プラハとミュンヘンに行ってきました。プラハからミュンヘンは、鉄道で移動。6時間近く、時間があったので、下記、記録を残しました。
壮大なスケールの教会と、キリストを表す金と銀の装飾品が、かつて宗教と政治権力が強く結びついたことを教えてくれた。これだけのスケールの建造物は、もはや資本主義社会では作り出せないであろう。
かの有名なモルダウ川は、思った以上に周りの建造物との調和に目を奪われた。水面に反射する夕日が、橋たちに飾られる彫刻と重なる。昨年、大きな洪水があったという。我々がその写真を見ると、年配の女性が一生懸命、ダムが決壊したことを英語で説明してくれた。
市内は、観光客で埋めつくされている。スーツ姿のサラリーマンは数えるぐらいしかいない。Tシャツ姿の西欧人、中国人が目立つ。日本人はめったにみないが有名な観光スポットではツアーで見かけた。ムハの美術館では彼らのあまりの短時間での見学に驚いた。私達の滞在の3分の1程度ではないかと思う。また、日本人の旅行者は、高めの店にいることが多いが、あまり会話が弾んでいるように見えなかった。メニューがわかりにくかったり、ウェイターとのコミュニケーションに不安を感じていたのだろう。
チェコはかつてドイツの支配下にあった。ガイドの話によれば、皮肉なことに、ドイツの支配下にあった頃は平和であった、ということだ。もちろん、侵略の悔しさはあったが、判断が難しいということ。
神聖ローマ帝国との30年戦争を経て、✴ボヘミアに対する思いが高まったのか、偉大な芸術家のボヘミアへの想いがプラハに集中しその想いを垣間見ることができた。画家のムハ、ドボルジャーク、スメタナなどの著名な芸術家が祖国チェコのための作品を残している。特に、スメタナのモルダウは言うまでもないが、ムハのスラブ叙事詩の大西欧人作は、チェコの苦しみと未来へのパワーを感じる力作であった。
犬は多くがリードをしていない。つまり、放し飼いなのである。プラハのトラムが走る街中でも放し飼いなのは驚いた。つまり、細い歩道を車にひかれず、犬が判断して歩くのである。また、吠える犬がほとんど皆無で、日本の犬よりストレスを感じていないように思えた。犬ってこんなにスキップするように歩くのだっけと感じたほどだ。妻は道でジャックラッセルテリアを見るとストーカーになっていた。。
食事は、うまい。
いざ、車両に乗り込むも、チケットはホームでの打刻がないと、罰金40ユーロということ。。打刻はしていない。。列車は発射した。。
いつ、車掌がチケットを確認に来るか。その時は来た。金髪と制服の青年が確認に来た。我々は、ユダヤ人になったかのようだった。妻は、打刻するなんて知りませんでした、と言い切るつもりで演技前、準備十分な状態。しかし、思いがけず、かれはサンキューと言いながら、ハンコを押した。これに妻は、驚き、返ってええーといいそうな驚きの顔で僕を顔見。これに反応して、青年も僕を顔見。僕は、妻がなんでそんな顔するんだ、嘘つけない人だなと思いながら、とぼけて無視すると、隣の女性が、タイミング良く青年に話しかけて、空気はごまかされた。
後で調べると、時刻が入っているチケットは打刻が必要ないということだった。。
フュッセンに到着。時刻は23時半をまわっている。降りた客は我々含めて、5人のみ。
イメージで言うと、軽井沢に最終便で到着した感じであろう。
ホテルまでは、9分歩く。真っ暗だ。緑に囲まれたホテルがみつかる。入口の明かりを頼りに、ドアフォンを押す。若い少年が快く鍵を渡してくれた。
朝。まるで、ミヒャエルエンデのネバーエンディイングストーリーを連想させる幻想的な山と森。針葉樹の葉の細かさが繊細な美しさを感じさせる。これがドイツか!自然の美しさと気候の良さに感動。
かつての神聖ローマ帝国の首都、プラハの街は、文句のないほど美しい教会と、モルダウ川が導く街。
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プラハの夕べ(2014.7.19) |
壮大なスケールの教会と、キリストを表す金と銀の装飾品が、
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プラハ城 |
かの有名なモルダウ川は、
市内は、観光客で埋めつくされている。
チェコはかつてドイツの支配下にあった。ガイドの話によれば、
神聖ローマ帝国との30年戦争を経て、✴ボヘミアに対する思いが高まったのか、
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ドボルザークの銅像 |
食事は、うまい。
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ボヘミアンバーガー |
いざ、車両に乗り込むも、チケットはホームでの打刻がないと、
いつ、車掌がチケットを確認に来るか。その時は来た。
後で調べると、
フュッセンに到着。時刻は23時半をまわっている。
イメージで言うと、軽井沢に最終便で到着した感じであろう。
ホテルまでは、9分歩く。真っ暗だ。
朝。まるで、
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ミヒャエル・エンデの世界が現実に!? |
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ここで絵本読んでもらいたい!? |