2015年10月13日火曜日

行動の選択

僕は、寄付をするという習慣がほとんどないです。

赤い羽根募金も付き合いぐらいの感覚で、結構、冷たい人間だなと。なんでかなと思っていたのですが、根本的な日本人の意識があると教えてもらいました。

日本は、中流階級が多く格差が小さいから、富裕層と貧困層の認識が甘く(実際にはあると思いますが)、自分が富裕層で、他人に施しをするべきという意識が少ない。また、日本は宗教国ではないので、救うという意識が小さい。貧困は本人が努力していないからだという思い込みが大きい、ということ。

先日見た「Living On one doller」という映画では、米国人の学生が1日1ドル以下で生活する地域に移住して実際に1日1ドル以下で生活するドキュメント映画。

1日1ドル以下で8人家族を養うグアテマラの家庭が、主人公の米国人に食事を招待したり、隣人の妻の治療費を負担してあげるシーンが感動的でした。

環境がどんな状況でも、行動の選択はその人間にある、この言葉は、フランクルの「夜と霧」から教わりましたが、改めて意識しました。

どんなに貧困であっても、他人に愛情(施し)を与えることはできる。

自分が富裕だから、寄付をしよう、自分が富裕ではないから、寄付はやめよう、こんな考え方は誤っているのかもしれません。

マズローの5段階の欲求の階層で、どの階層の欲求を望んでいるかによって、その人がどんな人間かわかると教えてもらいました。

将来の仕事や、自己実現、社会的役割の実現などに悩む自分は上の階層にいると思います。上の階層の欲求を求める者は、下の階層の者を理解し難い。自分の場合は、その階層の階段を、生まれながらにして与えられた社会(平和で経済的豊かな日本の社会)が越えてくれたところが大きいと思います。しかし、自分の中で、下の階層にいる人は、その個人が努力していないから、まだ、そのレベルなんだという意識が、深いところに、あるように思います。

その人が努力しても、その状態を変えられないほど、困難な運命がある。その困難な運命でありながらも、お腹をすかせながら、隣の人に自分のパンを渡す・・。それは、その人の選択。

自分は、腹をすかせた時に、パンを渡すことができるのだろうか。行動の選択は、人間に残されていることを、忘れないようにしたい。

2015年8月8日土曜日

60歳を越えても

写真左が上田社長。真ん中が発明家の浜元さん。

宮崎県の延岡市に、老舗のお菓子屋さんがあります。「破れ饅頭」という東京のKINOKUNIYAでも販売されている”虎屋さん“です。延岡の伝統的な文化や歴史をお菓子という形で日本中に発信されています。

ここの上田社長から「TV放送された発明家の浜元さんは幼なじみだと思うので会いたいです」と連絡がありました。

浜元さんは自転車のイノベーションの発明家で先日「世界一の九州がはじまる」で放送された発明家です。

2人は中学の同級生で、45年ぶりの再会。2人とも60を越えても変わらずイノベーションへの挑戦です。

上田社長「小木さん、挑戦者が必ず得られるものって、知っている?」

小木「え、喜びとかですか?」

上田社長「応援者だよ。一人で出来ないことがわかっているからね。スポーツマンもよく、優勝するので、応援よろしくお願いしますって言うでしょ。一人で優勝できないって、知ってるんだ。」

いいこと言うよね、おじさま達。素敵な再会でした!

2015年7月21日火曜日

宮古島工業高校で知財の授業をさせていただきました!

宮古島から伊良部島への海上の橋で、伊良部大橋といいます!

はじめての、宮古島上陸!

