2010年9月19日日曜日

サービスのイノベーションの保護は、特許なのか?














オフィスグリコの“仕組み”は、特許になっているんです。

オフィスグリコというのは、グリコのサービスでして、会社の喫茶室などに、ひっそりと、グリコのお菓子を入れたボックスを置いておき、お菓子を取る人は、1つにつき、100円を支払うというものです。

似たようなもので、農家でみかけるのが、野菜を持って行ってもいいけど、100円を箱に入れてね・・というモデルがありますよね。これは、野菜を購入する村人が、良心的であるという前提からスタートしているビジネスですね。でも、お金を入れずに、野菜を持っていく人も、いるはず。世知辛い今日になっているにもかかわらず、このモデルを、いまだに見かけるのは、なぜか?

おそらく、この方法で販売している農家は、この販売で生計を立てているわけではなく、むしろ、野菜をつくりすぎたから、無料でも良いから、分けたい・・という考えなのでしょう。むしろ、お金を入れてくれれば、それはそれで、ありがたいし、無料だと、気持ち悪くて、誰も持っていかないし・・という考え方なのでしょうね。

グリコは、営利を目的とした法人ですから、こんな農家のように、流暢なことはいっていられないですよね。つまり、お菓子を持っていく人は、ほとんどの人が、お金を支払っていただかなくてはいけません。

オフィスグリコは、置き場所に工夫があったということですよね。
オフィスという、通常、社会的な規律を守る場においては自制が働きますし、周りの社員の信頼を失うよりは、100円程度を支払ったほうがよいと考えるでしょう。しかも、喫茶室という場所は、お腹と相談すると、やや財布のひもが緩みやすい場ではないでしょうか。

このようにして、オフィスグリコは、サービスのイノベーションを起こして、成功した事例と言えます。

このようなサービスのイノベーションは、どのように保護されるのか?
オフィスや喫茶室の利点を考えて、オフィスにお菓子を置くというアイデアは、どう保護されるのか?

実は、このオフィスグリコのサービス、そのものは、特許になりません。

オフィスや喫茶室の特徴を分析した成果として、オフィスグリコのサービスそのものを権利化することは、できないのです。

しかし、世の中では、オフィスグリコは、特許を取得していると言われています

これは、オフィスグリコの“仕組み”が特許になっているのであって、オフィスグリコのサービスそのものは、特許になっていないのです。

特許の対象としては、サービスなどの“決め事”が、排除されます。

例えば、「マリオが、きのこを食べたら、スーパーマリオになって、クッパを倒しやすくなる」というのは、特許の対象ではありません。ただの、決め事だからです。

でも、「マリオが、きのこを食べたら、スーパーマリオになって、クッパを倒しやすくなる」ことを制御するゲーム機、は、特許の対象なのです。
つまり、決め事を制御する“仕組み”は、特許になるのです。

したがって、オフィスグリコにおいて、「どのように、オフィスにお菓子を配布して、足りなくなったお菓子をどう補充すれば、利益があがるか」は、特許の対象ではないのですが、「どのように、オフィスにお菓子を配布して、足りなくなったお菓子をどう補充すれば、利益があがるか」を制御するために、設けたデータのやりとりや、判断の制御アルゴリズム(いわゆる、サービスの仕組み)は、特許になるのです。

多くの経営者の方が、ビジネスモデルの特許は、サービスそのものが特許になると考えられていることが多いように思います。しかし、ビジネスモデルを実現する仕組みが特許となるに過ぎません。したがって、オフィスグリコの特許があっても、このビジネスモデル自体の実施が特許の侵害になるのではなく、仕組みを実施した場合に、侵害となるということです。

ビジネスモデルで特許をとると、20年、権利が保護されますから、広告効果も大きく、株主や消費者にアピールになると言い得ます。しかし、その企業の経営者も果たして、仕組みを権利化しているに過ぎないことを理解されているのか、疑問であり、過度なアピールになってしまっているようにも思えます。

とはいえ、オフィスグリコのようなイノベーションは、しっかり保護されるべきです。“仕組み“で保護できることは、現在の特許法でも認められていますから、このサービスを実施する際に、不可避となる仕組みを盛りこんで、上手な権利化を図るというのが得策でしょう。

(写真は、犬のATOMです。妻のお母様に、お作り頂きました。ウーパールーパーみたいかな?)

