2012年12月27日木曜日

宮崎のなかまたち


宮崎の仲間たちとの望年会。たくさん教えてもらって刺激になりました。

「ビジネスで成功しているのは、自分の実力だけじゃない。地域の人に支えられていることを経営者は自覚していないと。」同い年の都城の社長さんの一言。会社は東京駅の丸ビルの外壁!を担当しているとのこと!
来年は障がい者の雇用を考えていらっしゃるということ。ある意味、力がないと社会へお礼できる余裕もないですね。でも、その余裕ができたときに、外車に乗るとか、自分の利益のみではなく、社会に還元すると思う想いが大事なのかなと。

西洋の石垣は全部同じ形に成形された石を積み上げるのに対して、日本の石垣は異なる形の石を積み上げて、全体を形成する。とんがったそれぞれの個性を尊重して、全体がうまくいく社会とか会社が作れるのではないか。利益のみを追求しない経営コンサルとしてご活躍の日向の方の一言。右肩上がりで画一的な社会ではない現在。人を成形するのは難しい。リーダーはそういう、人の活かし方をせねばですね。うーん、僕らは、異なる形の石を積み上げられるかなあ。。がんばろう。

人と話すときに、話すよりも聴くことが大事。この「聴」という字は、目と耳で十のことを感じると、相手の「心」が見えるという成り立ち。いやー美しくないですか!?人の言うことは、心で感じねばです。

みなさん、良いお年を。

2012年12月20日木曜日

今年の第一歩!

先日は、今年、春頃から一緒に新製品開発にお付き合いさせていただいた、花菱塗装技研工業さんの新規開発部隊との忘年会でした。ブルーハーツや2億4千万の瞳を久しぶりにカラオケでみんなで歌って、パワフル!?、とても楽しかったです。

私は、延岡鉄工団地を最初に訪れた時に、その静かさに驚きました。10年後にこの場所はどうなるのか?若者はいるのか?地方のものづくりはどうなるのかな、と正直、心配になりました。

花菱さんを初めて訪れた時に、この元気な若者(すみません、僕より年上ですが・・。ちょっとやんちゃ!?)が、元気にものづくりをしないと、延岡はどうなるんだろうと正直に思いました。

それから、半年たって、今日の打ち合わせは、その心配の方向を少し変えました。試作品は既に3つめ。完成に近づいていました。営業担当の方は50人近くのアンケートを取得しており、これを反映しようと、指示を待たずに技術のリーダーが試作品を開発していました。ものづくりの成功の一歩を感じるとともに、開発部隊の組織の成長を感じました。

ものづくりは、ひとづくりなのかもしれません。開発部隊の方からたくさんのことを教えていただきました。勝負はこれからですが、こういった過程の中にいることを幸せに思います。元気をもらった僕も頑張らねば。

写真は、延岡駅の朝(東海岸は朝日がさいこう)

2012年12月9日日曜日

草の根のアイデアを支援する試み


商品開発を、違う会社どうしでやることは可能なのか?という、挑戦的な試みで、みらい研究会の研究定例会を昨日、行いました。

自分のこだわりの商品を持参して、他人から自由に課題や新しいアイデアをもらう。
確かに、「それは自分のアイデアだ!」と、後で、アイデアの配分でもめることもあるかもしれません。しかし、九州の一地方で、リスクを取らず、まごまごしている間に、アジア諸国に抜かされてしまいます。また、このメンバーの基礎は既に半年近く、議論して、相談しあって、酒を飲んでいるメンバーです。信頼という絆で乗り越えられるのではと期待しながらのスタート。

中小企業を退職し、仲間と意欲的に起業する若者が、何年もかけて宮崎で発明品を売り出している先輩と、何時間も話をしている姿をみて、本当にうれしかったです。
と同時に、発明をして最初に訪ねてきた専門家である僕のところから、彼らが巣立っていくような気がして、嬉しい寂しさのようなものも感じました。自分は彼らのコーディネーターなのだと悟った瞬間でした。

最後に、宮崎の中小企業の社長さんの上海近郊の機械工場のビデオを見て、来年、できれば、中国工場ツアーを会でやりたいなと話しました。僕らの会のメンバーの商品もここで商談できるようになると面白いですね。

今年、「宮崎みらい創造研究会(旧:宮崎ものづくり研究会)」に、足を運んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。私自身も、とても勉強になりましたし、とても楽しい会ができたと思っています。来年も、草の根だけど、楽しいものづくりを応援する会にしたいと思いますので、応援していただければと思います。

