとかなりそうに安心していると、アジアンフード屋さんが目の前に。プラハでは見当たらなかったので、たまらず、カツレツと焼きそばのセットとコーラを頼み、腹ごしらえ。



いざ、車両に乗り込むも、チケットはホームでの打刻がないと、罰金40ユーロということ。。打刻はしていない。。列車は発射した。。

いつ、車掌がチケットを確認に来るか。その時は来た。金髪と制服の青年が確認に来た。我々は、ユダヤ人になったかのようだった。妻は、打刻するなんて知りませんでした、と言い切るつもりで演技前、準備十分な状態。しかし、思いがけず、かれはサンキューと言いながら、ハンコを押した。これに妻は、驚き、返ってええーといいそうな驚きの顔で僕を顔見。これに反応して、青年も僕を顔見。僕は、妻がなんでそんな顔するんだ、嘘つけない人だなと思いながら、とぼけて無視すると、隣の女性が、タイミング良く青年に話しかけて、空気はごまかされた。

後で調べると、時刻が入っているチケットは打刻が必要ないということだった。。

フュッセンに到着。時刻は23時半をまわっている。降りた客は我々含めて、5人のみ。
イメージで言うと、軽井沢に最終便で到着した感じであろう。

ホテルまでは、9分歩く。真っ暗だ。緑に囲まれたホテルがみつかる。入口の明かりを頼りに、ドアフォンを押す。若い少年が快く鍵を渡してくれた。

朝。まるで、ミヒャエルエンデのネバーエンディイングストーリーを連想させる幻想的な山と森。針葉樹の葉の細かさが繊細な美しさを感じさせる。これがドイツか!自然の美しさと気候の良さに感動。


ミヒャエル・エンデの世界が現実に!?

ここで絵本読んでもらいたい!?

2014年7月5日土曜日

豊かに生きてる人からのヒント

この時期の日南の南郷プリンスホテルからの景色
なんとこの景色で、朝食付き7000円は格安!?

九州に来てから、年配の方とお話させていただく機会が増えました。結構、現役時代にはBIGなことをやられていた方も多く、彼らの話を聞くと人間や仕事に対する心構えといいますか、どのように、出来事や人間や社会を捉えて、判断し、行動していくかが参考になります。

★挟持ってなに?

「小木さんは挟持が足りないかも」とご指摘を受け、、

そもそも、「挟持」って、知らない・・。

知らないものは、持っていようがないよな・・など思い、教養がない自分を反省。

簡単な言葉で言うと、確固たる自分を持つということのようです。

人とのコミュニケーション能力がある程度あると、若干、八方美人にもなりがちで、相手の意見に左右され、結局、自分の大事なものを見失いがちな場合も。本当に自分が大事な意思も、はっきり相手にぶつけて、初めて、高いコミュニケーションが発揮できる。そんな自分を目指さないと。全くやっていないわけではないと思いますが、まだまだ高める必要があるのでしょう。

「自信」という言葉は、若干、自分はネガティブに捉えがちで、なんだか、自分勝手といいますか、傲慢なイメージが強く、自信をポジティブに考える傾向が弱いことに気が付きました。謙虚という言葉と、自信という言葉は、若干、背反にあるようなイメージもあったのですが、普通に、両立できることを意識しなくてはいけません。

「自信」を、なくして、人を導いていけないですし、社会に影響をあたえることは出来ないのは当然です。自信を自分の骨にしていく考え方が、挟持へのヒントになるのでしょう。

★意識が視点を作り、視点が認識を生む

僕らが物事を判断するときは、その判断対象に対する認識が基準になると思います。それでは、この認識はどうやって生まれるか?認識するためには、その認識対象に目を向ける必要があります。ですので、認識は視点によって生まれます。それでは、その視点はどう生まれるか?視点は意識されないと生まれないので、視点は意識によって生まれます。それでは、意識はどうやって生まれるのか?これは、めちゃくちゃ、難しい・・。暗黙知やいわゆる右脳の世界になってきますね・・。端的に言ってしまうと、意識は、感覚のセンサーによって生まれるのかと思います。

なので、僕らは、仕事ができる人のことを「あいつはセンスがある」という言い方をするのでは!?感度の高いセンサーがあれば、意識が生まれやすく、それに関する視点ができて、認識が生成されておける。

つまり、認識は多ければ多いほど、豊かな人間(相手を思いやれる、世界の事柄をたくさん認識できる)になるのでは!?ということです。

よく、考え過ぎって、よくない!?って考えていましたが、それは、あまり良くないこととか、発展的ではないことを考えるから、良くないのであって、常にセンサー→意識→視点→認識により、認識をたくさん作っておくことは、豊かな人間になれることではないかと思います。

貴方のセンサーがたくさん感知すべく、世界の変わった人と語りあったり、体験をすることが豊かな人間形成に大事なのではないかと思います。


★愛と愛情は違う?