思った以上に平地で、山が全くなく、屋久島のようなジャングルとは対照的でした。伊良部大橋から島の端から端までみえたのですがほとんど、高低差がなくて・・。

島はのんびりしていました。

そんな中、宮古島工業高校へ・・。高校生、のんびりな島とは対照的で、元気いっぱい!でした。

普段は、知財の授業というと、ものづくり系が多いせいか、理系の男子が相手なので、はなしはよく聞いてくれます。

しかし、今回は、生活情報科の女子の全学年対象ということで・・・まさかの女子だけ・・。
始まる前から、まあ元気!または、熟睡系でした・・。

しかし、内容では負けても、パワーでは負けたくないという思いから、熱弁!?・・ちょっと、雑な言葉になりながらも、パワー注入気味に講義を展開したところ・・。

意外に、質問がでるでる・・。

うれしい・・。

キャラクタと著作権という題名だったので、熟睡させずに、関心をもってもらうのが多少困難でしたが、宮崎のきぐるみ製作会社の着ぐるみBIZさんの話をいれたり、ミッフィーとサンリオの著作権騒動の結末が、東日本大震災で美談に終わった・・などの話で、結構、興味をもってもらったようです。

結局、ラインやフェイスブックでの、画像の扱いや、つぶやきによる著作権侵害についての質問が多かったですね。先生方からも、普段悩んでいる細かい質問があり、著作権問題の関心の高さを感じました。

また、弁理士が学校教育にお役に立てれば幸いです。

夜は、沖縄関係者と、熱く、志について語り合いました・・。

沖縄の皆さん、ありがとうございました!

さっぱりめの泡盛でした!

2015年5月6日水曜日

妻のキャリア その2



妻の仕事の都合で、宮崎に来て5年。

関東で生まれて育った自分にとっては、あるいみ、ヒモ?のようにかみさんについて、九州に来ました。

自分の仕事は、人の頭の中を書類にする仕事で、いわば、作家のような仕事です。場所を選ばないので、宮崎で、東京の仕事のみをして過ごしていました。

しかし、宮崎の人達と知り合うことで、しばらくすると、地域の活性化したいという皆さんの情熱を感じ、この情熱が私にも伝染ってきました。僕も宮崎のためになにかやってみようかな・・など・・・思うように。

自宅で一人で仕事をしていただけでしたが、じょじょに、中小企業の社長さん達と、ものづくりや起業の団体を立ち上げたり、表通りに事務所を出して、従業員を雇ったり・・。今までの自分では想像を越えるぐらいに、なんだか活発に行動していく・・。

僕自身も土地に求められることが、気持ちよくて仕方がなかったです。いまでも、こっち来る前では想像できないほど、充実した宮崎の生活をさせて頂いています。

妻の任期は3年でしたので、4年目(昨年度)には、彼女は仕事がなくなりました。つまり、夫婦ともに、宮崎にいる理由はなくなったわけです。

しかし、僕自身は、宮崎で事務所を立ち上げているため、いまさら、宮崎の人たちに、さようなら、と言うことはできません。

妻にはひとまず、宮崎にいてもらうようになりました。しかし、関東や福岡などで就職が決まる可能性も否めません。僕自身も、宮崎での体制をととのえつつも、将来、どうしようかなと悩んでいました。

そんな中、彼女は、以前から自分の研究として興味がある宮崎の山間部の小中学校に頻繁に通い続けました。朝は6時頃に家を出て、2時間(往復4時間!)近く車を運転して、先生や生徒と時間を共有。

そんな成果が実ったのか、この春に、宮崎県で再度、仕事を得ることが出来ました。しかも、任期が事実上なく、宮崎県に長くいることもできるキャリアでした。

僕ら夫婦は、宮崎に縁があるのだな・・と実感。これで、我々夫婦は、宮崎に長期に渡り、住み続けることができる環境が整ったのです。

もともと、妻のキャリアの都合で宮崎に来ましたが、僕のキャリアの都合で、彼女を宮崎に滞在させて、その間の成果で、彼女は、今回の、宮崎での良いキャリアを得ることができた・・。
これは、やはり、夫婦でこの地を好きになって、縁をいただいた成果だな・・と思います。なかなかあることではないですよね・・。

5年前、家族で宮崎へ行く!という決断は、若干、キャリア的には、残念な判断?もう仕事する気ない?と思われても仕方がない・・とも思われますが、そのような思い切った決断が、かえって、捨てるものを捨てる覚悟ができて、我々夫婦それぞれのキャリアとしては、非常に大きななにかを得ることが出来たように思います。

さあ、本格的な宮崎での生活が、今から始まります。改めてふんどしの締め直しです!