2012年11月13日火曜日

ものづくりの根幹となる想い


小中学生の発明を賞する、学校発明くふう展の授与式が宮崎県庁の講堂でありました。

最優秀賞をとった小学6年生の女の子がお礼の挨拶をするのですが、その中で、「賞をとったことよりも、何より、私の発明品をおじいちゃん、おばあちゃんが使ってくれるのが何より嬉しい」ということを、緊張しながらも、しっかりみんなの前で言っていて、なんか感動しましたよ・・。あたりまえなのかな・・。

そうですよね、何かで賞を取ることとか、ビジネス活用とか、助成金取るとか!?もちろん大事なんですけど、一番大事な想いを忘れちゃいけないですな。子どもたちに教えられました・・。

2012年10月14日日曜日

孤独のグルメ

ひとりで飲む。僕にとっては、勇気が必要です・・。

40歳前の現在でも、一人で飲みに行けません・・。ただ、紹興酒は家に常備していないので、出張で、夜、時間が空くと、一人で中華料理に入りたくなります。

昨日、”孤独のグルメ”という番組(マンガが原作ですかね)をみて、男一人で食べるのって、格好いい~!と思って、今日は、思い切って、知らない中華料理へ。


今日は、定食を安易に頼まないぞ、と決意して・・。

まずは、紹興酒を1合、オーダー。格好良く、小皿を頼みたい・・。自家製チャーシューと、豆苗の炒め物がいい。

紹興酒をもう1合頼んで、そして、酸辣麺・・。

隣のサラリーマンが話す女性ネタも魚にして、最高のグルメは、1900円でした・・。

うーん、贅沢と思う、自分が幸せ・・。ま、、僕はその程度で幸せだけど、それでいいのだと思う。

2012年9月30日日曜日

宮崎みらい創造研究会 設立されました!



本会ですが、9月25日に、宮崎市内のホテルで開催しました。

展示作品は20作品!参加者は90名近く集まりました。ありがとうございました。

東京から2名、大分、鹿児島、なんと、台湾からも!参加者があり驚きました・・。

講演では、飫肥杉で有名な井上酒造の寺田社長と、私、小木がやらせていただきました。展示者の3分間プレゼンも盛り上がりましたね。次の日のTVニュースでも取り上げてもらいまして、宮日にも掲載されました。

会としては、責任重大ですが、みなさんの意見を反映できる良い会に出来ればと思います!会にはどなたでも入会できますので、お気軽にご連絡ください。

会の詳細はこちら

http://monodukuri-miyazaki.jimdo.com/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E3%81%BF%E3%82%89%E3%81%84%E5%89%B5%E9%80%A0%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%AF/

講演の一部のビデオをアップしますので、気が向きましたら・・。

講演ビデオ




2012年8月20日月曜日

宮崎みらい創造研究会となりました・・。


ものづくり、って言っても、食品から機械、福祉、デザインなど、分野が広すぎる。それに、セミナーをやるだけでは、交流が十分できないのでは・・。こんな考えから、17日に分科会という新たな試みを行いました。

参加者の皆さんの意欲的な交流で、僕らも逆に刺激になりました。60人近く、ご参加いただけました。

実は、昨日、今日と、僕も含めスタッフの何人か、ばててしまい、ようやくブログにもあっぷできました。正直、これほどの会になるとは想像を超えていました・・。みんな、熱く、よくしゃべります・・。

この会は、「宮崎ものづくり研究会」あらため、「宮崎みらい創造研究会」として、9月に会を立ち上げます。ものづくりでは、作曲、芸能、工芸などが入らないという指摘から、そのような名前にしましたー。

次回は、9月25日の夜に、市内のホテルメリージュで開催の予定です。また、遊びに来てくださいねー。


公式ページはこちら、宮崎みらい創造研究会




2012年8月2日木曜日

超高齢化社会を想像する・・大変かな。


「2030年には、今、働いている人の840万人が減るんだよ。840万人といえば、大阪府の人口に相当する。日本の経済は、大変なことになるんだ。」

先日、訪れた飫肥杉の寺田社長の言葉で、日本のこれからを憂えての発言です。僕には、この言葉が妙に強烈に心に響いています。

2030年は、これから18年後。840万人がおおよそ大阪府の人口に相当しても、大阪府や東京、福岡などの都市は、大幅な減少はあまりなく、極端な減少があるのは、宮崎、大分、島根等の苦しい地方都市でしょう。