この質問の答えは、分かりますか?

愛情は、見返りを求めるけど、愛は、一方的なんだよ。誰かに何かを施して、見返りを求めるか、求めないか。神は、愛を一方的に与えるだけで、自分は見返りを求めない。でも、普通の人間は、見返りを求めるよね。それは、愛情ということ。

リーダーになるには、愛の要素が必要なんだと思います。でも、普通の人間だから愛情になってしまう。それが現実なのでしょう。賃金を払うから仕事をやってもらう、相手のことを想いやるから、自分も想ってほしい。僕が残業したから、あなたも手伝って。こういう考え方は、人にとっては普通ですよね。

リーダーは、相手と同じレベルに立って判断しない場合も必要。同じレベルでタイマンをはっていては(なんで自分がしてあげたのに、相手がしてくれないことに腹を立てるなど)、先に進まないことも多々ある。そんなとき、相手が(仕事など)してくれなくても、「僕が時間があるときにしておくよ」と、さらにその後の見返りを求めず、言えるか!?振る舞いとしてはできるけど、本気では無理そう・・。

人は、神様ではないですから。まあでも、まずは、このことを認識してみることから一歩ですね。

2014年6月8日日曜日

高等学校で知財の講義をやらせていただきました。



川内商工高校のインテリア科の生徒さん向けに知財のお話をさせていただきました。女子が多かったせいかみんなおとなしくて!?僕が怖いのかも・・。スマホケースのデザインを考えてもらい、何が意匠で何が特許なのか考えてもらいました。最後に、都城工業高校出身でドイツに居る弁理士を紹介して、弁理士のアピール。この中から将来の弁理士が!?

大学院でも授業をやらせて頂いており、知財とものづくりの話は、確かに、大学院生のほうが反応がよいです。ただ、純粋さは高等学校のほうがあるのかなと・・。理屈ではわからなくても、感覚的に伝わっている!?

2014年4月20日日曜日

夫婦のアイデンティティ


アトムは、今日の未明に、本当の天使になりました。

前回のブログを書いたその日の夜でした。短くて早い呼吸を繰り返しており、あきらかに苦しそうであるにもかかわらず、こちらからうてる手段はなく、「この苦しさ、なんとかならない」というアトムが目で問いかけることは感じていたのですが、答えてあげることができませんでした。

最後の瞬間は、咳を何回かして、そのまま呼吸ができなくなった状態でした。死に到る寸前は、苦しまなかったようでした。

眠れない夜を妻と過ごし、かかりつけの動物病院に報告。この後の火葬について指示をいただきました。昼からの火葬に向けて、写真の準備をするも、いままでの想い出が蘇り・・夫婦で、涙、涙。あれもあった、これもあった・・。いかにアトムに我々が支えられていたか・・。

火葬場は、宮崎市から車で40分ぐらいの綾という場所を選びました。綾は、軽井沢のような緑豊かな郷で、個人的には大好きな場所です。アトムのダンボールの棺には、今日、咲いた庭の赤いバラや、鮮やかなツツジを彼のそばに入れてあげました。我々からの手紙も添えて。美しい棺だったと思います。

アトムは、綾の土地に眠らせました。綾は、自然と緑がいっぱいなので、思う存分、走り回れるのかなと思います。

なぜ、こんなに、彼のことを考えてしまうのかな?と夫婦で話しました。死について、これほど夫婦がショックを受けるとは思っていなかったのです。

その答えは、アトムは、僕ら夫婦にとって、アイデンティティだったからだと気が付きました。

僕ら夫婦は、自分がどんな人間かを説明したり、どんな夫婦であるかを説明するのに、いつもそこに、アトムがいたのです。彼は、僕らの自慢でした。僕ら夫婦が、消極的になってしまう自分を変えるためのシンボルのような存在が、アトムでした。