2015年3月22日日曜日

Gifts and Choices (才能と選択)

宮崎港にて 2015年3月1日

下記は、アマゾン・ドット・コムの創業者ジェフ・ベソスさんのお話。

彼が子供の頃、祖父と、たばこを吸う祖母と一緒に、車に乗っている際に、喫煙が体に悪いという広告を見る。

広告には、1回の喫煙で2分の寿命を縮めると書いてあったため、彼は即座に計算をして、祖母にむかって、「1回すって2分間だとすると、おばあさんは9年も寿命を縮めることになるね。」といったそうです。

そのとき、彼の祖母は泣きだしてしまい、祖父は、車を停めて、彼にこういいました。

「ジェフ。いつかお前にもわかると思うが、賢くあるよりも、心優しくある方が難しいのだよ」と。

彼は、このエピソードから、”賢さ”は、生まれつきの”才能”であり、それほど、難しいことではないが、”優しさ”というのは、”選択“であるから、賢さよりも難しいのでは、ととく。

あ、いや、もちろん、彼は・・いわゆるアメリカンドリームを実現した創業者ですから・・賢くて、自分など及びもしない・・ということがありますが、非常に重要なことを指摘してくれていると思いました。

これからの世の中は、難しい社会になりますから、賢いことが重要になってきていると言わざるを得ません。しかし、このまま科学が進歩して、やれクリーンエネルギーだ、人工知能だ、と技術が進んでも、優しさが表れない社会でなかったら、一体、どんな世界になってしまうのでしょうか。

優しくあることは、常に難しいことです。

何かの目的に対して、早く考えて良い結論を出したり、計算を早くしたりすることは、機械でも出来るようになるでしょう。でも、僕らは、その結論を、他人のためにつかう、つかわない、という、選択ができます。愛情があるからなのですかね。

僕は、昔から、性格が優しいのが長所だと言われていましたが、実は、”なよなよ”しているだけで、強い優しさがない、と自分で感じていました。

他人がいじめられている時に、勇気を持って、いじめっ子に文句が言える、強い優しさ。そんな力が自分にはなく、いつも、そんな力をつけたいと思っていました。

いま、会社を経営していて、当然、リーダーシップが求められます。当然、優しさなくては、皆の力は集められません。特に、強い優しさをしっかり発揮しないと・・。

「優しさ」は、才能ではないとしたら、後天的にできること。それなら、自分でもできるはず。愛情のある「選択」に、これからも悩んでいきます。

2015年2月8日日曜日

本当に人が求めるものとは。

NHK「サキどり」2015.2.15放送予定 撮影風景 @宮崎のソシデア事務所にて

ドリルを買いにホームセンターに行く人が本当にほしいものって、なんだか分かりますか?

何を言っているの?って思いますよね。ドリルを買いに行ったわけですから、そりゃ、ドリルが本当に欲しいものだと思いますよね。

そうではないということです。ドリルがほしい人が本当にほしいのは、「ドリル」ではなく、「穴」です!と、マーケティングの先生であるレビット博士という方が指摘しています。

これって、深くないですか?少し応用すると、いろんな考え方に適用できるなあと・・。

例えば、お茶が欲しい人は、お茶という有体物がほしいというよりも、喉の渇きを潤したいという欲求を満たしたいというのが本当に求めるものでしょう。

さらに発展させると、結婚相手を決めるとき・・・。彼氏と結婚したい!という場合に、本当に欲しいものは、彼氏自体というよりも、彼氏と一緒にいて幸せな状態である自分、が本当には欲しいもの、ということではないでしょうか。