日南では、7月は、丁度、稲刈りの時期。黄金色に輝く稲田が美しいです。飫肥のあたりでは、年配の方がせっせと、稲を刈っています。しかし、はたして、2030年にも、この美しい稲田は、存在するのでしょうか?今、稲を刈っている方は、おそらく70代以上。誰かの助けがなくては、美しい稲を育てることは困難と言わざるをえません。

割れ窓理論・・。

学校の窓が一箇所でも割れて放置されていると、生徒の心理としては、他の窓も割ってしまおうという心理が働く。仮に、荒れた稲田が少しでもできると、どんどん荒れた稲田が増えるのかもしれない・・。そんな稲田を見て、子供たちやそこに住む人の心理にはどんな影響を与えるのでしょうか?

このことに対する対策を、東京や大阪の人は、本気で考えてくれないでしょう。なぜなら、かれらの土地では人口があまり減らないですから。2030年でも、ヒルズのような白い巨塔は建ち続けるでしょう。つまり、宮崎や地方の人が、これに対する答えを見つける必要があるのではないでしょうか。

僕らは、今から30年働く必要があるでしょう。ちょうど、3分の2である、20年後は、とんでもないことが起こっている可能性を残念ながら否めません。

だったら、ますます、僕らは、今から種を植えて、未来に何かを育てる仕事をしなきゃではないでしょうか。

それは、子供へ希望を与えることであったりしますが、何より、今、仕事をしている僕らが、未来のために、胸をはれる事をすることかもしれません。

自分の仕事に、胸をはれるのか?自分の取り分だけ考えていないのか?自分専用のセーフティーネットのことばかり考えていないか?僕も、正直、耳が痛いところがあります。しかし、そういった問いかけと、未来への危機感をもって、毎日を過ごせば、苦しい地方でも、大きく変われるように思えます。

(写真は、アトムとお散歩です・・。)

2012年7月28日土曜日

恵まれている宮崎!?

「宮崎っていうのは、恵まれすぎているんだ。それは、他の文化と交流しないとわからない。1月に、北海道の十勝の人が見学にきたけど、土がみえているのに、何も育てていないのはもったいないって。むこうは10月には雪が積もるらしいから。土が出るのを今かと待っているんだよ。僕らが宮崎という土地で恵まれていることは、ここ以外の文化と交わらないと、わからないんだ。」

焼酎の飫肥杉で有名な寺田社長のセリフでした・・。


九州の中で、決して有利ではない宮崎ですが、いかがでしょう。考えさせられます。



2012年7月15日日曜日

宮崎ものづくり研究会(仮)を企画しています・・。


昨日、第一回宮崎ものづくり研究セミナーを開催しました・・。僕は、参加された皆さんのパワーに押されて、今日はグロッキー気味です・・。

このセミナーは、僕が宮崎で出会っている熱い発明家や職人さん、社長さんをお互いに交流すべきではないかと思い、仲間に声をかけて開催してみたセミナーです。

発明や自社製品の自慢大会を地味にやってみよう。
そんな気持ちで、気軽に声をかけただけでしたが、用意した会場は満杯。それぞれの想いを持った方が参加されました。

セミナー型式を取らないと、会が成り立たないと思い、講義形式を重視しました。セミナーは、新原産業の新原社長、ドライアップジャパンの瀬川社長の、普段聞けない内情を盛り込んだ、興味深いお話で、大成功したように思います。

さらに、印象的だったのが、実際には、交流や、自分から発信したいという方が多数いることに気がつきました。また、自分の製品が小さなアイデアなので、誰も聞いてくれる人がいないが、この会であれば、話を聞いてくれるのではないか、と考えられていたということ。製品を持ってこられた方も実はいらっしゃいました。

参加者からは、名刺を交換したいが時間があるのか?会として発足しないと、情報を一方的に受けるだけになってしまい、参加者との交流がしにくい・・。などの意見が出るほど。

こんなに積極的にご参加いただけるとは思いもしなかったので、次回から、情報発信であるセミナー型式にプラスして、参加者自身のアイデア、新製品等をアピールする展示もやろうかなと。

また、参加者を社長さんや経営者に偏ることなく、職人、主婦や高校生、大学生にも参加してもらえるように、小さなアイデアを取り入れられるよう仕掛けていきたいと思います。

