2010年9月4日土曜日

ソフトウェア特許の意義
















「お先に失礼します。」

他の社員が働いている中で、自分だけが早く帰るのは、どの職場でも、なかなか、難しいですよね。

役割によって、仕事の緊急度合いも違いますし、なにより、本人がすっきり、明日も頑張るためには、早めの帰宅は、大切でしょう。

最近、流行のドラッカーでも、真摯さ、が大事だと言われています。真摯さとは、それに向きあう、ひたむきな思いと行動だと、私は、理解しています。そうすると、早く仕事を止めることは、真摯さが足りないのではないか、と思われる可能性もありますね。

ひたむきな努力に対して、ご褒美を与える制度の一つとして、特許制度があります。

特許の意義は、ひたむきな努力による研究開発の成果を、世の中に公開することで、その代償として、独占的な権利が付与されるという趣旨です。

じゃあ、ひたむきな努力による研究開発をしていなければ、特許を付与する意義がないか。

ソフトウェア特許は、「ひらめき」が特許になる傾向があり、いわゆる、研究開発部が研究開発を専用の仕事として、時間とコストをかけた成果ではないから特許を付与するのはどうかと思う、という議論があります。

例えば、知恵の輪を解くように、プログラムの独創的なアルゴリズムを生み出すエンジニアにとっては、ある課題を検討してから、3分でアルゴリズムを完成するかもしれません。

このエンジニアが、このアルゴリズムについて、特許をとりたいと望む場合、課題に対して、ひたむきな努力による研究開発の成果がはないから、社会としては、特許を与えるべきではないのではないか、とも考えられます。

「決定力を鍛える」という本で、チェスの世界チャンピオンである、ガルリ・カスパロフさんのセリフです。

「独創性というのは、努力である」、とおっしゃっています。

つまり、独創的なひらめきは、生み出すための時間やコストに関係なく努力の成果ではないかと考えられます。

なにも、研究開発部において、研究しているのみが、ひたむきな努力による研究開発ではないのではないでしょうか。

このエンジニアは、日夜、様々なプログラミングをして、アルゴリズムを研究しているからこそ、新たな課題に出会ったときに、だれも思いつかない、ひらめきが生まれるのでしょう。
そうすると、「ひらめき」は、形式的には、「ひたむきな努力」が不在のように見える場合もありますが、本課題以外の課題も検討していることで、結局、「ひたむきな努力」の成果物として、出てくるものではないか、と考えます。

ソフトウェア特許自体が、意義があるのか、については、簡単には、結論が出ませんが、形式的な研究開発がされていないからといっても、必ずしも、特許を付与する価値がないとは言い切れないのではないかと思われます。

しかし、この考え方は、発明者であるソフトウェアエンジニア達が、自らの技術の特許の保護を求める場合に、研究開発部がなくても、特許として認めるべきだ、という議論であり、発明者自らが、特許の取得を望まない場合は、当然ですが、当てはまりません。

先日、オラクルが、Androidに、java関連のアルゴリズム特許の権利行使をしました。が、これで、現在、主流のソフトウェアエンジニアが集中しているAndroidのソフトウェアエンジニア達が、オラクルに対して、嫌悪感をいだいているようです。これは同時に、現在、主流のソフトウェアエンジニア達が、ソフトウェア特許に対する嫌悪感をいだいてしまうことかもしれません。今後、発明者であるソフトウェアエンジニア自体が、他人の特許回避に対する苦労から、自らの権利の取得を望まなくなるケースも想定され、この場合は、ソフトウェア特許自体の存在意義は、失われていくかもしれません。

しかし、そもそも特許という独占排他権がないほうが、ソフトウェア業界として、望ましい形である、ということも、考えられます。

ソフトウェア特許が、ソフトウェアエンジニアやソフトウェア企業にとって、真に意味があるものなのか、今後の動きに注目していきたいです。

(写真は、奥日光の丸沼ダムというところです。ダムの麓のハイキングコースに、渡船があり、沼を周遊できます。沼は、周囲の緑を鏡のように写し、とても静かで、人と全く出会いませんでした。。)

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