僕は、知的財産の仕事をしているので、商標を扱いますが、お客様は商標権という実体よりも、大事な商品名の”信用“を守ってほしいというのが本当にお客様が求めているものでしょう。

また、特許であれば、特許権や特許証という実体ではなく、”アイデア”が客観的に新しいと認められる、という栄誉や、自分の大事なアイデアを守ってもらえる、という無体的な効用の方が、お客様が本当に求めていることなのでしょう。

視点が認識を生み、認識が判断を促します。視点は文字通り、見る点なので、商品開発であれば、有体物である商品が判断の拠り所になりがちです。つまり、どうしても、商品に目がいってしまいますが、本当に人が求めるものは、その商品によって得られる効用(利益)をみなくてはいけないということではないでしょうか。

例えば、同じ商品(有体物)でも効用が異なれば、新商品になり得る=需要を創造できるということも言えるのではないでしょうか。これが、客観的には、商品の機能がほぼ一緒であっても、ネーミングやデザイン、売り場を変更することで、顧客の効用を喚起させて、ヒットにつなげることができる可能性が大いにあり得るような気がします。この辺りに新しい商売のヒントが隠れている気がしてなりません。

(来週の15日に、NHKのサキどり「休眠特許」のコーナーで宮崎の発明家が放送されます!ソシデアが橋渡しをしておりますので、是非、御覧ください。私はほとんど放送されないかもですが・・。)

2015年1月3日土曜日

伝える力

宮崎神宮 2015.1.3
宮崎はお正月でも空が青くて高い!

読者の皆様、新年、あけましておめでとうございます。

大変、未熟なブログですが、6年目になりました!今年も、散歩よんぽを宜しくお願いします!

昨年のブログを見ていると、途中から内容がわかりにくくなっているなあと・・自分で少し反省しました。

自分としては、①皆さんに伝えたい内容と、②その内容を伝える力、で、ブログなどの文章の面白さは評価されると思っています。

自分は、弁理士なので、発明という曖昧なアイデアを文字で客観化して他人に伝える仕事をしているため、普通の方より、幾分かは、②の伝える力はないわけではない・・のかと思います。とはいえ、もっともっと努力が必要です・・。

しかし、①は自分のセンサの持ち方、視点の持ち方、視野の広げ方、人生の経験、人との出会いによって、非常に大きく変わります。2014年は、素晴らしい人達との対話やご指摘によって、多くの視点の持ち方、視野の広げ方、新しいセンサの備え方を教わりました。極端に言うと、僕の中で、すべての物事が新しい色を帯びたように、見方が変わりました。今までにないセンサがついたならば、当然なのかもしれませんが、最近、経済や歴史を知ったり、音楽を聞くと、少し前と違った感覚を持つようになった気がして、なんでいままではこういうふうに感じていなかったのか不思議になったりします。

そんなわけですので、感じたことがあまりに多く、伝える力が追いついていないブログ内容になっている・・という状況だったかなと思います・・。

今まで、感じたり、経験したことがない、物事を知ることは、自分にとっては初めてですから、今までにない表現方法も必要になってきます。つまり、あまりに自分にとって新しすぎる経験や、体験は、まだ伝える力が備わっていないことが大いにありえます。

自分にとって、あたらしすぎる経験を表現するには、少し時間をかけて、他の人がどのように伝えているかを学習しないと、他人に充分に伝わらないことが多いといえます。

ですので、その新しく表現したい物事について、常に頭のなかでフラグを立てておき、そのことを、他人が、どのような言葉で説明しているかを時間をかけて知ることで、伝える力が上がります。この時に、初めて、その新しい知を他人に伝えられる気がします。

