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宮崎神宮(2011.3.13) |
ひと月前に、妻から言われた言葉です。
あ、いや、理由もなく別居というわけではありません。
彼女は、大学院を卒業してから、いくつかの大学や専門学校でパートの講師をしています。
大学の教員は、僕ら一般人が思っているほど、恵まれた生活をしていません。
その理由の一つとして、いくら大学の先生が努力しても、賃金の向上や雇用の安定となる、正当な評価が得られるとは限らないからです。
例えば、大学の先生が、テストの採点で、進研ゼミ(もうない?)赤ペン先生並の丁寧な添削を行っても、“みみずのはう”ような字(僕の字のかんじ・・)で、添削しても、先生の評価が大幅に変わることも、給料が変わることもありません。
彼女は、夜中から朝まで、僕と犬の世話が終わった後に、何十枚もの添削を丁寧にやっていました。
しかし、常勤での教員職はみつからない。
そんな生活を、ここ2年ぐらいしていたところ、九州の大学で、キャリアアップにつながる勤務先が決まりそうだということ。
一方、僕は、東京での会社がまあ、そこそこ、安定してきて、4月からさらに、東京で事務所を開業しようと考えていました。また、先日のブログでも書いたように、東京の大学院へ行って、さらなる経営の勉強をしようかなと考えていました。僕自身も関東を離れて生活したことはありません。
その矢先での、彼女の発言。。
どうする、おれ?
自分は、昨年の夏に会社を立ち上げましたが、勤めは自宅で、自分の仕事柄、平日でも家で仕事をすることが多く、メールやネット以外は、かみさんに相談することが多くなりました。
ですので、家族との関係の安定が、仕事の安定の一部であったことは間違いないことを実感していました。これが、かみさんがいなくなるとどうなるか?
いやいや、かみさんの方だって、全く住んだことのない九州に、一人乗り込んで、俺や犬のアトムがいないで、毎日が順調におくれるのか?
おそらく、僕もかみさんも、離れていても、生活はできるでしょう。
でも、僕らは、単に、経済的な理由やキャリアのために生活するのではなく、精神的に豊かに健康に、共に歩みながら過ごすことが重要であると思います。そういうわけで、かみさんとの激しい議論の末、お互いに離れないで生活することが大事ではないかと話し合いました。
「僕も宮崎に、行ってみるか。まあ、仕事はなんとかなるでしょう。 」
と、一歩、踏み出す。
これに対する社会の反応は・・。
「え、奥さんと一緒に行くの!仕事どうすんの!」
かみさんに対しも、
「え、旦那さんも宮崎に来るんですか!大丈夫ですか?」
それが、一般的な反応ですよね。
つまり、旦那さんは、ひもっぽい感じに捉えられているかな。。
運良く、僕のお客さんは、いずれも九州出身で、快く、自分の遠距離での自宅勤務を認めていただきました。
お客様に大変、感謝するとともに、離れていても、仕事を受注いただけるほど、自分に強さがあることを感じました。
つまり、かみさんについて、九州に行けることは、自分に力があるから行けるのではないかと考えるようになりました。遠距離でも僕に仕事を出してくれるほどに、僕が力を持っていなければ、今回のように、仕事を継続して受注することはできません。
そんなことに気がつき、妻と一緒に九州へ行くことに自信がもててきました。
来月、胸をはって、宮崎へ引っ越します。
(写真は、宮崎神宮です。大きいし、明治神宮と違って人が少ないので、気持ちが落ち着きます。これから、よろしくお願いしますと気持ちを込めて。)