妻が、今回の死を迎えて、我々2人が、あまりにショックを受けていたこと自体に驚き、「私達って、アトムに依存しすぎていたのかな?」と質問しました。

その答えは、

アトムは、「依存」というレベルではなく、僕らのアイデンティティそのものだったのではないかと思います。

もはや、僕らの体の一部であったのでしょう。僕ら夫婦がどんな夫婦かを知ってもらうために、彼の存在は欠かせないものだった・・。




最高のパートナーでした。

ありがとうアトム。

2014年4月19日土曜日

アトムとの生活

2014.4.19のアトム

子供の頃から、いつか、犬を飼いたいと思っていました。

弁理士試験に、5回失敗し、微妙に絶望気味・・。何か新しい自分を見つけないと・・と思っていて、6回目に失敗した時には、犬を飼おうと決めていました。

飼う犬は、ジャックラッセルテリアしかない。絶対ない。と決めていました。ゴールデンレトリバーも魅力的ですが、マンションなので、まあ、中型犬で。ちょっとぐらい、ヤンチャな方がいい・・と。

予想どおり!?6回目の試験に失敗し、犬を飼うことに決めました。インターネットで検索し、京都に、可愛いジャックラッセルテリアがいることを確認。当時、ETC1000円の時代で、妻と2人で小旅行でした。

行きの車の中では、なんて名前にするか、妻と話し合い。ショコラとか、モカ、とか、かわいい名前が連想されるも、アレックス、アトムなど男の子っぽい名前も。結局、モカでいこうと、話していたと思います。

そして、面会。一目見た瞬間に、断る理由も全くない、最高の犬でした。他の子犬にちょっかい出す、やんちゃそうな顔、しぐさ。一目惚れでした。

帰りの車の中で、あまりに、やんちゃな犬なので、モカは、似合わないと妻とはなし、アトムとつけました。

当時、僕は、一人社長で会社を設立したばかりで、自宅で仕事をしていましたから、話し相手になる、犬がいるのは、嬉しかった。そして、犬の散歩の毎日が新鮮でした。ちょっとした運動になるし、近所の方とのコミュニケーションができて、一人で仕事していた自分には非常に助かりました。また、夫婦で散歩に行くことも多く、犬をきっかけにして、近所の方と交流できるというのは、子供がいないわれわれにとって、結構、新鮮なうれしいことでした。



また、僕自身も、アトムを叱ったり、アトムの親代わりを演じることで、犬に声をかけたり、近所の方に積極的に声をかけたりと、社交的になったように思います。子供などが苦手だった自分にとっては、代替的な子供である、アトムが居ることで、人や犬とのふれあいが自然とできるようになったと思います。

僕ら夫婦は、それぞれの職業で、独立して仕事をしているため、犬の散歩や犬の話題が、夫婦共通の行動や話題となり、夫婦関係を非常に支えてくれたように思います。共通の趣味の一つになりました。

埼玉にいた時も、宮崎にいた時も、河川敷でお友達ができて、よく遊びまわりました。また、震災の後に、東北から埼玉に移住されていた方に、アトムがきっかけで、出会うことができました。その方達とは、いまも犬を通じて交流を続けています。


先日、アトムが胃がんであることが分かりました。かなりの末期です。

僕達としては、全く予想もつきませんでした。最近、散歩の量が減っても大丈夫だな・・ぐらいに思っていましたが、熊本の旅行から帰ってきてから、食欲が減ったので、病院に連れていって、判明しました。

大学病院でも診てもらい、既に、肺、脾臓、肝臓など多くの箇所に転移しているとのこと。若いせいか、進行がかなり早いようで、先生も、これほど早いのは初めて見た・・とおっしゃるほど・・・。

今日は、あまりに、アトムの呼吸が苦しそうなので、先生に診てもらうと、水がたまっているわけではなく、肺の進行が早く進んでいて、対処のしようがないということ・・。苦しそうな呼吸に手を打てないのか・・。この苦しそうな状況を目の当たりにしても、何もできることがない・・。

肺がんは、1ヶ月程度で死に至る、ということで、これからアトムは、どう生きて、どう死んでいけばよいのだろうか。

僕達夫婦に、たくさんのことを、与えてくれた小さな天使が、もう少しで、いなくなってしまう・・そんな悲しい想いです。

アトムは、やんちゃなのですが、実は、僕ら夫婦に似て、運動神経が結構、悪いんです。ジャンプが出来ません。なので、よく転んだりするのですが、すぐに立ち上がって、前に進みます。僕は、その姿を見て、そうだ、転んでも、すぐに立ち上がって、前に進めばいいんだ。なんて、当たり前のことを、彼から教わりました。そんな、前向きな自分の形成に、彼が大きく関わってくれたと思っています。