ちなみに、この時に人は、ものすごく学習意欲が上がるように思います。自分が今ある、この考え方は、きっと過去の他人も同じように考えているはず、と信じて、今まで手に取らなかったような本をとって、その立っているフラグに適合する表現を見つける。そんな本の読み方って、素敵かなと思います。

話を戻しますね。一般的に専門家や先生と呼ばれる方は、客観的に発言しなくてはいけませんから、伝える力が、充分装備されている範囲内でしか発言をしないことが多いでしょう。そのため、専門家が経営者から、話が噛み合わないとか、答えになっていないとか、物足りないと言われていまう要因にもなったりもしているように思います。

自分の場合は、そこまで計算高いわけではなく・・・、
人は(少なくとも僕は)、それほど理性的ではなく、情熱的に人に伝えたいこともありますよね・・。

つまり、まだ自分には伝える力が備わっていない未熟な状態でも、新しい伝えたい内容を、つい、言いたくなってしまう場合があります。これは、情熱がなせるわざとも言えますが、未熟とも言えます。なので、客観的な人間性をアピールしたい場合は、あまりよい行為ではないかもしれません。

ただ、伝える力が備わるまで、その新しい発見を記載することは出来ないとすると、寂しいことになる(ブログで共有する必要まではないかもしれませんが・・)・・というのが自分の考え方です。

また、そこで表現してみようと思うことで、その表現している瞬間に、伝える力に足る表現が自ら見つかる場合も、多々あります。僕は、これを期待して、話し始めてみることもあります。しかし、うまく表現が見つからずに、鼻息だけ相手に伝わることも・・(お恥ずかしい・・)。

とはいえ、

どんなに伝える力がよくても、内面に伝えたい発見がなければ、人は伝えてほしいと思わない、

と思いますし、

逆に、

どんな良い発見があっても、伝える力がなければ、独りよがり

になってしまうと思います。

後半は、微妙ですね。独りよがりでもいい??と思えば、伝える力はなくても良いかもしれません。でも、僕の場合は、それほど強い人間ではなく、他人と共有して自分が維持できるタイプのようですので、その想いを他人に客観的に伝えたいのです。だから、弁理士をやっているという面もあるのでしょう。

自分としては、どちらも伸ばし続けることが必要です。

今年もこの努力をして、生き方や豊かさについて、ちょっと違った視点を皆さまにお伝えできればと思います。今年も何卒、宜しくお願い申し上げます。

2014年12月22日月曜日

強制結合をし続ける情熱 (大牟田まちなかシリコンバレー)

大牟田の銀座商店街 (松坂屋の跡地が駐車場に・・)
僕らは、何かを認識するときに、対象が、ある箱に入るかどうかで認識します。

すみません、わかりにくいですね。

例えば、“みかん”であれば、黄色くて、冬に買う、甘い食べ物を、みかんの画像イメージと結びつけて、認識していると思います。つまり、みかんを認識するための箱を用意して、対象と照合して判断するわけです。

例えば、ポンカンや日向夏をみたときに、その認識の箱に入らないから、これは、みかんではない、と判断できるわけです。

ただ、ときには、この箱を壊して考えることが重要になります。

そうです。この認識の箱を飛び越すことが、いわゆる、天才的なひらめき、だったりするのです。

自分の頭の中の箱を少し壊して、他の箱とくっつけることで、新しいアイデアが浮かんできます。これを、自分の師匠によると、強制結合というそうです。

上記の写真は、大牟田駅近くの商店街です。最近、有明高専の先生を中心に大牟田まちなかシリコンバレーという集まりがあり、起業家の育成と、商店街の活性化を目指されています。私もどういういきさつか、お仲間に入れていただきました。

大牟田という街は、かつて、三池炭鉱の街として大いに栄えたところで、カルタや押し花など、様々な文化が育まれました。しかし、現在では、商店街もシャッター街となり、松坂屋デパートの跡地も、駐車場になっています。

どうやって、このような商店街を活性化させるのか?