次回は、仮で、8月24日あたりの開催を予定しておりますが、会場等の都合で変更がある場合もありますので、ご注意ください。また、お知らせさせていただきますー。



公式Webぺーじは、こちら

2012年6月4日月曜日

知的創作活動のパートナーとしての音楽



今日は、いつものブログと趣向が違いますが、私のコントラバスの先生の演奏会を紹介させてください。

7月20日に新宿でベルン交響楽団のソロ主席の石川滋氏の演奏会があります。詳細はこちら

この演奏会のパンフレットにコラムを書かせていただくことになりましたので、先行してしまいますが、演奏会に足を運んでいただくことを願って、下記に掲載させて頂きます。是非、聞きに来てくださいね。

コラム

都会の喧騒を離れた避暑地。朝の木漏れ日が溢れ、小鳥が囀る小屋で、あなたはデザインをスケッチし始めるとしましょう。自然のエネルギーを体いっぱいに吸収しながら、インスピレーションを得た知的創作活動を行う。そんな、あなたの創作的な時間に、聴きたくなる音楽って、どんな音楽でしょうか?

私は、芸術家ではないのですが、発明という抽象的なアイデアを取扱う仕事をしています。これは、いわゆる右脳が司る直感的思考と左脳が司る論理的思考をバランスよく活用して、客観的に把握できる文章や図面にすることが求められます。なぜか私は、晴れた日の朝早くに、この知的創作活動の能率が上がります。

実は、今までこのような創作的時間に聴いていたのは、ヒラリー・ハーン演奏のバッハ作曲:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番でした。しかし、昨年、石川滋氏演奏のバッハ作曲:無伴奏チェロ組曲第1番から第3番のCDが、ヒラリー・ハーンを抜きました。

石川氏の誠実さが表れる純粋な音色により右脳の直感的思考が高まり、同時に、精緻なバッハの幾何的なフレージングにより左脳の論理的思考が高まる。つまり、石川氏の誠実さに負けないように、純粋に発明を捉えなくてはと、自分の文章も背筋が真っ直ぐに伸びるような感覚を得てくる。それと同時に、バッハの精緻な論理的な構成力により、文章内の部分と全体の整合性に対する意識が高まる。音楽が、私の知的創作活動をバックアップしてくれる瞬間を感じる。

木漏れ日の中の巨木や森の木々がそのまま声を出して歌っているかのように聴こえるコントラバスの音色。コントラバスは、弦楽器の中での最低音を奏でることにより、巨木のような包容力と優しさを感じさせる。さらに、コントラバスは、弦楽器の中で最大のボディを有することから、ここから生まれる豊富なエネルギーが、森から無限に溢れるエネルギーを感じさせる。そして、何より、巨木が歌っているとは思えないほどの、石川氏が作る繊細な音色、フレージング。この融合により、論理的に精緻でありながら、同時に大きな優しさを感じる。まるで、外の木々が私の知的創作活動を応援してくれているみたいだ。

好きな俳句を考えたり、陶芸や木工の創作活動。そんな、あなたの知的創作活動のパートナーとして、表現力豊かな芸術家を近くに感じることができるのは、人生の豊かさを感じることができる瞬間なのかもしれません。



石川氏の動画は、こちらになりますので、是非、一度、聴いてみてください。

2012年4月15日日曜日

震災から1年をむかえて(その2)

「被災者の方から、直接、ご連絡をさし上げてもよろしいでしょうか?」

震災ホームステイの担当者、黒岩さんから、データを登録した次の日の朝の電話でした。

「ご希望されている被災者の方は、6人のご家族で、ご夫婦、高校生2名とお爺ちゃん、お祖母ちゃんですね。」

「浪江町の方です」

僕がこの瞬間に感じたのは、

こんなに早く連絡が来るということは、毎日のようにこの震災ホームステイのサイトを確認して自分たちにあう物件を探していたのだろうということ、すぐに住みたいと思われているのではということ、でした。

恥ずかしながら、浪江町については、この漢字に変換できなかったぐらいで、被災地のど真ん中の地域であるということは、後から分かりました。

しかし、6人の方の力になれることは、とても嬉しいこと。自分たちが、宮崎に旅立つにあたり、理想的な方に住んでもらえるかもしれないと直感しました。


「あと、わんちゃんがいるんです。」

「今回、小木さんのお家は、犬がOKということで、そのような物件が殆ど無いんですよ。なので、希望者の方は、とても、小木さんの家を希望されていて・・。たぶん、今後も、犬がOKというような物件は、なかなか見つからないと思うんです。」