2010年9月4日土曜日

ソフトウェア特許の意義
















「お先に失礼します。」

他の社員が働いている中で、自分だけが早く帰るのは、どの職場でも、なかなか、難しいですよね。

役割によって、仕事の緊急度合いも違いますし、なにより、本人がすっきり、明日も頑張るためには、早めの帰宅は、大切でしょう。

最近、流行のドラッカーでも、真摯さ、が大事だと言われています。真摯さとは、それに向きあう、ひたむきな思いと行動だと、私は、理解しています。そうすると、早く仕事を止めることは、真摯さが足りないのではないか、と思われる可能性もありますね。

ひたむきな努力に対して、ご褒美を与える制度の一つとして、特許制度があります。

特許の意義は、ひたむきな努力による研究開発の成果を、世の中に公開することで、その代償として、独占的な権利が付与されるという趣旨です。

じゃあ、ひたむきな努力による研究開発をしていなければ、特許を付与する意義がないか。

ソフトウェア特許は、「ひらめき」が特許になる傾向があり、いわゆる、研究開発部が研究開発を専用の仕事として、時間とコストをかけた成果ではないから特許を付与するのはどうかと思う、という議論があります。

例えば、知恵の輪を解くように、プログラムの独創的なアルゴリズムを生み出すエンジニアにとっては、ある課題を検討してから、3分でアルゴリズムを完成するかもしれません。

このエンジニアが、このアルゴリズムについて、特許をとりたいと望む場合、課題に対して、ひたむきな努力による研究開発の成果がはないから、社会としては、特許を与えるべきではないのではないか、とも考えられます。

「決定力を鍛える」という本で、チェスの世界チャンピオンである、ガルリ・カスパロフさんのセリフです。

「独創性というのは、努力である」、とおっしゃっています。

つまり、独創的なひらめきは、生み出すための時間やコストに関係なく努力の成果ではないかと考えられます。

なにも、研究開発部において、研究しているのみが、ひたむきな努力による研究開発ではないのではないでしょうか。

このエンジニアは、日夜、様々なプログラミングをして、アルゴリズムを研究しているからこそ、新たな課題に出会ったときに、だれも思いつかない、ひらめきが生まれるのでしょう。
そうすると、「ひらめき」は、形式的には、「ひたむきな努力」が不在のように見える場合もありますが、本課題以外の課題も検討していることで、結局、「ひたむきな努力」の成果物として、出てくるものではないか、と考えます。

ソフトウェア特許自体が、意義があるのか、については、簡単には、結論が出ませんが、形式的な研究開発がされていないからといっても、必ずしも、特許を付与する価値がないとは言い切れないのではないかと思われます。

しかし、この考え方は、発明者であるソフトウェアエンジニア達が、自らの技術の特許の保護を求める場合に、研究開発部がなくても、特許として認めるべきだ、という議論であり、発明者自らが、特許の取得を望まない場合は、当然ですが、当てはまりません。

先日、オラクルが、Androidに、java関連のアルゴリズム特許の権利行使をしました。が、これで、現在、主流のソフトウェアエンジニアが集中しているAndroidのソフトウェアエンジニア達が、オラクルに対して、嫌悪感をいだいているようです。これは同時に、現在、主流のソフトウェアエンジニア達が、ソフトウェア特許に対する嫌悪感をいだいてしまうことかもしれません。今後、発明者であるソフトウェアエンジニア自体が、他人の特許回避に対する苦労から、自らの権利の取得を望まなくなるケースも想定され、この場合は、ソフトウェア特許自体の存在意義は、失われていくかもしれません。

しかし、そもそも特許という独占排他権がないほうが、ソフトウェア業界として、望ましい形である、ということも、考えられます。

ソフトウェア特許が、ソフトウェアエンジニアやソフトウェア企業にとって、真に意味があるものなのか、今後の動きに注目していきたいです。

(写真は、奥日光の丸沼ダムというところです。ダムの麓のハイキングコースに、渡船があり、沼を周遊できます。沼は、周囲の緑を鏡のように写し、とても静かで、人と全く出会いませんでした。。)