そんな前向きになった自分とはいえ・・・これから亡くなるアトムをみて、すぐに前を向けない・・そりゃそうですよね・・。

今も涙でいっぱいです。

2014年3月6日木曜日

手を動かす楽しみ



僕は、基本的に手先が不器用で、オヤジによく残念がられていました・・。

オヤジは今も、木の皮でカバンや財布を作る人間で、それに比べて自分は、ガンダムのプラモデルのグフの関節部分が余計な接着剤がはみでて・・、可動しなくなる・・といった次第・・。模型屋さんのガンプラコンテストでは、努力賞・・といった、若干、イタイ賞を頂いていました・・(うれしかったけど・・今かんがえると、たぶん、全員入賞できたのでしょう)。

事務所は、発明やものづくりのためのアイデアを議論する雰囲気にしたい・・と思っていたので、家具はやはり、手作りがいいな・・とおもっていました。

しかし、手作り・・って俺が作るの!?という悩みがありました。

そんなとき、「トンテンカン」の魚本さんと出会いました。DIYのための材料と加工をほとんど手伝ってくれて、自分でもできるような簡単な箇所だけ、やらせてくれる・・。そんな理想的な場所を提供してくれます。

僕も、簡単な面取りと、組み立てだけで・・この笑顔・・。




3時間ぐらいでしたかね。とても楽しかったです。隣では、かばん型のバーセットを作ってらっしゃる方がいて、ジャックラッセルテリアのネタで盛り上がっちゃいました。そんな、DIYパパ同士の交流もいいですよね。



事務所に置くと、ちょうどよいサイズ!みんなの発明品や地元産品のチラシを置けるようになりました。

普段、パソコンでしか使っていない、自分の手と頭を、木のぬくもりを感じながら、有形の物の形にしていくことは、なんだか、忘れていた脳の回路を呼び出したようで、ワクワクしました。

次は、このテーブルのためのベンチに挑戦!?しようかと思います。乞うご期待!?

2014年1月7日火曜日

サンシャインFMに出演しまーす。


1月10日(金)の13時から地元のラジオに出させていただきまーす。長友まさみさんの「まぁちゃんの Enjoy! My Life!!」という番組です。長友さんのハイ!?テンションについていけるか不安でしたが・・、なんとかなったかな・・ならなかったかも・・。エリア外でもHPで聴けるようですので、関東とか福岡とか熊本とか大分とか大阪とか・・の皆さんも・・よかったら・・。弁理士や宮崎のものづくりの話をしますので・・。

サンシャインFMのホームページはこちら。

http://www.sunfm.co.jp/timetable

2014年1月5日日曜日

幸福学というのがあるのですね!

宮崎駅前アミーロードの阿弥陀佛様を抱かせていてだいていました!
なんだか、嬉しかったです・・。
(宮崎駅100周年記念にて 2013.11.24)
みなさま、明けましておめでとうございます!

昨年は、人を雇ったり、事務所の経営に本格化したりと・・人生で初めての経験が多い年で、多くの方とお知り合いや友人になれました。ありがとうございました。今年は、さらに、宮崎を始め、九州の方と濃くお付き合いさせていただきますとともに、新たな発想でグローバルなビジネスを初めてみようと思っています。

さて、最近、サンデル先生などで有名な、NHKの番組の白熱教室シリーズですが、幸福学の講義があり、視聴しました。結構、良い内容だったので、共有します。下記は僕の解釈も入っているので、来週からの番組視聴をおすすめします。今回プロローグだったので、10日の第1回も同じ内容をやってくれるようです。

そもそも、幸福学というので講義ができるということに驚きで、幸福を考えるということは、なんだか、科学的根拠が難しい・・宗教のような内容になりがちなのでは・・と思っていました。

「お金は人を幸せにするのか?」というテーマで、エリザベス・ダン博士(カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学)が説明をしました。