「なるほど。そうですか。わかりました。携帯の番号を教えてしまって構いません。宜しくお願いします。」と電話を切る。

そうか、犬がOKな物件なんて、考えてみるとあるわけない。そこまで、気が付くわけないですよね。僕らは、なんとなく、犬も大丈夫だから、書いておけばいいかなという程度で、記載したのですが、それが彼らにとっては、決定的であるということ。


そして、夕方の電話。


「すみません、コギさんですか?私は、福島の浪江町で被災して、家がないんです。犬がどうしても・・・」

少し緊迫した女性からの電話。年は40代ぐらいかなと推測する。


「ひとまず、家に一度、来ていただいて、部屋を見ていただいたほうがいいですね。今、引越中であまり綺麗ではないですが、ひとまず、確認いただいて、お互い判断しましょう」


結局、週末に部屋を見に来ていただくことになりました。そして、確か、土曜日の11時ぐらいだったと思います。親戚の方の車に乗って、Y夫婦が来られました。もうひとり、親戚の方の近所の方もこられた気がします。
我々は、じっくり、温かい場所で、2時間以上、話をしたと思います。


ご家族はみなさん、奇跡的に、津波にのまれずに、助かったこと。

ご近所の方は逃げ遅れて、そのまま津波で返らぬ人になってしまったこと。

学校にいた息子さんとは、地震発生時は、別の場所にいたけど、後から、幸運に会うことができたこと。

福島から東京に向かう道中は、生きたここちがしなかったこと。

被災後に、行くところがなく、彷徨ったこと。

避難所では、ワンちゃんがいるので、5箇所以上も避難場所を変えたこと。

お住いになった親戚の方のご近所の方が親切にしてくれて、気持ちがとても救われたこと。

新聞を毎日のように確認したり、被災者が集まる場所に足を運んで、知り合いの情報がないか探していること。



妻と僕は、結局、これらの話を聞いて、涙でぐちゃぐちゃになりました。

そこにいた、人たち、みんなが悲しい想いを共有しました。


僕は、人として、彼らに対応しなければいけない。狭いこと考えていられないなと感じ、ひとまず、何も言わないで、彼らに住んでもらおうと、妻と話し合って決めました。


ちょっと、脱線しますが、今、考えると、このときの考え方が、僕を強くしてくれたのかもしれません。
正直、僕も家賃収入がないのは、痛いです。

でも、僕は、宮崎へ行ってから、Yさんの分も働かなきゃ、と思うようになりました。そのため、宮崎で自分では若干、信じられないぐらい、営業に力を注ぎました。そうすると、結果的に、どうなるかといいますと、多くの宮崎の頑張っている方と出会うことができました、すると今度は、宮崎のために、なにかやりたいという気持ちに変化し、宮崎に仕事を持ってくるように、がんばろう!となりました。

僕は、子供がいないので、誰かに頼られるということが、あまりなかったからかもしれません(妻がいました・・)が、被災者の方に頼られることで、僕自身も、大きくなれたのかもしれないと思っています。


今も、博多で宮崎出身の経営者の方と、熱いランチをいただきました。次のターゲットは、宮崎のために、何かビックなことを始められればと思っています。



次回に続きます・・・・。



(自分は、被災時に電車に乗っていて、電車が緊急停止し、なんで、電車が止まったのに、揺れているんだろうと思った記憶があります。このとき、妙に大きな寒気がしまして、今でも思い出します。1時間後、電車を降りることができて、赤羽駅まで歩いたときの写真です。)








2012年3月16日金曜日

震災から一年をむかえて (その1)

昨年の春から、宮崎に来ていますが、宮崎の人に、昨年の春から宮崎に来ていることを告げると、「あ、震災があったからですか?」とよく聞かれます。震災の前に、宮崎に来ることは決めていたので、自分としては、後ろめたさはなく、宮崎に来ることと、震災は全く関係がありませんでした。しかし、宮崎に引っ越すにあたって、埼玉の住居は当然、空くわけでして、そこから、被災された浪江町の家族との関係が始まりました。