諦める? いやいや、新しいアイデアを産み出す強制結合をしてみましょう。

かつて、自分が宮崎に来て、地域活性化といった時に、僕は、その土地の情報を集めれば、地域の活性化のヒントになると思っていました。つまり、地方であっても魅力的な価値はあるわけだから、その情報を集めて、都市に発信する広報さえできれば、何か経済的な価値を産み出すものになるのではと。

宮崎に来て3年、。お陰様で、僕のまわりには多くの中小企業や発明家の情報が集まったように思います。しかし、真に経済的な価値を産み出すに至っていない場合が多い・・。なぜか?その情報(知)のみでは、不十分であって、他の情報(知)とさらに結びつけて、価値を高める必要があるということに気が付きました。

現在、スマホや自動車は、知財がミックスされた商品と言われ、ひとつの製品でも、特許・デザイン・ブランド等いくつもの知がミックスされて初めて、商品の価値が消費者に伝わると言われています。

少しでも価値を産み出す可能性があるもののいくつかを、強制結合して、相乗的に価値を産み出していくことが大事ということでしょう。

聞くと、大牟田の商店街では、かつては、インターネットで商品を購入するから商店街に来る人が減ったため、ITに対する理解も殆どなかったようです。しかし、これからはITと一緒に商店街の活性化を図るべきということで、いわば、強制結合で、大牟田まちなかシリコンバレーも始まったと聞きました。現在、彼らが中心に洋風カツ丼による商店街の活性化がはじまっています。さらなる価値創出は、これからが面白くなってくるのではないかと期待しています。

この企画は、有明高専の先生と若手のIT起業家により実現されました。

何か新しく画期的なアイデアを出すには、そこにある”知”を強制結合して検証するということを何回も繰り返す程の情熱が必要であるということでしょう。僕も耳が痛いですが・・。

我々専門家は、強制結合ができるほどの情報(知)が集まっているのは確かではないでしょうか。

でもそれは、単に情報(知)があることに過ぎないのであって、この情報(知)同士のあらゆる組み合わせを、強制的に結合して、目的(商店街の活性化など)に適合するか検証するこを繰り返すことで、初めて、真に価値がある商品やサービス、アイデアを産み出すことができるのかもしれません。

大牟田は、現在、三池炭鉱を中心に、近代化産業遺産の登録を目指しています。観光による活性化も期待したいところですが、加えて、若者に働くことや、起業への夢を与えることも大切ではないでしょうか。大牟田まちなかシリコンバレーの今後の期待とともに、自分も少しでも協力していければと思います。

2014年11月25日火曜日

幸せに成長が必要ならば、人生には楽しみが必要では

「論語と算盤」と「学問のすすめ」

最近、人の“道”を知りたいという気持ちになっています。

独立して事務所を経営し、資本主義の論理につかり、自分の判断基準がそこにどっぷりいることに、自分の狭さを感じながらも、自分はそれだけではないという思いもあります。しかし、それだけではないといっているものは、何なのか。

自分についてきてくれるスタッフへの感謝や、宮崎県をはじめ九州に対する愛情、お客様への感謝など、わずかながら自分でもあるかもしれない私的な愛情を越えた、公的な愛情をよく理解したい・・・そんな気持ちがありました。

厳しい判断を求められて生きていくのに、判断の拠り所があると”道”ができるよ。こんな言葉を人生の先輩からも頂きました。


そこで、論語を勉強し始めました。


自分が幸せだと思えることの、おそらく一番に上がることとは、自分が成長したことを実感できることではないでしょうか。
僕は、なぜ、論語の多くの本で、下記の一節が論語の紹介では必ず、前半部分に紹介されていることを不思議に思っていました。

「学びてときにこれを習う。またよろこばらしからずや。」

学んで成長することは、人が人として幸せな状態にあるために、一番、大事なことと言っている。そんなに成長することって、幸せに生きるために必須のことなのでしょうか?