「幸運」と「幸福」は、違う。

「幸運」は、その人の外的な要因で決まり、外から起こること。
「幸福」は、その人の内的な主観で決まり、内からわき出るもの。

必ずしも、幸運と幸福が一緒になるとは限らない。 → 宝くじにあたっても幸福とは限らない


そして、彼女らは、その人が、いま、どの程度、自分で幸福であると感じているかを、その人自身に点数をつけてもらう実験をしました。この点数によって、何をしていれば人が幸せなのかが見えてきました。

この話の中で、人が幸福と感じるための3つの条件がわかってきたということです。

「人と交わること」

「親切心」

「ここにいること」

この3つがあると、幸福と感じるらしい・・。


「人と交わること」、「親切心」については、人は社会的であり、交流し、人に親切な思いやりをもつことで、幸せになれる・・と解釈すればよいようで、道徳的に我々も、意識していたことで、わかりやすいですよね。

僕が面白いなと思ったのは、3つめの「ここにいること」です。

これは、「その場所にいる」という意味ではなくて、「そのことに集中する」という意味。

つまり、「心ここにあらず」で、授業を受けながら、スマートフォンでメールをしている・・とか、会議に出ながら、今日の夕飯のメニューを考えるとか・・という状態であることは、幸福を感じにくい・・ということです。

私が感じたのは、人は「好きなこと」を人生で見つけられたほうが、幸福を感じている時間が長いのではないか?ということです。

ちょっと、解釈し過ぎなのかもしれませんが、「ここにいる」ためには物事に集中する必要がありますから、好きな子を見つけたり、好きな仕事や趣味を見つけられる・・・・これが人生が幸福になる近道なのかもしれませんね・・。

2013年12月8日日曜日

「豊かさとは何か」の一つの答え

生目古墳群史跡公園 2013.12.8 

自分は、まだ、若輩者の40歳なので、とても、この答えは出せないと思うのですが、最近、少しヒントがみつかりました。

先日、九州の先生から、「小木さん、弁理士たるもの、軽自動車乗って、お客さんのところに行くのはどうかと思う・・」と指摘されました。

確かに、高級車で客先に向かった方が、頼もしい先生と思われるのだろうなあ・・と何となく思っていたのですが、どうも自分ではピンと来ない・・。宮崎のお客さんだと、高級車で行くと、かえって、身近な先生であると感じてもらえないのではないだろうか・・と感じていました。

経済的に豊かであることを、形として見せることが事務所として、豊かなことなのだろうか?ということで、悩みました・・。とはいいつつ、軽に乗り続けてしまうのですが・・。

一方、うちの宮崎事務所には、今年の春から常駐してくれるスタッフが入りました。

男性が2名、女性が1名。いずれも個性的な方達で、しかも、僕よりも年上。僕の方から、この人が事務所に入ってくれたら嬉しいな・・と思って、それぞれ、全く別の方からの紹介でお会いして、事務所にお誘いしました。つまり、3人とも、まったくお互い知らない状態でした。

僕の中では、この3人が仲良くなるのかな・・ということは、あまり意識していなく、まあ、うまく楽しくやってくれるだろう・・という非常に楽天的な考えでいました。今思うと、もうすこし心配しても良かったようにも思います・・。

ある日、出張から帰宅したお昼時、なんと、3人が狭いテーブルで、一緒にランチをしているのです。しかも、いつも一緒に食べているよ・・という雰囲気で・・。僕は、結構、長期の出張に出てしまうので、僕と会うよりも、スタッフの3人が出会っている時間のほうが長いことも多々ありました。

そのせいか、急激に親しくなっていて、宮崎の地元話に花を咲かせていました・・。

このうち、一人の技術スタッフは、特許関係の仕事を20年以上やってらしゃるベテランです。したがって、いくつかの特許事務所をまわってこられました。

この方がある時、僕を空港に送ってくれる際に、

「小木さん、うちの事務所って、すごい楽しいですよね。今までにこんな事務所なかったです。」

僕はこれを聞いた時に、泣きそうになりました。

これだ!僕が目指している事務所は、これではないか!

働いている人が、心から面白い、良い事務所だと思ってくれる事務所こそが、僕が目指すべき、豊かな!事務所なのではないか、ということを感じました。

まだまだ、立ち上がったばかりの事務所なので、これから、困難がたくさんあるかもしれません。ただ、それらの困難を一緒に乗り越えてくれる仲間達がそばにいることが、僕が求めていた、豊かさ、なんだと心から感じました。