下記の内容は、個人情報も含みますので、ブログに書こうか一年間、迷い続けたのですが、震災から一年経つので、そろそろ、公開したほうが、みなさんの震災に関する関心も、さらに高まり、身近なこととして捉えられるのではないかと思いまして、被災者の方の許可を得て、僭越ながらブログに書かせて頂きました。



震災の日は、我々、家族は、東京近郊にいましたが、特に大きな事故もなく、帰宅難民になることもなく、妻も僕も、地震発生から、およそ2時間後には、自宅におりました。犬のアトムが、妙に怖がっていて、その後も、地震警報の「ミャンミャン ミャンミャン」という音がなると、敏感に反応するようになりました(これは、宮崎に来ても反応していましたね)。

震災がニュースで大きく報道される中、我々は、明後日から宮崎に発つ必要がありました。春からの生活のためにアパート探しをするためです。そのため、せっせと旅の準備をして、日曜日に、羽田を発ちました。震災のとても暗いニュースの中、宮崎は、明るく、空が明るい思いがしました。

無事に宮崎で、今の賃貸住居を決められて、埼玉に帰って来ました。そこで、私は、埼玉で購入して、ローン支払い中のマンションを、誰かに賃貸しないことには、宮崎にいる間の家賃がもったいないと考えました。川口のアパマンショップなどに訪れて、賃貸募集の案内の手続きをしておりました。

その日の夜でした。

埼玉では、さいたまスーパーアリーナに多くの方が被災後、避難していましたが、無料開放がおわるということ。
被災者の方は他の場所を見つけなくてはいけないのですが、その受け入れ先がなかなか、みつからないというニュース。

埼玉の都市部に住んでいる我々も、”ひとごと”ではないが、今ひとつ、自分のこととしては、捉えられない。でも、何かやらなくてはいけない気がしてはいる。でも、当然、一歩進む勇気は、僕にはない。

同じ日の、ワールドビジネスサテライトだったと思います。震災ホームステイというサイトがあって、そこで、被災者と住居を提供する人が出会えるというニュース。

「うわあ、これ、タイミング良すぎない?」と、かみさんに聞く私。

「うん、そうだね・・。」じっとテレビを見る妻。

我々は、今まさに、自分たちの埼玉の住居を空けようとしているのです。これで、社会貢献ができることは、大事な事だと思う、思うけど・・。

「これ、見過ごすほど、勇気ないかも・・俺・・。」 「なんか、導かれているような気もするし・・」

といいながら、震災ホームステイのWebページを検索する自分。

これ、簡単だな。住居と連絡先を登録するだけで、住居を探している方と出会えるんだ。

結構、決まっている人もいるけど、決まっていない人も多いね・・。


普通に考えると、自分の家の部屋を一室提供するだけでは、お互い、プライベシーもあるから、きつい・・、という状況になることは、簡単に予想がつく。

それに対して、うちは、完全に家が開くし、犬もOKだから、ニーズ高いかもな・・。

「じゃあ、ひとまず、登録だけしてみて、アパマンが決まるより、被災者の希望の方が早かったら、こっちに決めるか考えよう。」と、若干、安易な考え方ではあったかもしれないが、妻と相談して、僕らは登録を決めた。


正直に言いますと、僕の頭の中では、現在のマンションの住み手が最終的に決まるまでは、アパマンの募集と、マンションの内覧があって、家賃の調整があるため、結果的に、マンションが実際に利用されるまでは、短くても2,3ヶ月の空き期間が発生してしまうと考えました。ですので、その期間は、被災者の方に住んでもらえばいいんだ、と考えました。



次の日の午前中。

「小木さんの提供物件について、被災者の方が、是非、住みたいと言っております。直接、被災者の方からご連絡をさし上げてもよろしいですか?」

やや緊迫した声で、震災ホームステイの担当者からの電話がありました。

続く。

(写真は、震災のときに、川口で起こった、計画停電のときのマンションやビルの写真です。さすがに、大きなビルから、まったく電気を感じなかったので、衝撃的でした。)







2012年1月29日日曜日

その事務所の豊かさ

例えば、自営業をやっていて、仕事がどんどん入ってくることは嬉しいことです。

一生懸命に考えた営業手法を実際にやってみて、自分なりのネットワークを作る。次に、ネットワークができた人を、「チームワーク」にして、その人が自分のことを、他の人に伝えてくれる。

そんな中で、「そいえば、弁理士にお願いしたい仕事あった」という人もみつかってきて、その結果として、仕事が入ってくる。

皆さんの協力や、自分の苦労の結果として入ってくる仕事は、嬉しくてたまりません。そうやって、自分が働く時間に、たくさん仕事が入ってくることは嬉しいものです。


ですが、このようにして入ってきた仕事をこなすことと同じぐらいに重要なことがあるように思いました。

え、そんなのあるの? と思いませんか?