僕らは、日常、出会う人達は、みな幸せそうに見えます。しかし、多くの人が、人生の80年間の一瞬一瞬を常に成長し続けることは難しく、僕達が日常で出会う人の8割以上は、出会ったその瞬間、成長していない人もしくは、成長する努力をしていない人なのではないかとも考えられます。そうすると、実は、現代人は、多くが不幸せ??

確かに、成長を感じさせる人は、パワーをもらえるし、ユーモアも多く、いつまでも話をしていたいような衝動にすらかられます。

じゃあ、成長はどうやったら得られるのか?

学ぶことで成長が得られる。しかし、学びとは、知識を蓄積することのみではない。むしろ、その知識を様々な角度から応用できる知恵が必要である。

それでは、どうやったら、知識が知恵と結びつくか?

僕は、知識が知恵と結びつくとは、“遊び”の要素ではないかと思う。そのことを“楽しむ”ことの要素ではないかと思う。


「これを知る者は、これを好むものに如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」


まず、知識を得て、その知恵を楽しんで、知恵という応用に活かすことが学ぶことなのではないかと考えます。

しかし、知識をつかって“楽しむ”にはどうしたら良いのか?

それには、“感動”が必要ではないかと思います。

自分の経験で今でも忘れられないのが、中学生の時、連立方程式で、代入法を習った時です。

そうか、ひとつの式を、Y=の式にしてしまえば、Yをもう一方の式に代入できる。XとYが、両方なんてとても求められないよと思っていたので、この時の僕の感動は大きかった。それからは、もう連立方程式を解くのが楽しくなり、X,Y,Zなどの3つの変数でも怖くなくなったのを記憶しています。

すなわち、

知識→感動→楽しみ→知恵 

が、学ぶ=成長する、ためのステップではないでしょうか。

ここで、最初に戻って、

学んで成長することは、人が人として幸せな状態にあるために、一番、大事なこと、だとしたら、このステップを経て、成長するためには、必ず、「感動」や「楽しみ」が必要であるということでしょう。ということは、幸せなら、「感動」や「楽しみ」があるのは当然だとしたら、この理論は、一つの閉じた論理になりそうですね。

僕らが幸せに生きていくためとは、感動と楽しみを通じて、学び、成長することが、ひとつの答えなのかもしれません。

(渋沢栄一氏の「論語と算盤」、ビジネス教養としての「論語」入門(著:守屋淳)、今友人たちと勉強中の「学問のすすめ」)

2014年11月24日月曜日

新しいわんこ

MAXといいます!

ATOMが亡くなったのが4月20日でした。偶然ですが、丁度、7ヶ月後の11月20日に、我が家にわんこが来ました。

やはり次に飼うのもジャックラッセルテリア以外は考えられませんでした。しかも、毛が多いジャックも、やはり、気が進まない。根拠はないけど、今度は、少し黒っぽいほうがよいなあ・・という曖昧な理由で、夫婦でこのわんこを選びました。

男の子ですが、非常におとなしく・・・、人懐こい・・ちょっと頼りない?と思うような性格です。皆さんにもお会いすればすぐにお友達になれる(さらっていけちゃう?)のではと・・。まだまだ仔犬なので、これからどうなることやら。

名前は、本当に決めることが出来なくて、2日間悩みました。友人達からFBで、そら、うず、パス、ウラン、ヤハギ・・など、ご提案いただくも・・うーん・・と。

そこで、ドイツの友人が、マキシミリアンという名前を提案。実は、僕自身は、あまりに長い名前なので即効で却下したのですが、妻が、MAXっていいかも・・。と。僕も、それを聞くと、なぜか、毛色の黒、茶、白の配色の繊細さが、ドイツの雰囲気と似ていて、イメージがはまりました。

これからの成長を楽しみに。