よく、個人事業主でも、サラリーマンでも、朝9時に出社して、23時まで働いた、とか、3時まで働いたという人の話を聞く方も多いと思います。僕の考えは、どんなに長く働いても、それは、ご苦労様という言葉以外にはなく、下記のことをしていなければ、お金以外の豊かさを感じにくいのではないかと思いました。


少しづつ説明しますね。

来月に、運良くセミナーをやらせていただくことになりました。私のような若い弁理士に、セミナーを外部の団体から依頼されることは、稀で、僕自身も、私で大丈夫ですか?と聞いてしまったほどです。もちろん、皆さんに、セミナーが有用で、ためになったし、元気が出たと思っていただけるように、充実したセミナーにしようと思っています。

さて、このセミナーで、事務所のパンフレットを配らせていただくことになりました。うちの事務所のパンフレットは、ここのところ改定していなかったので、今回のセミナーをきっかけに、いいものをつくろうと決めました。

パンフレットは、その事務所の方向性を明確に示すもので、非常に重要です。特に、世の中に似たようなサービスを行なっていない内容を説明する場合は、困難が極まります。

僕の事務所は、従来の特許事務所でありながら、ちょっと、新しいことを盛り込んでいます。ですが、この新しいことを主張しすぎてしまっては、特許事務所であることが不明となり、なにをする事務所(弁護士事務所?コンサル事務所?)か不明になるのです。

しかし、新しいことが、うちの事務所の差別化戦略であり、他の事務所とは異なるサービスを提供する重要な箇所です。この部分は、僕にとっては、自己実現でもあります。ですので、この部分も強調することは自分にとって重要です。社会に挑戦する面もあります。

従来のサービスと、特有の新しいサービスとの記載のバランスを調整して、わかりやすくて、親しみのあるパンフレットを作る・・・。難しい・・当然、難しいです・・。


とはいえ、既に事務所のホームページで、ある程度、この両者の調整をした言葉や表現ができているので、これをコピーペーストして、ちょと安易にパンフレットの雛形を作成しました。

こんな感じでいいかな、と思っていました。



数日後、いつも私の事務所について、有用で核心的な意見をアドバイスしていただける、楽器職人の先輩に、パンフレットを見て頂きました。

「小木くん、逃げちゃ駄目だよ、逃げちゃ! このパンフレット、逃げていない?」と指摘。

全く意味不明に思った自分は、理解できませんでした。逃げるって・・?何のこと?


「用語に頼らないで、キーワードをきちんと説明しなきゃ。ものづくりとか、グローバルとか、政治家みたいに、言葉を並べれば、なんとなく、説明できていると思っていない?もっと具体的に、サービス内容を説明できないと、具体的な内容がないのに、理想だけ言っているように見える。具体的な内容を書くのを勝負できないの?」



ある意味、新しいサービスを社会に提案することは、怖いです。業界団体や、競合する団体、競合する事務所になんて言われるかわかりません。ですので、ボヤーっとパンフレットをオブラートに包んで逃げてしまうことは、簡単です。



また、僕は、お客さまを軽視していたのかもしれないと思いました。つまり、単に、新しいサービスを、「ものづくり」とか、「グローバル」という言葉のイメージだけで匂わせておけば、なんとなく、新しそうな特許事務所だからお客さんが来るだろう・・みたいに安易に考えていました。ちょっとお客さんを馬鹿にしていたのかなとも反省しました。

そして、何より、僕自身も、最近の仕事量に押されて、事務所のサービスについて考え直す時間を設けていないということを自覚しました。


うちの事務所って、何が出来るんだろう?何が他の事務所でできない特徴なんだろう?

逆に、企業や社会のために、何をすべきなんだろう?


こんなことを、事務所を始めた時のように考え始めました。


つまり、パンフレットの作成をきっかけに、自分の事務所のサービスを考えなおす。自分の事務所のサービスを見直す。そんな作業を始めました。


すると、自然と、自分がなぜ、この事務所を始めたのか?とか、お客さんには、ああいうふうに思ってもらえたから、こういうサービスを今後もしたい、とかを考え始めます。

これは、自分の事務所の方向性を決めるような判断基準を決める作業です。これは、売上額のように、金額には反映されない、事務所の豊かさについて考えるきっかけなのではないかと思いました。


長くなりましたが、私が、仕事をしていて、一番大事なことは、このような視点で、定期的に、自分の事務所のサービスや、企業や社会における位置づけや関わり、自分の事務所がやるべきこと、やりたいこと、について考え直すことが、日常の仕事をこなすこと以上に、大切なものかもしれないと思いました。

どうしても、日常の仕事が詰まっていると、特に、自分の事務所や会社のことを振り返る時間や心のゆとりを失ってしまいます。また、忙しいからといって、自分に対する言い訳にもしますよね。

でも、そもそも事務所や会社を始めたきっかけって、単にお金を稼ぐだけでもなく(もちろん、それも重要ですが)、自分の事務所や会社で、こんなことをやってみたい!、社会を少し変えてみたい、こんな風にみんなに感じてもらいたい、と思うことがあったはずです。これについて、思い出して、現状の仕事と比べてみるといった考察は、その事務所に特有の豊かさをもたらすように思います。

そのために、仕事しているんだ。そのために、生きているんだ。

売上額や名声以外に、こう言えるようなコダワリを自分なりに持っていることは、自分の豊かさの物差しが一つ増えるような気がします。

(写真は、パンフレットの雛形です。スケッチブックに作って見ました。どんなパンフレットになるかは、お楽しみ・・。)

(考えなおすきっかけを頂いている、楽器職人の先輩には、感謝しています。自営業の方は、自分の仕事やこだわりについて、勇気をもって相談してアドバイスしてもらえる方がいることは、会社や事務所の運営において大きな違いになるように思います。特に、人の相手をして商売している方は、物を相手に商売している方の意見は貴重だなと。)



2012年1月4日水曜日

祥雲龍翔(2012年)

みなさま、あけまして、おめでとうございます!

2011年は、大変、辛い年でしたので、あけまして、おめでとう、と、単純に言って良いとは、私も思いません。しかし、2012年を、明るい年にするために、あえて、この言葉で書きだしてみました。

今年は、辰年ですね。

「祥雲龍翔」という言葉が、今年は、ぴったりではないかと思っています。

「龍が雲をきって、自由に天を駆け巡る」 

昨年、沈んでしまった運気や元気が、今年、大きく上昇に向かう!2012年は、昨年までの雲を抜けて、駆け上りましょう!そんな、イメージで2012年を過ごせればと願っております。

今年も、宜しくお願いします。

今年の自分は、忙しい年になりそうです。春からの営業が、幸を奏して、11月ぐらいから、宮崎や九州のお客さんに出会うことができるようになりました。私の方で、全ての仕事を担当することはできないので、東京や九州の知り合いに、業務を依頼する流れになりました。

つまり、宮崎で仕事を受注して、東京で業務を行い、宮崎に納品する・・という流れです。

これって、ちょっとすごいのかな?と勝手に思っていまして、なんと、製造元が東京なんですよ!

製造業は、通常、タイや中国で、製品を作って、東京に納品したり、香港で売ったりすると思うのですが、地方の知財の仕事は、地方で仕事を受注して、東京で製品を作って、地方に納品する!という流れなのです。

既存のビジネスモデルとは、逆行している感じがして、大変興味深いなと思っています。ちょっと、この流れをしっかり、確立していければ、他の業界でも応用できるのではないか・・・・と思っています。

2012年、がんばるぞー!

もう一点、重要なお知らせが。

本日、1月4日、佐賀駅前に、友人の弁護士事務所が開業します。彼は、江戸川区出身ですが、佐賀に研修で行ったのをきっかけに、この土地に惚れて、事務所を始める道を選ばれました。

都会から地方に来て、ビジネスを始めるのは、勇気が必要で、普通の人からすると、なんで?と首を傾げるかたも多いと思います。

しかし、彼と話していたら、今の若者は、地方でこそ、業界で活躍できるチャンスがあるのではと。

常識と言われている発想の転換は、意外にも、ビジネスリスクを減らすことになるのかも!?


それでは、みなさん、2012年は、昨年までの雲を抜けて、駆け上りましょう!

@丸の内のカフェにて

(写真は、神田明神です。僕らが結婚式を行った場所で、毎年、初詣へ行っています。ジャック・ラッセル・テリアとも出会いました!)